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知っている人から逃げて、知らない人に会うこと。

どうも、はざぶーです。
こと「逃げ」に関しては銀メダリスト級。今回はそんな僕が「知らない人に会う」ことについて、つらつらと書きます。着地は考えてません。では。

知らない人に考えるならば、まず知っている人について考えてみる。
知っている人とはつまり、すでに関係が出来上がっている人ということ。
その関係は、過去のお互いの振る舞いの延長線にある。そう思う。そこに問題があるのかと問われると、僕の場合は「ある」と答える。

「高校デビュー」という言葉を覚えているだろうか?
ネットが発達した最近の高校生はどうかわからないけれど、僕の時代にはそういうものがあった。中学校までの人間関係がパッとしない、いわゆる陰キャと呼ばれる人たちが、高校入学を機にこれまでの自分のイメージを一新して、陽キャとして生まれ変わることを主に指す。

これは「全く新しいコミュニティで新しいポジションを作る方がラク」という考えだし、その背景には「自分がどうあろうと、他者の中に定着したイメージは簡単には変えられない」ということがあるのだと思う。

あくまで僕の場合なのだけど、なまじ空気というものが読めてしまうために、相手が期待する言動や行動をしてしまう。期待されることはいわゆる「信用」なので、悪いことでは無いのだけど、やりすぎるとそれ以外の自分が出せなくなってしまい、息苦しさを感じてしまう。「いつでも期待に応えてくれる人ポジション」にいつの間にか立ってしまっている。そして、ポジション外の行動を取ろうとすると、しばしば同調圧力が邪魔をしてくる。

加えて、一度ポジションができてしまうと、それに準じたイベントばかり発生するし、選択肢もそれに準じてしまう。勇者は魔王を倒すために関連する選択しかできなくなってしまう。勇者もたまには悪ぶりたい。

人はさまざまな経験や知識を明日の糧にしている。
さまざまな経験や知識にはポジション外で得られるものも含まれるけれど、既存の関係ではそれを手に入れられないこともある。僕は欲張りなので、だからこそ今いるポジションからこっそりとエスケープを決め、知らない人に会い、知らないからこそ許される「今までと違うコマンド」を選ぶことで「それ」を手に入れようとする。

もちろん、その過程にある「未知」自体が楽しいのだけれど。だから、もっと人に会いたい。会おうよ。ここから逃げた先で落ちあおう。


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