キング・フォレット説教

ジョセフ・スミス⼤管⻑は,1844年4⽉の総⼤会、その時に⾏われたキング
・フォレット⻑⽼の葬儀において、約2万⼈の聖徒の前で説教を⾏いまし
た。ウィラード・リチャーズ、ウィルフォード・ウッドラフ、トーマス・ブ
ロック、ウィリアム・クレイトンによる記録。

愛する聖徒たち、死者について述べる間、この会衆の注意を喚起します。わ
たしたちの最愛の兄弟であるキング・フォレット⻑⽼が岩桶の落下によっ
て、亡くなられたことが、わたしをこのテーマに向かわせました。私は、彼
の友⼈や親族から話すように要請されていますが、この会衆の中には、この
街や他の場所に住んでいて、友⼈を亡くした方が⼤勢いるため、一般的なこ
の(※死者に関する)テーマについて話し、能⼒を尽くし、またこのことつ
いて話すように霊感される限りにおいて、私の考えをあなた方に提供したい
と感じています。

私が全能の神の教えと聖霊の賜物を得て、真実であり、あなたがたに容易に
理解できる事柄を述べ、その証しがあなたがたの⼼に、私が述べることの真
実性を確信させることができるように、あなたがたの祈りと信仰を求めま
す。主が私の肺を強めてくださり、風を止めて(※当時、強風だった)くだ
さるよう、万軍の主の⽿に届くように祈ってください。ここには⼒があり、
あなたがたの祈りは必ず聞かれると私は信じています。

私の前にある(※死者に関する)テーマの説明に入る前に、そこに向かうための話を最初から構築して、あなた方がその話を理解できるようにしたいと思います。私は雄弁や、多くの学識であなた方を喜ばせるつもりはありません。しかし、私は天からの純粋な真理であなたを教化しようと思います。

神の性質

まず最初に、創世の話から始めます。この世を創造された時と同じように、
天のかなたに鎮座する偉⼤なるエロヒムの御⼼、目的、計画を理解し、完全
に知るために、私たちが⾒据えるべき出発点がそこにあり、そのためには、
最初に神ご⾃⾝を理解する必要があります。私たちが正しいスタートを切れ
ば、ずっと正しく進むことは可能ですが、もし間違った地点からスタートを
切れば、その後、正しい道へ戻るのは困難になることでしょう。

神の性質を正しく理解している者は、この世にごく少数です。⼈類の⼤多数
は、神との関係について、過去のことも、来るべきことも、何も理解してい
ないでしょう。彼らはその関係の本質を知らないし、理解もしていません。
その結果、彼らは猛獣のように食べて、飲んで、眠ること以上のことは何も
知りません。全能者の霊感によって与えられたものがない限り、⼈が神やそ
の存在について知っていることは、これがすべてとなります。

もし⼈が食べて、飲んで、眠ること以外何も学ばず、神の計画を何一つ理解していないとしたら、獣と同じです。獣は食べ、飲み、眠り、それ以上何も知りません。それゆえ、全能の神の霊感によって物事を理解しない限り、獣は私たちと同じだといえます。もし⼈が神の性質を理解していないなら、⼈は⾃分⾃⾝をも理解していないことになります。だから、私は創世に遡り、あなた方の⼼を、⼈が一般的に目指すものよりももっと⾼い領域、もっと⾼尚な理解へと引き上げたいのです。

神とはどのような存在なのか︖

この会衆にいる、⽼若男⼥には、⼼に思いを馳せ、神を⾒たことがあるか、
声を聞いたことがあるか、あるいは神と交わったことがあるかどうか、⾃問
していただきたい。この質問は、ひょっとすると、これから先、あなた方の
関⼼を独占することになるかもしれません。神はどのような存在なのか。誰
か知っているでしょうか︖聖典は「永遠の命とは、唯一の、まことの神でい
ますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ること
であります。」(※ヨハネ17:3)と告げています。

もし誰か神を知らない⼈がいて、その⼈が⾃分がどのような存在であるかを熱⼼に探し求めているにもかかわらず、加えて、イエスと使徒たちの宣言(※ヨハネ17:3)が真実であるのであれば、その⼈は⾃ら永遠の命を持っていないことを悟ることになるでしょう。なぜなら、他のいかなる原則にも永遠の命というものはあり得ないからです。

