人間釈迦を読みながらチャネリング③

第28回過去ツイートまとめ
2013年1月29日の分です。

僕「さて、今日のつぶやきタイムがやって参りました。」

◯◯「こんにちは。アドバイザーの◯◯です。」

僕「こんにちは。ツッコミ役の林です。

今日も皆様の心の平安を祈りながらお送りいたします。」

◯◯「なぜアドバイザーにツッコむ必要があるのでしょうか。。。」
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◯◯「今日のテーマです。

【現代人を苦しめるストレスに対してどうすればよいのか】。」

僕「大変気になるテーマです。」

◯◯「これについてお釈迦様の教えを引用してアドバイスしたいと思います。」

僕「(自作自演っぽいなぁ・・・)」
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仏陀「そなたたちは、他人から暴力をふるわれたり、ののしられたり、うらまれたりすると、その言動にとらわれ、心はイライラし、怒りをいだいてしまうが、これでは怒りからいつまでも解放されることはない。」


仏陀「許すことも慈悲であり、怒りから解放される仏の光である。怒りの原因をよく知って、心の中に怒りの毒を食べてはならない。


怒りは怒りによって報いるものではない。そうしたところで、心の中の怒りは決して消えるものではない。」


仏陀「外でしきりに雨が降っているとしよう。そなたらは家の中で雨をしのいでいる。もし、家の屋根が悪かったとしたら、雨漏りがして、家の用をなさないことになる。


それと同じように、法をよく修めないと、心にむさぼりが生じてきて、堕落の道に落ちて行くことになる。」


仏陀「人の心は常に欲望を満たそうとする。調和の心を維持することは非常に難しいものである。


しかし、難しいからといって、怒りやむさぼりに心を許したならば、心はいつまでも安らぎを得ることはできない。」


僕「つまり、むかつくことや落ち込むことがあっても、

同じように怒りのままに対応したり自己卑下して堕落していってはまずい、と。」

◯◯「そうです。

家造りの基本は土台をしっかり造ることです。

人間でいうなら正しい教えを知り、

実践することです。」

僕「で、それを

『そうは言っても難しいんだよね』

と言っていつまでもやらないから、

いつまでも苦のスパイラルから解放されないわけですね。」

◯◯「正しく生きることを決意し、行動に移す。

行動とは実際に体を動かすことではありません。

見ること、思うこともそうです。」
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仏陀「遊行の道を歩む者は、自分より優れた者か、あるいは同等の者たちと行くがよかろう。


なぜならば、悪友とともにあると、そなたたちの心まで荒らされ、不調和な道を歩むことになりやすいからである。


悪友は猛獣よりも恐ろしいことを知らなくてはならない。」


仏陀「野にいる猛獣はそなたたちの肉体を滅ぼしてしまうかもしれないが、心まで滅ぼすことはできない。


だが悪友は、その大事な心まで毒してしまう。注意すべきは悪友であり、悪友にこそ正しく接しなければならない。」


僕「一緒に過ごす人たちってすごく大事ですよね。

あと、この『悪友にこそ正しく接しなければならない』ってとこがミソですね。」

◯◯「悪友が危険だと認識することと、

悪友を批判したり否定することは違います。

この人は自分に悪い影響を与えるから悪い人だと思うなら、

それは正しく見てもいないし、

正しく思ってもいません。

その人そのような人である、というだけですね。」
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仏陀「知と意というものは、もともと欲望によって働くもので、心が不在になるとあらゆる方へ走り出すものなのである。


動物の中でも知が働くものに猿がいる。猿は小賢しい知が働くので、これを捕まえるには、その知を利用すればよい。


仏陀「丸いツボの一端に紐を結び、木の根元にくくりつけ、ツボの中に果物を入れておく。


猿はそのツボの中をのぞき、果物を見ると、それを欲しさにツボの中に手を差し入れる。


そうして果物をつかむ。ツボの入り口は小さい。


仏陀「手がやっと入るほどなので、果物をつかみ出そうとすると果物をにぎった手が狭いツボの出口にさえぎられ、抜くことができない。


果物を離せば、やすやすと手を抜くことができるが、果物欲しさにそれができない。


人間が欲望を手放せない様子もこれと同じである。」


僕「お〜これはわかりやすいたとえですねえ!

さすがお釈迦様!」

◯◯「ふっふっふ」

僕「でもこれ、手を抜いてからツボを逆さまにすれば果物出せませんか?

猿ならそれぐらいすぐ気づきそうな気がするんですが。

あとツボを割って取り出すとか。」

◯◯「(‾□‾;)」

◯◯「・・・欲望を手放すとは、欲しい物をつかんで離さない思いを手放すということです。

それによって自由になるのです。」

僕「(なかったことにした!

何事もなかったかのように続きを話し始めた!)」
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仏陀に対して、お前の教えは本当に本物なのか?

本当だというのなら証明してみせろ!と

イチャモンをつけてくる人がいた。

その時のお釈迦様の対応はこうだ。
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仏陀「人から聞いた話をそのままうのみにすると、間違った見方や思い方をしてしまう。


まず、その事実を正しく自らの目で確かめ、考えるべきであろう。


そうでないと、人の話でねたみの心をつくり上げ、自分自身を暗い穴に引き込んでしまうだろう。」


仏陀「あの木になっているマンゴーの実を見なさい。あのマンゴーの味があなたにわかるか?」


男「あの色具合からみて、もうしばらく日数をおかないと味はよくないと思うが・・・それがどうしたというのだ?」


仏陀「取って食べれば、はっきりと味がわかろう。」


男「それはそうさ。とって食べれば味は誰だってわかるさ。」


仏陀「私のいわんとするところは、私の説く法を実践することだ。そうすれば法の味がわかるはずではないか。


人の噂や理屈だけで、あれこれ言う前に、
まず実践してみることだ。


そうすればマンゴーの味と同じように、甘いか酸っぱいか、わかるというものだ。


実践してみて、その上で『これは違う』『これは本物だ』とわかるものだろう。


知識として貯えた学問を生活の中に生かし、体験して智慧に変えることが、悟りへの道ではないか。


今という時に、自己を正せ。
今という時に自己を正さなければ、先にゆけばゆくほど更に大きな荷物となって、常に苦悩と同居することになろう。


場所や時間に関係なく、今に生きることが大事ということだ。明日があるという心を捨てよ。明日があると思うから気が緩み、愚かな人生を送ってしまう。」


◯◯「以上の仏陀の教えは

【人間釈迦 高橋信次 第3巻】

に収録されています。」

僕「背筋がピンっとなるような、

身の引き締まる思いでした。

ありがとうございました。」

僕「結局、知識を求める人って、その先がおざなりなんですね。」

◯◯「知識は実践を通して体験となります。

体験を通して智慧となります。

それがなければ知識は自分を惑わすだけのものでしかありません。

正しい知識は多いけれども苦しんでいる人は、

単純に実践を積むと良いでしょう。」

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2018年5月8日の僕のコメント

怒りに怒りで反応しない。

一緒に過ごす人は大事。

欲望は手放す。

知識は実践を経て智慧にしよう。

以上。

宗弘くんの超適当なまとめでした。

いつもありがとうございます。 あなた様のあらゆる苦厄が取り除かれますように。 薬師如来真言唱えさせていただきます。 おんころころせんだりまとうぎそわか