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軍艦少年を見てきた。

「父さんが死んだ」
着信の表示は母からだった。でも兄の声でそう告げられた。
後ろで泣き叫ぶ母の声。深夜3時頃だった。
急性心筋梗塞。眠ったまま逝ったそうだ。
お別れは突然で、十何年経った今も多分うまく飲み込めていない。
理解したのは、焼かれて骨になった父を見た時だった。
父さんは死んだのか。そうか。頭だけ冴えて、死を理解した。
隠れて遺骨を少しだけ拝借し、何も考えずに口に入れて飲み込んだ。
しばらくして、後を追いかけるように愛犬も死んだ。
また何も考えずに遺灰を貰って飲み込んだ。

でも父さんは元々私の半分だよな。そうだよな。
愛犬もこれでずっと一緒だな。
私の中にはあと3つの魂が宿ってる。
母さんもいるよ。
そして、今の私の半分は、娘に宿っているのだろう。濃いな、娘。

***

佐藤寛太という俳優を、私はあまり知らなかった。
リサイタルで見た、レスリーチャンチャンの記憶が一番新しい。
だからどんな演技をするのだろう?と、余計に楽しみだった。

一言で言うならば、彼は海星だった。紛れもなく、佐藤寛太ではなく、海星だった。良い意味で裏切られた。
海星を生きていた。

私も軍艦島には行ったことがある。世界遺産になるずっと前のことだけど。
映像から伝わる、変わらないのは「確かに退廃し続けている」という矛盾。
そこに、確かに人は暮らしていて、人は生きていた。それがまたこの作品の土台を作り上げているのだろう。

残されたもの。日常という現実は否応なしにやってくるし、自我を狂わせるワードなんてそこらじゅうに飛び交ってるし、世間は世知辛い。
死を受け入れられない事には前に進めない?
受け入れても辛いものは辛いのだ。
だってもう居ないんだもの。残された人々の想いがグルグルと渦を巻いて、時には大きな怒りになって、悲しみになって、さながらあの軍艦島周辺の高い波に攫われたかのような。

青さの残る海星の葛藤、眼の演技に圧倒された。
こっちが代わりに父親を殴りたかった。
海星はいつ泣くのか。いつ泣けるのか。
途中からそんなことばかり考えながらスクリーンを見つめていた。

海星の希望は、紆余曲折ありながらも光が差した。
これからが見えた。笑顔の海星が見えた。
そこでやっと私も泣けた。泣いてよいと許された気がした。

この作品はスクリーンで見るべき。
だから、もっともっとたくさんの映画館で上映してほしいと願う。
佐藤寛太という俳優を知ってほしい。
海星を生きた彼を是非見てほしい。

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