私の第一の目的は、唯一知恵ある真の神の性質と、その神がどのような存在であるかを明らかにすることです。もし私が幸運にも、神を理解し、その原理をあなたがたの⼼に説明し、伝え、御霊がそれをあなたがたの上に聖別するような者になることができたなら、以後、すべての男⼥は黙って座り、⼝に⼿を当て、決して⼿や声を上げず、神の⼈や神のしもべたちに対して⼆度と何も言わないことでしょう。もしそれができなければ、啓示や霊感、あるいは預言者であることをすべて放棄することが私の義務となります。しかし、もしすべての宗教教師が、神の知識に対する無知が彼らの前に明らかになり、彼ら⾃⾝がその無知を捨てるほど正直であったなら、いずれにせよ、彼らは私と同じようにひどい目にあうことになるでしょう。仮に私が嘘をついているとしたら、私と同じように他の偽教師に対しても命を奪った方がいいのではないでしょうか。しかし、仮に私が偽教師だと思っているからといって、私の命を奪う権限を与えられた⼈がいるとしたら、同じ原則に基づいて、今度は私たちが偽教師の命をすべて奪うことが正当化されるべきです。しかし、その血を求めることの終わりはいったいどこにあるのでしょうか。そして誰が苦しまないでいられるでしょうか︖

信教の⾃由の特権

しかし、⼈はその宗教のために他⼈に干渉してはなりません。すべての政府
は、すべての⼈がその宗教を妨げられることなく享受することを認めるべき
です。いかなる⼈も、宗教の違いの結果として生命を奪う権限は与えられて
おらず、すべての法律と政府は、正誤を問わず、それを容認し保護すべきで
す。すべての⼈は生まれながらにして、そして我が国においては、真の預言
者であるのと同様に、偽者であることも憲法上の権利です。もし私が神の真
理を持っていることを示して、100⼈中99⼈の公言する宗教教師が偽者であ
り、何の権威も持っていないことを流布する一方で、彼らが地上における神
の王国の鍵を持っているふりをしている偽教師であるという理由で殺すとし
たら、それは全世界を血で染めることになるでしょう。

私は、神とは何かを示すことによって、この世が間違っていることを証明す
るつもりです。あなたがたに神を知ってもらい、神に親しんでもらいたいか
らです。もし私があなたがたに神を知らせるのであれば、私に対する迫害は
なくなるはずです。そうすれば、あなたがたは、私が神の僕であることを知
ることでしょう。

神は崇⾼なお方

神がどのような存在であるかを示すために、私は世界が存在する以前に話を
戻します。神はどのような存在だったのか︖地の果てにいる者たち、⽿を開
いて聞いてください。私は聖書によってそれを証明し、⼈類に関する神の意
図と、神が⼈の問題に干渉する理由を語ろうと思います。

さて、神ご⾃⾝もかつては今の私たちと同じだった︕これが奥義です。もし
今⽇、ベールが裂かれ、この世界をその軌道に保持し、その⼒によってすべ
ての世界と万物を⽀えている偉⼤な神が、御⾃⾝を目に⾒えるようにされる
としたら…もし今⽇、あなたがたが彼を目にするとしたら、その姿はまるで
⼈間のようであり、⼈としての⼈格、姿のすべてにおいて、あなたがた⾃⾝
のようである、と申し上げます。

死者というテーマを理解し、友を失って嘆き悲しむ⼈々を慰めるためには、神の性格と存在、そして神がどのようにしてそうなったのかを理解する必要があるでしょう。私たちは、神が永遠の昔から神であったと考え、想像してきました。私はその考えに反論し、ベールを取り去って、あなた方の前に明らかにします。

これらはある⼈にとっては理解しがたい考えですが、単純なことです。福⾳の第一の原則は、神の性質を確実に知ることであり、⼈が⼈と会話するように神と会話することであり、神がかつて私たちと同じ⼈であったことを知ることです。

⽗と⼦の⼒

迫害が永遠になくなるような方法でこの話ができますように。イエスは何と
言われたのでしょうか(リグドン⻑⽼、覚えておいてください︕)聖典によ
れば、イエスはこう言われました。「⽗がご⾃分のうちに生命(※原文は
power)をお持ちになっていると同様に、⼦にもまた、⾃分のうちに生命
(power)を持つ(※ヨハネ 5:26)ーー何をすると言っていますか︖⽗が
なされたことをする、と言っているということは明らかです。ーー私のいの
ちを捨て、それを再び取り上げるのです」(※ヨハネ 10:17)。イエスよ、
あなたは何をしようとしているのでしょうか︖⽗がされたように、私のいの
ちを捨て、それを再び取り上げるのです。私たちはそれを信じるでしょう
か︖もし、信じないのであれば、聖書を信じていないことになります。聖典
はそのように言っています。私は、あらゆる学問と知恵、そして地上と地獄
の⼒を合わせて、それに反論することを拒否します。

