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 アカデミー賞授賞式での、ウィル・スミスが起こした暴力事件について私が思うこと

2022年3月27日に行われたアカデミー賞授賞式。

ウィル・スミスがプレゼンターのクリス・ロックを引っ叩くという、衝撃的な事件がありました。

なぜ、ウィルはそのようなことをしたのでしょうか?

コメディアンのクリス・ロックは壇上で、ウィル・スミスの妻である、ジェイダ・ピンケット・スミスをジョークのネタにしたのです。「ジェイダ、愛しているよ。『G.I.ジェーン2』で君を見るのが待ちきれない」と。

実は、ジェイダも私と同じ脱毛症です。数年前まではスカーフを頭に巻いて頭部を隠していたのですが、最近は病気のことを公表して美しい坊主頭をあらわにしています。

今回のウィルがクリスを引っ叩いた事件、ウィルスミスを称賛する声、暴力は容認できないと非難する声、色々な声が上がっています。世界は色々な考えの人、色々な立場の人がいるので、そういった議論は当然沸き起こるでしょう。

私自身は、やはり同じ病気という当事者意識もあり、ウィルが壇上でクリスを引っ叩く映像は胸がすく思いでした。

けれども、それが良かったかどうかは、スミス夫妻の間で決めることであって、私たちが話すべきは、他人の容姿をあげつらって揶揄した、クリスロックの行動についてだと思います。

クリス・ロックはコメディアンなのですから、ジョークをいう事は彼の日常でしょう。人々は彼に面白いことをいうのを期待しているのですから。

けれども、人の容姿や障害、生まれつき、もしくは病気などで自分の力では変えられないものについてを、ジョークやお笑いのネタにするのはどうでしょう?

世界には色々な人がいます。

生まれつき髪が無かったり、手足が無かったり、背が小さかったり、成長の速度が違ったり...。

大多数の特徴が普通とされていて、マイナーな特徴を持っていると変わっているとみられたり、普通じゃないと言われたりする。

そして、それを、ジョークのネタにする。

まだ、小さい子供なら分かります。

小さい子供は、自分と違うことにただ好奇心で聞いたりするからです。そこに悪意はありません。

でも、成長する過程で人は色々な経験をして、「自分がこういう言動をしたら、相手はどう感じるか」そういったことが分かるようになるはずです。

私の直感ですが、私はジェイダさんはクリスに自分のことをネタにされても「またあの幼稚なバカが、愚かなことを言って自分の愚かさを露呈しただけだわ。」くらいにしか思っていなかったと思います。

彼女はそれくらい脱毛症という病気を受け入れて、そして強くなっているから。

だってこの美しい姿を見てください。

自分に自信があるからこその、この美しさだと思うのです。

きっとジェイダさんよりも、同じ脱毛症という病気で苦しんでいる、病気を受け入れていない人たちにとってみたら、こんな風に髪の毛のことを、みんなが見ている中で揶揄されていることを見て受けた衝撃の方が強いと思います。

だって、他人事ではないから。

多くの人が、心無いことを言われて深く傷ついた経験があります。自分と同じ特徴を持っている人が、他人からテレビ中継もされている公共の場で、心無いジョークで揶揄されている。誰かに髪のことを揶揄された経験がある人は胸がキューっと締め付けられるような、とても大きな痛みを感じたのではないでしょうか。

会場ではその場の空気に流されて、笑い声が暫く続いていました。同調して笑ってしまった人は、己を反省して、今後は「直ぐにこのジョークは笑うべきではないものだ。」と気づけるようになる。そんな人が増えれば良いとおもいました。

それにしても、毅然としていたジェイドは本当に素晴らしかったと思います。

皆はどう思う?


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