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傾斜のある町の傾斜のない家で

 祖父母とはそういうものなのかもしれないが、わたしの祖父母は物持ちのいいほうだと思う。きょう、海外旅行の免税店で買ってきたというコニャックを引っ張り出してくれた。角という角がとれて、川底の石のように口あたりの丸いお酒をいただいた。角という角がとれるには、いったいどれだけの年月がひつようなのだろう。

 私よりも年上のお酒は、比喩ともとれない甚く大まじめなそぶりで、命の水のようだった。のみながら、祖父が親指と小指で米粒をあらわし、大吟醸と吟醸の違いを説明してくれる。どの指も巨きいのであまり違いがみとめられず、こういう指になりたいと祖父の手指に憧れて育ったわたしは、この気持ちをどうしていいかわからず、指をじっくりみた。下腕の血管は龍脈のようだったし、掌はハツハツとしていた。

 コニャックをのみながら日本酒の話になったのも、20年来の、とはいえとても年上の知人から自家製の日本酒をいただいたことに因む。決して人生を切り売りして作っているわけではなく、全霊をかけて一滴に捧げたものの有り難さを祖父母に伝えたかったのだ。
 それは、素晴らしいことだなぁ、とか、そんなことを空に見遣りながら放っていた。おなじものを祖父母に呑んでもらおうと思った。

 お墓の話をした。祖母からは、うちらは長生きするから、あんま急がんでええよ、とのことだった。それはもういろんな意味でホッとした。まだたくさんお話できるかもしれない。祖父母の生きている間に、墓石のうらに赤字で名前を書いてもらえるかもしれない。もっとお顔をみたい。汗かきの祖母、眉のえらく長い祖父。
 やはり墓に名前はかかなくていいんだそうだ。なんてことだろう。なんてことだ…。想像もつかない。家の話というよりも、人がつなげてきた一雫の連続をぼくが担って遺すのだ。

 祖父母のことって、じつはぜんぜん知らない。兎に角いまからなんでも知りたい。明日は畑で謹製の胡瓜をみてみようと思う。(いつか)つづく。

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