ここに永遠の命があります。唯一真なる神を知るためにそして、あなた方
は、神々となり、王となり祭司となる方法を学ばなければなりません。これ
は、あなた方以前のすべての神が⾏ってきたのと同じことです。つまり、⼩
さな一段から別の一段へ、そして、より⼤きな一段へと進むことによってで
す。恵みから恵みへ、⾼みから⾼みへ、死者の復活に⾄るまで、永遠に燃る
炎の中に住み、永遠の⼒に座している⼈々と同じように、栄光の中に座るこ
とができるようになるまで。そして、神が終わりの⽇に、特定の個⼈が神の
名を唱えている間、あなたや私を軽んじられることはないということを知っ
ていただきたいのです。

とこしえの燃える⽕の中に住む(※イザヤ33︓14)正しい⼈々

これが慰めの第一原則です。夫、妻、⽗、⺟、⼦供、あるいは親しい親族と
別れを求められたとき、地上の幕屋(※肉体)は横たえられ、朽ちたとして
も、彼らは再びよみがえり、永遠に燃え続ける不滅の栄光に住み、これ以上
悲しみ、苦しみ、死ぬことはないと知ることは、喪に服す者にどれほど慰め
を与えることでしょう。しかし、彼らは神の相続⼈であり、イエス・キリス
トとの共同相続⼈です。それは何でしょうか︖同じ⼒、同じ栄光、同じ⾼み
を永遠の王座に就くまで、先⼈達と同じように受け継ぐということです。イ
エスは何をしたのでしょうか︖世界が存在するようになったとき、⽗がする
ことをしたのです。⽗は畏敬をもって⾃分の王国を築き上げました。そうす
れば、継承者は王国の中に王国を得ることができ、それによって栄光のうち
に⾼められるでしょう。こうしてイエスは⽗の足跡を歩み、神が以前になさ
ったことを受け継いだのです。こうして神は、すべての⼦たちの救いと⾼み
において栄光を受けるのです。このことは議論の余地がないほど明⽩であ
り、あなた方はこうして、これまで多くのことが語られてきた福⾳の第一原
則のいくつかを学びます。

はしごを登るときは、一番下から始めて、一歩一歩登っていき、一番上にた
どり着きます。福⾳の原則も同じで、最初の原則から始めて、⾼みの原則を
すべて学ぶまで続けなければならなりません。しかし、ベールをくぐってか
らそれらを学ぶまでには、かなりの時間がかかるでしょう。この世ですべて
を理解できるわけではないからです。墓の向こうでも、私たちの救いと⾼み
を学ぶのは偉⼤な業です。そして、私には聖書に書かれていないことを研究
することは許されないと思います。もしそんなことをしたら、「背信」と叫
ばれ、私は死を免れないでしょう。というわけで、今⽇は聖書の注解につい
て学ぶことにしましょう。

ヘブライ語聖書の意味

私は、聖書の中で一番最初に出てくるヘブライ語の単語、つまり、聖書の中
で天地創造の一番最初に出てくる文章のベロシート(Berosheit)について
分析します。Baith(バイス)【中に、通して、その他すべて】 Rosh 【
頭】 Sheit 【文法上の終止】。霊感を受けた⼈(※著者)がこれを書いたと
き、彼はそこにbaithを入れせんでした。何の権威もない年⽼いたユダヤ⼈
が、頭(Rosh)について語り始めるのはあまり良くないと考え、この言葉
Baith(バイス)を付け加えたのです︕もともと「神々の頭(Rosh)の一⼈
が神々を生んだ」 と書かれていました。これがその言葉の真意です。バウラ
ウ(Baurau)は "生み出す "という意味です。これを信じないなら、神の学
識ある⼈物を信じないことになります。学識ある者は、私があなた方に話し
たこと以上のことは教えられません。こうして、神の⻑(Rosh)は⼤評議会
で神々を生み出しました。

私はそれを英語に置き換え、簡略化します。ああ、私を迫害してきた弁護⼠
たち、博⼠たち、司祭たちよ、私は、聖霊があなた方と同じように何かを知
っていることを知ってもらいたい。神の⻑が神々を招集し、世界を生み出す
ために⼤評議会を開きました。⼤評議員たちは天のかなたに座し、その時創
造された世界について熟考しました。私が博⼠や弁護⼠と言ったのは、聖典
の博⼠や弁護⼠のことです。私がこれまで何の説明もなしにそうしてきたの
は、皆が彼らを一笑に付し、法律家たちをうろたえさせるためです。ある学
識ある博⼠たちは、聖典にはこう書いてあると言うかもしれない。しかし、
私は聖典の中にある誤りを示そうと思っています。

