ハイデガー、現象学を語る その1
1. 限界を迎えた合理主義
現象学は、合理主義を超える世界をつくる基礎となる。
ドラッカーが処女作『経済人の終わり』で喝破したように、プロテスタンティズム以来の世界はすべて合理主義のもと作られている。
ポスト資本主義(資本主義の次の世界)だけで済む問題ではない。資本主義、民主主義、社会主義。合理主義で作られたもの、すべてが次の世界を迎える。
合理主義の致命的な点は、感情で人をまとめることができず、必ず民の心が離れることだ。だが、国民を感情的にまとめる手段が一つだけある。
それが戦争である。
「戦時、すべての国は全体主義になる」
ドラッカーはそう述べた。
「その国では犠牲を払うことこそが、社会的なステータスであった」
「下層階級の人々がパンやジャガイモ、チーズなどを買うために、上流階級の人々は自主的に犠牲を払った」
「その国の経済で何より重視されたのは、発展ではなく完全雇用である」
これは理想世界を描いた記述ではない。ファシズム政権下の社会を描いたドラッカーの記述である。
「うら若き人がムッソリーニ政権下のイタリアについて尋ねられ、こう答えたら誰もが笑うだろう」
『物乞いもいなかったし、列車は時間通りに来たわ。モーターボートは世界で一番早いし、道路だってどこよりも広いの』
「この感想こそ、どんな教養よりファシズムを正しく表現している」
「ファシストが目指したものは、機械的に正しい都市だった」
全体主義は完全雇用を達成させた。そんな最先端都市も、社会を意味(コンテクスト)のないものから脱却させることはできなかった。
合理主義は、文脈や人の存在意義を無視するからだ。
「全体主義国家において、民主主義は劣ったものと考えられた。経済的平等性に欠け、国民を動員する力にも欠けている。さらにリーダーシップを取ることも難しくする」
「民主主義も資本主義も社会主義も、すべて合理主義が行き着く末『全体主義』に至らざるをえない」
機械論的に正しい社会が全体主義だからだ。
まるで星新一のショートショートだが、すべてドラッカーの『経済人の終わり』の記述である。
ならばなぜ、今も民主主義なのかと言えば、これまで誰も問題を解決できていないから。
ただ、それだけに過ぎない。
ジニ係数の暴動多発の警戒ラインは「0.4」。今、世界のそれは「0.7」である。フランスやアメリカなど先進国でも騒乱が絶えないが、当然かもしれない。
2. 現象学入門
現象学はフッサールが提唱し、ハイデガーが発展させた。
フッサールは現象学を「客観的科学のアンチテーゼ」と位置付ける。すなわち現象学とは「主観的な科学」なのである。
「科学とは客観的でなければならない」と教えられてきた現代人にとって、これは衝撃というより嘲笑の種かもしれない。
しかし、
「私は神を信じています」
客観的な科学はあざけりで応える。
「それってあなたの感想ですよね」
「なんかデータとかあるんすか」
フッサールの現象学は違う。
「なるほど、神はいます」
主観の科学は対話を可能にするのだ。
ハイデガーならこう言う。
「あなたにとって、神とはどんな意味を持っていますか」
主観を認め(現象学)、解釈する。
ゆえに彼の現象学は解釈学的現象学と呼ばれる。
ハイデガーは、存在の意味を解明した哲学者である。
現象学は気持ちを重ねること(間主観性)に主眼に置く。客観性や因果関係ではなく、間主観性でコミュニケーションを取る。
以上私の理解に過ぎないが、ハイデガーは『存在と時間』で更に深く現象学について考察している。
すなわち、どうすれば気持ちを重ねられるかについて。
次回、3. ハイデガーが語る現象学 に続きますm(_ _)m
お読みくださいまして、誠にありがとうございます!
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起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)
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そんな主題。是非ぜひお読みくださいませm(_ _)m
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下が処女作です。
起業家はトラウマに陥りやすい人種です。
ですが、トラウマから立ち上がるとき、自らがせねばならない仕事に目覚め、それを種に起業します。
起業論の専門用語でエピファニーと呼ばれるもの。エピファニーの起こし方を、14歳にも分かるよう詳述させて頂きました。
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