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失敗をなかったことにしない。臭いものに蓋をしない。「発酵」という考え方。

今日の投稿に間に合わせるには、あと10分で書き上げなければいけない。
我ながらいい深みのある記事になりそうな予感はするものの、やっつけな文章になりそうだと、ほんの少し残念に思う。まあ、需要があれば続きを書くことにしよう。

さて今回は、失敗について述べよう。
ここでの失敗とは「強い反省」を伴う判断や選択をしたことを指す。

恐らくだれもが隠したいと思うであろう、恥ずべき過去。
そのうえ、まず人生で避けて通れない。
それなのに人は失敗を口にしない。「失敗した人間」というレッテルを貼られることが、それほどまでに恐ろしいのだろうか。

僕からすると突っ込みどころしかない。
そもそも、ほとんどの人が失敗を経験するのだ。別に多少失敗したからといって世の異端児になるわけでもない。
そして、そもそも人は人に興味がない。
たとえ迷惑をかけてしまっても、よほど印象に残る内容でもなければ、1年もすれば忘れられてしまう。

それくらい、失敗はゴミとして世にあふれている。
しかし、そんなゴミにこそ価値がある。
人の価値は、どんな選択をしたかの先にある。そして最良の選択をするためには、自分の経験だけよりも他者の経験を踏まえたほうが、より確度の高い選択ができる。そして、色々な価値パターンを模索するうちに気づくのだ。
失敗しないことが、ある種成功だ、と。

そこに気づけば、今までゴミだったものが途端に光り輝いてくる。どんな失敗をしたのか、その失敗からどうやって這い上がったのか、これこそに価値がある。

「失敗は成功の母」とはよく言ったものである。
失敗といういわば「腐ったもの」を「発酵」という価値あるものと捉える。この視点が大切だ。

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