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支えられの内訳

こんにちは、お久しぶり日記です。

昨日で11月のライブがすべて終わりました。
急遽うたわせていただいた分も含め3本と控えめでしたが、ひとつひとつやっぱり大切な時間となりました。
聴いてくださった方、共演者さん、ライブハウスの皆さま、隠れんぼ、今月もありがとうございました!


ライブのときによく話してしまうのが、
「一人ではできないことばかり、支えてもらってうたえてる」
ということ。

これを聞いている人たちはどんな気持ちになるんだろう?と、昨日ライブが終わってからふと考えました。
わたしなりにお礼の気持ちであったり、だからたくさん気持ちを込めてうたいたいという想いだったりするわけですが、甘えてるとかもっと頑張れとかそういう風に見られることも多々あると自覚しています。


この歳でいうのも恥ずかしいですが、わたしは甘えんぼだしそれが好きなんですよね。
自分のことを弱いと思ったり、ダメだと思ったりする瞬間って昔に比べてすごく少なくなりました。
それは周りの人たちがたくさん手を伸ばしてくれて、それを素直にとることができるようになったからだと思っています。
泣くことなく笑っていられる日々が増えたのはとても嬉しい。昔よりもっと人と関わることが好きになったし、怖がらずに人と付き合えるようにもなった。

わたしは色々なことを頭でごちゃごちゃ考える方なので、それでいっぱいいっぱいになってしまって、怖がりながらステージに立ち、ライブの後に苦しくて泣いてしまうことがたくさんありました。
生活にしても、眠らないとかごはんを食べないとか、逆にそれらをやりすぎたりとか、そういうことを普通にしていてもちろん大変な時もあって、でもどうしたらいいのかわからない。
自分のこのいっぱいいっぱいなところを、きちんとまとめて言葉で表して「あなたはこういう人なんだよ」「今こんな気持ちなんだね」と教えてくれるのはいつもわたしではないほかの誰かだ、とある時気がつきました。
ほかの人のことには敏感で、頭もよく回る方なのに、自分のことにはあまりにも鈍感で気がつけない。
人ってそういうものなのかなとも思うけど、だから一人では生きられないなと。


出来ない出来ない、と考え続けて本当になにも出来ない日々があまりに多く、あのままでは音楽からも離れていたかもしれないと思います。
「大丈夫」「出来ることがちゃんとある」「やりたいことを大切に考えて」と、ぜーーーんぶ誰かに教えてもらってきて、今もそうです。本当にありがたい。

なので、必要だから自主的に甘えてもいるし、当たり前のようにもらえる優しさをどれもこれも特別で大切に感じています。

…かといって、わたしが全部言うことを聞くということもなく、ああすれば?こうしたら?ということをバッサバッサ切り捨ててもいます。
決して考えなしで流されているわけではなく、全部自分で選んでいます。
ただ、自分だけでは出来ないことや気がつかないことをたくさんサポートしてもらっているだけ。

これは自信がある。

わたしが積み上げてきて得たものが今の環境です。


信頼できて一緒に取り組んで、甘えられて楽しく過ごせる人ってそうゴロゴロしてないと思う。
善意でだけわたしのそばにいてくれる人ばかりではないです。わたしが強制することもない。
彼らも自分で選んでくれているのだと思います。
そういう風に信頼してずっと積み重ねているものを、大切だとかかけがえないとか思うのってあたりまえでしょ?

たとえば、
わたしを選んで呼んでくれること
この出演順でうたうこと
音作りや照明で輝かせてくれること
わたしの音楽をかたちにしてくれること
絵や写真で彩ってくれること
そこに足を運んでくれること

全部に「なぜそうするのか」という意味や意図があって、それはわたしが知り得ないところで生まれる。誰かの想いや努力のうえに立っている。
ライブひとつとっても、一人で出来ていることなんてない。だからとても大事にしたい。
はじめから今までずっと変わらず思い続けていることです。

ふと耳にした言葉だけでは伝わらないこともたくさんあると思うけど、わたしにはステージがあるから。
30分なら30分、全部を通して伝えられたらいい。
そんな風に思っています。


ゆか


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