私はラテン語、ヘブライ語、ドイツ語、ギリシア語で書かれた新約聖書の古
い版を持っています。私はドイツ語を読んでいますが、それが最も(ほぼ)
正しい翻訳であり、過去14年間神が私に与えてくださった啓示に最も近いも
のであることがわかりました。そこにはゼベダイの⼦ヤコブ(Jacobus)に
ついて書かれています。ヤコブ(Jacob)という意味です。英語の新約聖書
ではヤコブ(James)と訳されています。ヤコブ(Jacob)が鍵を持ってい
るなら、ヤコブ(James)のことを永遠に語っても、そのことについて理解
することはできないでしょう。マタイによる福⾳書第4章の21節では、私の
古いドイツ語版ではヤコブ(James)の代わりにヤコブ(Jacob)となって
います。

博⼠たち(物理学ではなく法学者のこと)は言う。“聖書に沿わないことを説くなら、私たちは背信とみなすだろう”と。神が私たちとともにおられ、私たちに啓示してくださるのでなければ、どうして地獄の苦しみから逃れることができるでしょうか︖⼈の考えは私たちを鎖で縛っています。ラテン語では
ヤコブ(Jacob)と言い、ドイツ語でもヤコブ(Jacob)と記されていま
す。私はこの古い本を⼿に入れたことを神に感謝しますが、それ以上に聖霊
の賜物に感謝します。私は世界で最も古い書物を⼿に入れましたが、聖霊の
賜物により、⼼の中では一番古い記録を持っていると言えます。私は四つの
聖書をすべて持っています。学識ある者たちは、ここに来て、できることな
ら読んでください。神々の頭であり、神々の⽗であるRosh(頭)いう言葉を
裏付けるためでなければ、私はこの証を紹介しなかったでしょう。決して私
が正しいことを示すために、この話を持ち出しているのではありません。

神々の会議

初めに、神々の⻑が神々の会議を招集し、集まって世界と⼈々を創造する計
画を練ります。このように学び始めると、唯一真の神を知り、どのような存
在を崇拝しなければならないかを学び始めることになります。神について知
ることで、神にどのように近づき、どのように尋ねれば答えが返ってくるか
を知るようになります。私たちが神の性質を理解し、どのように神のもとに
⾏くべきかを理解すると、神は私たちに天を広げ、そのすべてを語り始めま
す。私たちが神のもとに⾏く準備ができたとき、神は私たちのもとに来る準
備ができているのです。

さて、私の話を聞くすべての⼈に問いたいと思います。救いを説いている学識ある⼈たちが、なぜ神は天地を無から創造されたと言うのでしょうか。その理由は、彼らが神のことについて学んでおらず、聖霊の賜物を持っていないからです。もしあなた方が、神がすでに存在する何かしらの物質から世界を造られたと言えば、彼らはあなた方を愚か者と呼ぶでしょう。しかし、私はこの世の誰よりもそのことについて学び、知っています。そして、聖霊は私の内におられ、この世のすべてのものよりも多くのことを理解しています。

創造という言葉の意味

学識ある博⼠たちに、なぜ世界は無から作られたのかと尋ねると、彼らはこ
う答えるでしょう。「聖書には主が世界を創造したと書いてある」と、彼ら
は創造という言葉から、世界は無から作られたに違いないと推論する。
baurauから来るcreateという単語は、無から創造するという意味ではなく、
⼈が材料を組み⽴てて(organize)船を作るように、組織(organize)する
という意味である。したがって、神は混沌から世界を組織化するための材料
を持っていたと推測される。混沌物質とは元素のことであり、その中にすべ
ての栄光が宿っている。要素(エレメント)は、彼が存在した時から存在し
ていた。要素(エレメント)の純粋な法則(principles)は決して破壊され
ることのない原理(principles)であり、組織化され再編成されることはあ
っても、破壊されることはない。それらは始まりもなく、終わりもありませ
ん。

不滅の魂

私は、⼈を⾼める、もうひとつの主題に触れたいと思います。しかし、この
テーマについて多くを語ることは不可能です。時間があってもすべてを語る
ことはできないので、少しだけ触れておきましょう。それは死者の復活と関
連しています。すなわち、魂、⼼、不滅の霊魂のことです。それはどこから
来たのでしょうか︖すべての学識者や神学者たちは、神が初めに創造したと
言うでしょう。その考えは、⼈の価値を下げるものでしかありません。私は
その教義を信じません。世界の果てにいる皆さん、聞いてください。神が私
にそう言われたのです。もしあなたが私を信じなくても、真実が変わること
はありません。もし信じてもらえないのであれば、そのことが、その⼈を愚
か者に仕⽴て上げるでしょう。なぜなら、私はもっと崇⾼なことを話すつも
りだからです。

私たちは、神ご⾃⾝が⾃ら存在するものである思っています。誰がそう言っ
たのでしょうか︖それは正しいことです。しかし、どうしてあなた方の頭の
中にそのように入ったのでしょう︖同じ理屈で(※神と)同じように⼈が存
在しないと誰か言ったでしょうか。⼈は(※神と)同じ原則で存在していま
す。神は幕屋(※肉体)を作り、その中に霊を入れられました。ヘブライ語
では、神が⼈間の霊を創造したとは書かれていません。神は⼈を地から造ら
れ、アダムの霊を入れられました(※創世2︓7参)。

