男性視点による”女性視点” 国際婦人デー
女性落語家を見て、なぜ「なんとなくモヤモヤする」か。自分に対してもそうであるし、他の女性落語家に対しても「なんとなくモヤモヤする」。他に表しようがない。賞賛、羨望、蔑視、、そういう語彙では表せない、とにかく「なんとなくモヤモヤする」である。
ある先輩から「お前がおもしろいと思ってることがまるでわからない」と言われたことがある。その先輩の前で披露した話(マクラの部分)は、農協女性部会や自治会の婦人会ではかなりウケた話であった。その先輩からは古典落語を”女性視点”でやった方が良いとアドバイスされたし、他の先輩からも言われた。実際若手の女性落語家の皆さんが素晴らしい改作を発表しているようである。しかし、この”女性視点”というのは”男性が分かる、理解の範疇内での女性視点(例・婚活、スイーツ)ではないだろうか?これは件の先輩が思っていることだけではなく、男性のお客様にも当てはまらないだろうか?
落語会や寄席においでになるお客様で一番多いのは中高年男性である。その層に好かれなくては、まず売れない。すると、そういう方に好まれる外見や話す内容、”男性が思うところの女性視点”が大量生産される。お金を払って見てくれているのだから迎合するのは当然である。また、評価する席亭さんや評論家の多くも男性である。結果、女性落語家自身が意識的または無意識にそこに寄せていってしまい、本来その人が持つ”視点”に蓋を”してしまう”可能性がある(「好まれるオンナ」と命名したい)。
他にも、性差別がひどい場所で極度に男性社会に迎合する、いわゆる「わきまえたオンナ」になろうとすると、栗田隆子さんが言うところの男性より男性的な価値観を持ってしまうことが起き得る。(http://dontoverlookharassment.tokyo/2023/02/08/kurita2/)
女性である私が女性落語家を見て「なんとなくモヤモヤする」原因はこの二点からくるのかもしれない。
「好まれるオンナ」も「わきまえたオンナ」も女性のお客様が見ると「なんか違うんだよね」と感じ、それが発端になり、女性による女性嫌悪が生まれるのではないか?マイノリティこそ連帯が必要であるが、「好まれるオンナ」、「わきまえたオンナ」、「それ以外のオンナ」の間に分断が起こっているとしか思えない。
そう、私は「好まれるオンナ」、「わきまえたオンナ」にもならず「それ以外のオンナ」になりたいのだなと気づいた。