私という、ちっぽけな世界のなかで
こんにちは
実は、ようやく一眼レフカメラを購入しました📷
支払い額が恐ろしいです。おそらく人生でいちばん高い買い物。
その分、楽しみたいと思います。
さて、今日は最終課題に向けた記事作りとなります。
最終課題はこちら——
「私の信じる世界」をつくり、noteで紹介する
うん、難しい。
以前の記事で、好きを可視化・言語化することは難しいと、書いたことがある。
今回の課題も、それだ。
この記事と、次の記事を含めた2部作になるのかな?
いずれにせよ、超大作だ。
「私の信じる世界」なんて、先生も大それたことを言うが、私の世界なんてちっぽけなものだ。
捉え方次第で、いともたやすくその形は変わっていく。
その世界に、核と呼べるものはあるのか。
風景を切り取る
——どこかの国の、しらない誰かの、日常の切り取り
そこに写る人々は、どこへ向かうのか。その日常をツギハギのように並べる。
他者の眼を媒介として見る世界は、なぜかいつも美しく見える。
━━では、私が見る世界はどうなのか
日常の中で、私が美しいと思ったものを切り取った。
あなたの目にはどう映るのか。
美しいと思うかもしれないし、そうではないと思うかもしれない。
でもこれは紛れもなく、私が観る世界なのだ。