⼈間の持つ⼼や知性は、神ご⾃⾝と同等なのです。私は⾃分の証が真実であ
ることを知っています。それゆえ、私が喪主たちと話すとき、彼らは何を失
ったのでしょうか︖神とともに存在していた彼らの霊魂は、いわばほんの少
しの間だけ、⼟の幕屋を離れたのです。そして彼らは今、地球上の私たちと
同じように会話を交わせる場所に存在しています。

私は⼈間の霊の不滅性について考えています。霊の知性(The intelligence
of spirits)は不滅なので、それに始まりがあったと言うのは論理的でしょう
か︖霊の知性には始まりはなく、終わりもありません。それが正しい論理で
す。始まりがあるものには終わりがあるかもしれませんが、霊のない時代は
存在しません。霊は天におられる私たちの⽗と対等(co-equal
[co-eternal])だからです。

私は⼈の霊についてもっと説明したいと思いますー死というテーマですか
ら、⼈の肉体と霊についてこだわります。私の指から指輪を取り出し、それ
を⼈の⼼に例えますーこれは不滅の部分です。指輪を⼆つに切るとしましょ
う。すると、始まりと終わりができます。⼈の霊も同じです。主が生きてお
られるように、始まりがあれば終わりもあります。天地創造の初めから、⼈
の霊には始まりがあったと言う愚か者も、学識ある賢者も、皆、その霊には
終わりがあるはずだと証しています。もしその教義が真実であれば、絶滅主
義の教義も真実となるでしょう。しかし、もし私の考えが正しければ、神は
⼈の霊を創造する⼒などまったく持っていなかったと、⼤胆に世間に宣言で
きます。神は⾃分⾃⾝を創造することはできなかったのです。

知性(Intelligence)は永遠であり、⾃己存在の原則に基づいて存在しま
す。それは時代から時代へと続く精神であり、それについて創造はありませ
ん。神がこの世に送り出したすべての精神と霊は、成⻑していきます。

知識を深める⼒

⼈の第一の原則は神と共に⾃己存在するということです。神⾃⾝は、彼が精
神と栄光の真っ只中にいることを発⾒し、より知的であったため、他の者が
ご⾃分と同じように進歩する特権を持つことができるような律法を制定する
のが適切であると考えました。神との関係は、私たちの知識をより進歩する
状況に置きます。神は、弱い知性を指導するための律法を制定する⼒を持っ
ておられます。それは、彼らが⾃分⾃⾝で⾼められるようにするためであ
り、そうすることで、彼らが他者の上に一つの栄光を得ることができるよう
になります。そして、その知識、⼒、栄光、知性のすべてが、霊の世界で彼
らを救うために必要なものなのです。

これは良い教義で、永遠の命の原則を味わうことができます。それはイエス
・キリストの啓示によって私に与えられたものであり、この永遠の命の言葉
をあなたがたに語るとき、あなたがたはそれを味わい、信じることを知って
います。あなたがたは、私のように蜜を甘いと言いますが、永遠の命の霊も
同じように味わえます。私もそれが良いものだとわかっています。そして、
聖なる御霊によって与えられたこれらのことをあなたがたに語るとき、あな
たがたはそれらを甘美なものとして受け取り、ますます喜ぶに違いありませ
ん。

⼈間と神との関係

⼈間と神との関係についてもっと話したいと思います。私は死者との関係に
おいて、あなた方の目を開かせましょう。神はその無限の英知において、私
たちが死すべき肉体に宿っている間に、私たちに啓示することが適切である
と⾒なされたすべてのことを、抽象的に、この死すべき幕屋との関連性とは
無関係に(私たちには全く⾝体がなかったかのように)、正確に私たちに啓
示されます。そして、私たちの霊を救う啓示は、私たちの肉体をも救うので
す。神は、肉体または幕屋が永遠に消滅しないことを考慮して、それらを私
たちに啓示されるのです。したがって、死者に関連して私たちに課せられた
責任はどのようなものでしょう。肉において福⾳に従わなかったすべての霊
は、霊において福⾳に従うか、あるいは呪われるままかのどちらかでなけれ
ばならないのです。私たちになすすべはないのでしょうか︖⼈の⼦の定めに
従う機会がないまま死んでしまった私たちの先祖や友⼈のために、何の準備
も救いもないのでしょうか︖神に願わくは、四⼗⽇四⼗夜、あなた方にすべ
てを伝える時間があればよかったものを︕私は 「堕ちた預言者」 ではない
ことをお伝えします。

