わたしたちはあなたたちのことを知らないけれど、あなたたちのことを感じている

住み慣れたシェアハウスをはなれ、家をかえた。いまの僕の家に日照りはないが、少しばかり陽が差し込む。

越してきた当初、家は僕を見、インストールした。昼はうすぐらく、夜になると黒くなる。裏手は墓地で、かれらも僕をみていた。

それからしばらくたって、僕が家をみる番になった。家の近くに、二人の天使像があることに、気がついた。


弱さとは、群れることではなく、また逆に、なにものかを拒むことでもない。弱さとは、弱さを感じることfeel our weaknessesだと思う。

繊細さ、アンニュイなさま、社会的、肉体的に溌剌としていないようす…。僕はそういったものを感じるとき、目と耳のあいだ、ちょうどこめかみの内側あたりが、ふわっとする。家に殆ど入らない陽が、僕に差し込む感覚をおもいだす。

たぶん、ここでいう弱さって幾千と種類があって、それらをすべて感じることはまだできない。ただ、家の近くのあの天使像を見つけたとき、未知の弱さを知ったように思う。


それぞれ独立した個人で、知らない人もいれば、場所も離れ滅多に会うことのない人もいる。それでも、その人たちを感じることはできる。そして、おぼえておくことができる。

SNSでも手紙でもなんでもいい。もはや、Doomscrollingでも、なんでも。

天使像のある場所をおぼえるように、その弱さをこめかみの内側で感じる。知らない人の弱さにも、歩いていたら出会うかもしれない。ここのように。

そのようにして、僕は弱さたちをこめかみの内側にしまい、知らない人や見えない人を引き連れながら、いろんなできごとに出会いたい。


わたしたちはあなたたちのことを知らないけれど、あなたたちのことを感じている。



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