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金次郎のタライ

「たらいの水は、自分の方へとかき集めようとすると逃げてゆくが、相手の方へ推しやろうとすればするほど不思議なほど自らに返ってきてしまう」

『二宮翁夜話』

金次郎の七代目の孫、中桐万里子さんの解釈はいつも面白い。

「彼はいつだって『自分が報われるためには』ではなく、『自分が報いるためには』だったのです」

「金次郎は自らのちからを『貯める(抑圧する)』ことではなく、『使う(活かす)』方法を考えつづけていました」

エーリッヒ・フロムの『愛するということ』にも、こうあった。

「ともすると人は、愛を受けることばかりを考えてしまうけれど、こちらからどう愛するか考えることが愛なのだ」

ただ、正直を言ってしまおう。疑い深い俺などは、こんな風に思ってしまうのだ。

「いやいやいや、地球レベルのデカいタライだったら、押してもそうそう戻ってこないでしょう」

それとも世間というものは、俺が思っているよりも狭いタライでできているのだろうか。

中桐さんはこんな風に問いかけてくれるのだった。

「そもそもタライが大きくても小さくても、水が入っていなかったら何も返ってこないです」
「じゃぁ、水ってなんでしょうか?」

と。

金次郎は昔、弘法大使をディスったことがあった。

「みんな弘法大使、弘法大使って言うけどな、温泉沸かせたとか」
「あんなの一回限りじゃろ。農業の方が凄いのじゃ。農業を知ってれば、どんな奴でもどんな場所でも無限に富が湧いてくるんだからのう」


「天と地の恵積み置く無尽蔵、鍬で掘り取れ鎌で刈り取れ」

金次郎が見ていたのは、奪い合うためのパイではなく、無尽蔵だったようだ。

耕して育ててやれば富は無尽蔵に掘り起こせる。彼にとって、人も知恵もカネも無尽蔵だった。

なにもかもが無尽蔵だから、タライだっていつも狭くて溢れそうだったし、報われることではなくていつも報いることを考えられたのだと思う。

俺は思った。愛することができるかどうかは、無尽蔵を見つけられるかどうかにあるんだって。

知識を掘り起こして、無尽蔵の書をつくる。
服を組み合わせて、無尽蔵のコーディネートをつくる。
食材を掘り起こして、無尽蔵のメニューをつくる。

経済ってこれまで希少性に価値があるとされてきた。金でもダイヤモンドでも呪術廻戦の単行本でも、希少だから価値があると。

ただ、自分が無尽蔵を見つけて提供できるなら、そっちが面白いから奪い合いにはならない。目の前の老人が無尽蔵を生み出せるのだから、人に貴賎もない。

そもそも争いは希少性から起こるのだ。無尽蔵な世界に争いなどないんじゃないか。

僕らは世界は希少だと勘違いしていた。タライの水も希少で、だから焦ってかき集めないといけないって。自分で作り出せば無尽蔵に溢れさせられるのに。

だから神道の最高価値も、なにかを生み出すことなんだろう。

無尽蔵は世界のすべてに眠っている。俺も探そうと思う。

つまり、その無尽蔵であなたを愛そうじゃないか❣️


お読みくださいまして、誠にありがとうございます!
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起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)

下のリンクの書籍出させていただきました。
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