私たちの最⼤の責任

死者の救いというテーマに関して、どのようなことが約束がされているので
しょうか。また、肉体が墓の中で腐敗し、朽ち果てようとしているにもかか
わらず、救われる⼈とはどのような⼈たちなのでしょうか。神の戒めが私た
ちを教えるとき、それは永遠を⾒据えたものとなります。神は永遠の中に住
まわれているため、私たちと同じようには物事を⾒られません。

神が私たちに課されたこの世における最⼤の責任は、死者を探し求めること
です。使徒は「わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。
」(ヘブル11︓40)と言っています。なぜなら、私たちの⼦供たちや死者
を、世が基礎を築く前にイエス・キリストが⼈の救いのために約束されたこ
とを満たすため、つまり時満ちる時代に結び固められるためには、結び固め
の⼒が私たちの⼿にあることが必要だからです。

では、それらについて話します。私は道半ばでパウロに会うでしょう。そし
てこう言います。パウロ、あなたは私たちなしには完全にはなれません。先
に⾏く者も後に来る者も、私たちと共通の救いを得ることが必要であるから
です。このように、神はそれを⼈に義務づけられたのです。それゆえ、神は
こう仰せられました「⾒よ、主の⼤いなる恐るべき⽇が来る前に、わたしは
預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は⽗の⼼をその⼦供たちに向けさ
せ、⼦供たちの⼼をその⽗に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをも
ってこの国を撃つことのないようにするためである」(マラキ4:5-6)

⼈の救い

私は、神が⼈の条件に合うように、この世の創世以前から定めておられる規
定に関して、宣言しなければならないことがあります。イエスは何と言った
でしょうか。すべての罪、すべての冒涜、唯一の例外を除いて、すべての罪
は赦されるでしょう。現世でも霊界でも救いがあります。それゆえ神は、赦
しがたい罪を犯さない限り、永遠の世界にあるすべての霊を探し出し、救う
ことができるという定めをなされました。神はすべての⼈に救いを与えられ
ましたが、ある罪を犯した場合は別です。そして、永遠の世界に友を持つす
べての⼈は、赦されざる罪を犯さない限り、その⼈を救うことができます。
そうすれば、⾃分がどこまで救い主のようになれるかがわかるでしょう。

赦されざる罪

肉体が消滅した後では、⼈は赦されざる罪を犯すことはできないので、逃れ
る道が開かれます。知識(Knowledge)は⼈を救います。霊の世界では、知
識によってでなければ、⼈が⾼められることはありません。⼈は戒め
(commandments)に⽿を傾けない限り、救われない状態に留まります。
もし⼈が知識(Knowledge)を持つなら、その⼈は救われるでしょう。とは
いえ、⼤きな罪を犯したとしたら、その罪によってその⼈は罰せられます。
しかし、現世であろうと霊界であろうと、福⾳に従うことを承諾するとき、
その⼈は救われます。

⼈は⾃分⾃⾝を苦しめる者であり、断罪する者です。それゆえ、彼らは硫⻩
の燃える池に入るだろうと言われています。⼈の⼼の中にある失望の苦しみ
は、⽕と硫⻩で燃える池のように壮絶です。肉体的な苦痛もまたそうです。
私は聖典を知り、理解しています。私が言ったのは、肉体が朽ちた後に赦さ
れない罪を犯すことは誰にもできないし、現世でも、聖霊を受けるまでは赦
されない罪を犯すことはできません。しかし、現世ではそれ(※聖霊を受け
ること)をしなければならないということです。それゆえ、イエス・キリス
トの救いは、悪魔に勝利するために、すべての⼈のために⾏われます。もし
ある場所で捕まらなくても、別の場所では捕らえられることになるからで
す。彼は救い主として⽴ち上がったのですから。すべての⼈は、キリストご
⾃⾝に従うまで苦しみます。

天上の会議では、イエスでは救われない霊が存在するであろうと論じられま
す。悪魔は彼ら全員を救えると、⼤評議会の前に⾃らの計画を呈しますが、
⼤評議会はイエス・キリストに賛意を示すします。そこで悪魔は神に反抗し
て⽴ち上がり、彼らを⽀持するすべての者たちとともに地に投げ落とされま
した。(⾼価なる真珠 モーセ書 4:1-4;アブラハム書 3:23-28)

