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藝大 東京インディペンデント2019

もう1ヶ月は前になるけれど、新宿の方の病院にかかってその帰りに父親に声をかけられてアメ横で焼肉を食べた。二人きりで昼間っからビールを飲んで、ホッピーとはこういうもんだって話していたな。物好きが飲むものだと飲まず嫌いしていたし、そもそもホッピーに出会わなかった大学時代だった。
いまでこそあまりスタバスタバと言わなくなり新作やグッズにも無頓着になったけど、中高時代は信者のようなものだった。コーヒーや紅茶のこともやたらと調べていた。その頃から知識欲が芽生えたのかとも思う。
昼下がりで混みだした店内で、その日の豆のドリップコーヒーを飲みながら、何を話していたのか。冷めたドリップほど不味いものは無いと意見があったことだけを覚えている。

父親は建築とは関係ない人だが、友人に建築好きがいてよく連れ回されているようで、だから建築の展示にも興味はあるようだが、芸術に寄ると拒絶反応をおこす人で、なんとか解散して一人で行こうと画策していたわけで...

noteを始めてみようと思った時、何を話そうかと思った時、まず自分が文章を書く時、やたらと1文が長くなってしまうくせがあることも思い出した。話し言葉で文章を書く人間のようで、だからレポートやら論文を書く時は、格式張った人を乗り移らせて書いていて、あれを話し言葉で考えると、ものすごく偉そうだなと思って書いている。大学1年の時に北山先生のゼミで散々区切られた。
最後に北山先生の研究室を選んだのはあの時の関係があったからだと思っている。好き勝手やらせてもらい、設計の方はガッカリさせてしまったと思うし、研究室のメンバーとも仲良くなれたとは思っていないが、藤間さんとか扇谷さんとか岩田さんとかお世話になった先輩方もいて、ちゃんと1度挨拶に行かねばと思っている
富永事務所に決まった折にでも行けたらなんて

インディペンデントについて
床置きの透明の紐とビーズ

作品の前に枠取るように置かれていて部屋中に広がっている。ただゴミが落ちているだけだったのかもしれないがそれを作品にする空間があそこだった。みんな最初は気付かず踏んで、ゴミだと気にしない人もいれば話の種にしている人も
踏まれたからなのか紐から解かれて境界が散らばっていく
霧散していくような、それでいて硬い透明が境界を広げていくような
PRADAブティック青山のドローイング課題をやった時に思った感覚と同じもの
硬い透明と柔らかい透明
あのときそんなことを考えられたのは、その前のちひろ美術館東京の課題の時に星野の耀が建築が重いって言っていたからだった

こういう山脈のような表現は先日の森美術館での六本木クロッシングにもあった
あれは山脈そのものだったけれど、これはつぶやきがせりあがっていくような表現なのか
波にもみえるけれどそれだと音波のようなものになってつぶやきと近すぎるから山脈と谺とか単純にせりあがっていくという見方がいいのかなと思ったり

これの魅力はなんなんだろう
けど写真撮ってるからいいなーとは思ったんだろうけど
目玉焼きに見える可愛さとかあるかな
目のようでもあるし、指紋から広がっているような感じもある
雨粒が地面に落ちてそこに瞳が宿り森の木々の間から空を見ているのかな

なんかこれは康太さんの前の展示で見たような気がして、もしかして康太さんのものだったのかもしれない
こういうスケッチのような表現は結構好きで、光も現れていていいな
もし康太さんなら話を聞いてみたい

これは何かの平面なのかな
メモリがついていて寸法がわかるっていう
あとはスタートと終わりが壁に順繰りにあるっていう

もうちょっと写真はあるけど疲れたからここら辺で
めちゃくちゃに脱線させてぶちまけて見たけど
まとめない方がすきだけどなー

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