デザイナー 川上元美さん

このノートは、武蔵野美術大学大学院で行われた講義の内容と自分自身が感じた感想についてのレポートです。

川上元美さんについて

1940年兵庫県生まれ。東京藝術大学 大学院美術研究科 修士課程修了。

1966年〜69年アンジェロ・マンジャロッティ建築事務所勤務。

1971年川上デザインルーム設立。

クラフト、プロダクトデザイン、家具、空間、環境デザイン等多岐に渡るデザイン活動を行う。

(JAPAN DESIGNERS https://japan-designers.jp/profile/613/ より)

講義では自身のデザインワークをお話しいただき、その後、学生からの質問を通して川上さんのデザイン観に迫った。

Design Works

たくさんの事例をご紹介して頂いたので、特に印象的だった部分を中心にご紹介させていただきます。

FIORENZA (1968)

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川上さんが制作した作品で一番最初に世に出た作品。当初は成型合板でしたが、水辺でのニーズやプラスティックの最中だったためABS製に変更されたそうです。制作される作品に時代が影響を与えていることも、川上さんの講義の中で印象深かった部分です。

ハンド・スキャナー (1976)

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ハンディタイプの文字読取機です。

この頃、川上さんはプロダクトの仕事をかなりやっていたそうです。

一見シンプルに見えて、かなり洗練された線で成り立っているデザインで素晴らしいと思いましが、川上さんは「このころ色々IDの仕事をやったが、一年ごとに技術とともに新しいデザインになっていったから、あんまり気が乗らなかった。」と仰っていました。

川上さんには消耗されていくものではなく、長く愛されるものを作りたいという思いがあるのかもしれないと感じました。

BLITZ (1981-1994)

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川上さんが最も印象深かったと語っていたデザインです。

1977年のAIA(アメリカ建築家協会)で一席になってから、アメリカのメーカーでの商品化が決まりました。ニューヨークに何度も通い商品化についての話を進めていましたが、オーナーが変わり、「椅子一脚に投資する時代ではなく、システムの時代だ。」という風にメーカーの流れが大きく変わってしまいました。

その後イタリアのメーカーが商品化。コンペから商品化まで約5年かかったそうです。

このように、商品化まで非常に苦労したと言いますが、海外でのコンペに通り「やっとデザイナーとして独り立ちできるな」という思いが当時は強く、そのような意味でも非常に思い出に残っている作品だと仰っていました。

講義を受けて~デザインの原点~

デザインの分野をずっと見てきた人のお話。時代とともにデザインも変化し、その流れの中でずっと前線で活躍している方のお話はデザインの歴史を目の前で見ているかのようでした。

講義の終盤、今回のホストである若杉教授が川上さんをこう評価していました。

「ここまで屍累々の巨匠も珍しい。」

講義の中で、様々なデザインを作り、様々な評価を受けたであろう川上さんが学生時代やキャリアの初期のデザインを楽しそうにお話されるのがとても印象的でした。

川上さんは学生時代に美術も美術以外も様々な経験も沢山積んだことがよかったと語っていました。そして今もその好奇心と探求心をずっと持ち続けているのでしょう。

そんな自由で素朴な心が素晴らしいデザインを作り上げるのだと感じました。


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