罪の赦し

聖霊に対する罪を除き、すべての罪は赦されます。なぜなら、滅びの⼦らを
除いて、イエスはすべてを救われるからです。⼈はどのように赦されざる罪
を犯すのでしょうか︖そうなるには、まず、聖霊を受け、天が開かれ、神を
知らなければなりません。聖霊に対して罪を犯した後、悔い改めることはで
きません。これは、一度天が開かれたにもかかわらず、イエス・キリストを
否定し、救いの計画の真理に目を向けたまま、それを否定することによるの
です。末⽇聖徒イエス・キリスト教会の多くの背教者がそうだと言えます。
⼈がこの業に敵対し始めると、私を追って、殺そうとし、血を求めてやまみ
ません。彼は悪霊を⼿に入れます。ーそれは、命の主を⼗字架につけたのと
同じ霊ですーそして、聖霊に対して罪を犯すのと同じ霊でもあります。その
ような者を救うことはできません。悔い改めさせることもできないので、彼
らは悪魔のように公然と戦いを挑み、その結果は恐ろしいものとなります。
皆さんには慎重に⾏動することをお勧めします。さもなければ、騙されるこ
とになるかもしれません。もし悪い霊があなたがたの中にいるなら、⾃分の
ままでいて、道を譲らず、慌てないでいれば、助かるかもしれません。「あ
の⼈は罪⼈だ」と言うかもしれませんが、悔い改められるのであれば、赦さ
れることでしょう。⽤⼼してください。流血や殺⼈を望む霊を⾒つけたら、
それは神からのものではなく、悪魔から来るものです。⼈は⼼の豊かさから
言葉を語ります。

"⽗の家で"

最⾼の⼈は最⾼の務めをもたらします。命の言葉を語る⼈こそ、あなたを救
うことができる⼈です。私は、聖霊に対して罪を犯すすべての悪⼈に対し
て、警告します。現世でも来世でも彼らのための贖いはないからです。
時間さえあれば、神と⼈の関係に関する、あらゆる関⼼事をさかのぼること
ができます。そして、私は永遠の神秘の世界に入ることができます。という
のは、イエスはこのように言われました「わたしの⽗の家には多くの住まい
がある。そうでなかったら、わたしはあなたがたに言っていただろう」(ヨ
ハネ14:2)パウロは言います「⽇には一つの栄光があり、⽉には別の栄光が
あり、星には別の栄光がある。死者の復活もまた同様である」(1コリント
15:41、42)死者との関係で、私たちを慰めるものがあるでしょうか。私た
ちには、地球上のすべての⼈々の中で、死者に最⼤の希望と慰めを持つ理由
があります。なぜなら、私たちは、彼らが私たちのただ中で⽴派に歩み、イ
エスの腕の中で眠りにつくのを⾒たからです。信仰の中で死んだ者たちは、
⽇の栄の王国にいます。それゆえに、⽇の栄光があります。

正しい喪主は喜ぶ

キング・フォレット⻑⽼の訃報に接し、あなた方弔問者は喜ぶに違いありま
せん。あなたがたの夫であり、⽗であるフォレット⻑⽼は、死者の復活を待
つため、すなわち、残された者たちの完全な復活を待つために旅⽴ちまし
た。というのは、復活の時には、あなたの友は完全な幸福のうちに⽇の栄へ
と昇るでしょうが、一方で多くの者は同じような祝福を受けるためには、幾
年も待たなければなりません。そして、あなたの期待と希望は、⼈が想像で
きるものをはるかに超えています。なぜ神はそれを私たちに啓示されるので
しょうか︖

私は、聖霊によって、あなた方が恐れることはないと言う権限を与えられて
います。彼はただ家に帰っただけなのですから。悲しまないでください、泣
かないでください。私の内にある聖霊の証しによって、私はそれを知ってい
ます。あなたは、⽇の栄の朝に友⼈たちが迎えに出てくるのを待つことがで
きます。

イスラエルよ、喜びなさい!真理のため、迫害によって殺されたあなた方の友
⼈たちは、⽇の栄で輝かしい勝利を⼿にするでしょう。また、その殺⼈者た
ちは、たとえ全財産を⽀払っても、苦しみの中で生き⻑らえることでしょ
う。私は、⾒知らぬ⼈々のためにこのように言います。
私には、霊の世界に⾏ってしまった⽗、兄弟、⼦供たち、友⼈たちがいま
す。彼らがいないのはほんの一瞬です。彼らは霊界にいて、やがてまた会え
るでしょう。ラッパが鳴る時が来ます。私たちが旅⽴つとき、イエスにあっ
て眠りについた⺟、⽗、友⼈、そして私たちが愛するすべての⼈たちを迎え
て、暴徒や迫害、悪意ある訴訟や逮捕の恐れはなく、そこには永遠の幸福が
待っています。

