2021/3/3

今日は業務がそれほどに大変では無かった。7割ぐらいのパフォーマンスでこなせる程度。最近ずっと100%を上回らせないとどうにもならないというような状態が続いていたので、本来であれば喜ばしいことの筈である。ただ、そんな日に精神状態が悪い。要因は二つ。一つのは人の話を沢山聞いたこと。もう一つは自分の内面を多く見たこと。

悪魔は嘘に巧妙に真実を織り交ぜる。
現世の悪魔は悪意の中に巧妙に善意を織り交ぜる。
敵意の中に巧妙に好意を織り交ぜる。

かくの如きことを最近思っていて、これは確かに一つの道理としてもそれ程におかしいものではないと信じている。ただ人と人との間の「割り切れ無さ」と、悪魔的なものとは全く別のものであることも理解している。
否定的な評価に対しての耐性の低さは、僕の場合は自己愛、過剰な自尊心、そう表現されるものから来ていることは自覚している。その背景にこの問題の正反対の形をした問題があるのも典型例そのものである。
一般的な、ごくありふれた問題は大抵の人が一定程度自覚しながらもそれなりに、型とでも言おうか、身につけたもの、備わったもので半分無意識レベルで無害化しているものを、真っ向意識的な形で処理するしか能力を持たない、その負荷を追わせるもの問題といい、一定以上程度が酷くなり自力で手に負えなくなれば病や障害と認知されることになる。
また必然的にそのような問題は生活にかなりの程度密着している(そうでなければ回避すれば良いだけの話しで大した問題にはならない)。
生きづらさというのは生活の根幹に関わってくるから恐ろしいのである。囚われないこと、この福音の如くちらついてくる遠い救いは、それ故に最も遠いものなのである。

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