バプテスマ

この話はこの辺にして、バプテスマについて少し述べておきます。⽕のバプ
テスマと聖霊のバプテスマが伴わなければ、⽔のバプテスマは何の役にも⽴
たちません。それらは必然的かつ不可分に結びついています。神の国に入る
ためには、⽔と御霊から生まれなければならないからです。ドイツ語でのこ
の文章は、私が過去14年間、このテーマで授け、教えてきた啓示と同じであ
ることを証明しています。私には、彼らの⻭に⾐着せぬ証言があります。私
の証言はずっと真実でした。バプテスマのヨハネの宣言の中に(ドイツ語か
ら)「わたしは⽔であなたたちにバプテスマを授けるが、わたしよりも⼒の
あるかたが、おいでになる。このかたは、聖霊と⽕とによってあなたたちに
バプテスマをお授けになるであろう。」(ルカ3:16)この聖句の中にそれを
⾒つけることができるでしょう。今、世界の宗派はどこにあるでしょうか︖
もしこの証が真実なら、彼らは皆、アナテマ(※呪い、《カトリック教会》
破門)同様にはっきりと呪われています。私はこの文章が真実であることを
知っています。それが真実であることを知っているすべてのドイツ⼈に 「は
い」 ("Aye.")と言うことを求めます。

アレクサンダー・キャンベル(無宗派のキリスト教会牧師)氏、⽔だけでど
うやって⼈々を救うつもりでしょうか︖ヨハネは、イエス・キリストのバプ
テスマがなければ、⾃分のバプテスマは何の役にも⽴たないと言いました。
「それゆえ、キリストの教義の原則を離れず、完全なものへと進み、死んだ
⾏いからの悔い改めと、神への信仰との⼟台を再び築かず、バプテスマ、按
⼿、死者の復活と永遠の裁きの教義についても、神がお許しになるなら、完
全なものへと進みましょう。」(JSTヘブル6:1-3)

神はひとり、⽗はひとり、イエスはひとり、召しはひとつ、バプテスマはひ
とつ。多くの⼈は、バプテスマは救いに不可⽋なものではないと語るが、こ
のような教えは彼らに罰を招くことになる。私は真実を知り、可能であれば
反論しようと世界に挑んでいる。

私は今、ラテン語を少し、ヘブライ語、ギリシャ語、ドイツ語を少し説きま
した。私は多くの⼈が思っているほど愚か者ではありません。ドイツ⼈は私
がドイツ語を正しく読んだことを知っています。

悔い改めへの呼びかけ

聞きなさい。地の果てにいる⼈々、祭司たち、罪⼈たち、またすべての⼈た
ちよ。悔い改めよ︕悔い改めよ︕福⾳に従いなさい。神に⽴ち返りなさい。
というのは、あなたの宗教があなたを救うことはなく、あなたは呪われるか
らです。すべての⼈が地獄から贖われることについて先に述べましたが、聖
霊に対して罪を犯した者は、この世でも来世でも赦されることはありませ
ん。彼らは第⼆の死を迎えるでしょう。赦されざる罪を犯した者は、グノー
ラーム(地獄、※永遠を意味するヘブライ語の⾳訳【アブラハム3:18】)に
送られる運命にあります。彼らは現世で流血を招くので、⽕と硫⻩の池のよ
うな復活によみがえります。ある者は、神のとこしえの燃える⽕の中に召さ
れ、ある者は、⽕と硫⻩の池のような苦しみである、⾃らの汚れの責め苦の
中に陥る。

私は、富める者も貧しい者も、⾃由な者も束縛された者も、偉⼤な者も⼩さ
な者も、すべての⼈に向けて発言しました。私は誰に対しても敵意はありま
せん。あなた方全員を愛しています。しかし、あなた方のいくつか⾏為は残
念な思いです。あなた方は親友であり、個⼈的な過ちは、その⼈⾃⾝の責任
です。もし、わたしがある⼈を叱責したからといって、その⼈が私を憎むの
であれば、その⼈は愚か者だということになります。なぜなら、私はすべて
の⼈を愛しています。特にこの兄弟姉妹たちを。わたしは年⽼いた友⼈たち
の証を聞いて嬉しく思います。しかし、あなた方は私を知りません。決して
私の⼼を知り得ません。誰も私の過去(※history)を知りません。そして、
私はそれを伝えることができませんし、決して伝えようとは思いません。私
の経歴(※history)を信じない⼈を責めるつもりはありません。私が経験し
たことでなければ、私⾃⾝も信じることはできなかったでしょう。私はこの
世に生まれて以来、⼈に危害を加えたことはありません。私の声は常に平和
のためにあります。

私は、⾃分の務めをすべて終えるまで休むことはできません。私は決して悪
を考えず、同胞を害するようなことはしません。私が⼤天使のラッパにより
呼ばれ、その天秤で量られるとき、あなた方はそのとき、私のすべてを知る
ことになるでしょう。これ以上付け加えることはありません。神のご加護が
ありますように。アーメン。
www.DeepL.com/Translator+個⼈訳

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?