人間釈迦を読みながらチャネリング②
第20回過去ツイートまとめ
2013年1月12日分
今日も高橋信次さんの【人間釈迦】を読みながら。かなり長いので注意。
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普通、他人から誹謗されると、つい自分をかばう心がでて、怒りの感情が燃え出すものである。
他人から誹謗されるということは、誹謗される何かが自分にあるか、天の試練か、そのどちらかである。
しかし、天の試練といっても、試練に会うカルマ(業)が自分になければ試練は受けずに済むはずである。とすると、これも自分に帰着する。
自分にある原因を静かに見渡すだけの心の余裕、寛容さがなければ、少なくとも求道者とはいいがたい。
自己弁護とは自らを慰め、自らをやすきに導くなにものでもない。しかも自己弁護は、自己の相対観を、相手にも伝播させ、植え付けるものである。
したがって、自己弁護は、自分の心を傷つけるばかりか、相手の心をも傷つけるものであった。
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僕「はあ〜厳しい厳しい。
お釈迦さまの言うことは厳しいッスよ。
誰だって批判されたら自己弁護したくなるってもんでしょ。」
◯◯「別に自己弁護をするな、
それは悪いことだなどと言ってませんよ?
自己弁護すると怒りで心を乱す、
悟りから遠ざかる。
こうするとこうなると説明しているだけです。」
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地上に雲がかかると、太陽の光がさえぎられてしまうように、心の太陽も、自らの心の曇りによって光がさえぎられてしまう。
人間の苦しみ、悲しみは、この曇りがつくり出しているのだ。
湖面に映る月は美しい。しかし、ひとたび波紋が描かれると、その月影は無残に崩れてゆく。
人間の心もこれと同じように、波紋という心の乱れさえなければ、いつまでも大自然の恵みと、その美しさを失わずに済むのである。
自分の都合の悪いことには感情的となり、耳ざわりの良いこととなると腰を浮かしそれに乗ってしまう。なぜそうなるかということを、みつめようとしない。
世の混乱のもとは、問題の原因を求めず、こうした自己の都合、現象に左右されてしまうからであった。
僕「僕の場合、批判されると感情的になるのは、
自分の価値を侵害されたような気になるからかな。
賞賛されると調子に乗るのは、
誉めてもらいたいとか認めてもらいたいと思っているからですね。」
◯◯「そのように自分の中の原因を冷静に見つめることが大切です。」
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苦しみの原因は肉体ではなく、心が問題なのだ。思うこと、考えることの心の作用が、諸々の苦しみや悩みを生み出している。
その悩みは肉体の眼と、社会生活の体験と、自ら学んだ知識によって、あるものを美と感じ、醜いと見なし、善と思い、悪と断じているためにほかならない。
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◯◯「あなたは今、苦しんでいることがありますか?」
僕「まあそれなりに。」
◯◯「ではほんの少しでいいので、
それに関する心の動きを止めてみましょう。」
僕「・・・。」
◯◯「どうですか?」
僕「止めてる間は平気ですね。」
◯◯「人の苦しみは心が原因です。
ですから、問題を見つめずにすむ娯楽や快楽や享楽に没頭することで、心を止めて苦しみから逃れようとします。
でもそれは一時的な逃避でしかありませんから、
それが終われば再び苦しみが戻ってきます。」
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◯◯「ここから八正道です。丁寧に書きましょう。
長くなっても見る人は見るものです。」
僕「了解。どうせ俺用だろうしな。」
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まず人は、正しく見る目を養うこと。我欲を去った調和ある見解を求めるよう努めることであろう。
それには、己という立場があっては、正しさを求めることはできまい。
正しさの尺度は、男女、老若、地位、名誉といった立場を捨て去って、一個の人間として、大自然の己としてそしてその心の目で、ものを見る、相手を見る、現実を眺めることである。
調和の基本は、まず何はさておき見ることの正しい評価にあるといえよう。
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自分に直接関係のある諸問題が派生したときは、まず自分自身の心の姿を見ることが大事だ。
肉体の眼を通して外界の動きを正しくみるためには、その眼の奥にある心眼がキレイに磨かれていないと、肉眼に映った諸現象もゆがんでしまうからである。
各人の心は鏡である。その想念という鏡をたえず掃除しておくことだ。掃除は反省を通して磨かれてゆくであろう。
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【宗弘くんの超適当なまとめ】
八正道その一 『正しく見る』
◎物事をあるがままに観ましょう。
◎自分が関係すると途端に正しく観れなくなるので、常に自分の心をクリアにしておきましょう。
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思うことも、自己中心になると人との衝突はさけられまい。思うことは具象化するからである。
親愛の心を持って人に接すれば、人もまたそれに応えてくれるだろう。
すべて【思う】ことから出発している。思うことが自己本位に流れると、人と人との調和を崩し、争いの種をまくことになろう。
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【宗弘くんの超適当なまとめ】
八正道その二 『正しく思う』
◎愛と調和の思考をしましょう。
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【言葉】にしてもそうだ。
相手を見下す言葉、野卑な言葉を使っていると、いつしかその言葉に自分の心まで犯され、相手の心を刺激し、争いの原因をつくる。
言葉は言魂であり、生きた波動である。
謙虚な言葉、いつくしむ言葉、優しい言葉、勇気ある言葉、思いやりの言葉など、正しく語ることの重要性は、人間が社会生活を営む限り、絶対に欠くことのできない要件の一つである。
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【宗弘くんの超適当なまとめ】
八正道その三 『正しい言葉を使う』
◎言葉は言霊。波動が宿ります。
◎美しい言葉を使いましょう。
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「仕事」は、自らの生活を助けると同時に、人々の生活にうるおいをもたらすものである。健康で、快活に仕事ができるのは、自然の恵みと、人々の協力の賜物であろう。
正しく仕事をするには、まず感謝の心が大事であろう。そうしてその感謝の心は、報恩という布施の行為となって実を結ぶものであろう。
感謝と報恩を軸として、勇気と努力、それに智慧が三位一体となって働くときに、この地上はよりいっそうの豊かさをましてこよう。
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【宗弘くんの超適当なまとめ】
八正道その四 『正しく仕事する』
◎感謝の心を持ち、恩返しのつもりで仕事をしましょう。
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「正しい生活」とは、人生の目的と意義を知った生活であろう。助け合い、補い合い、笑いのある生活でなければなるまい。
それにはまず己自身の調和をつくってゆく。自分が円満になれば周囲もまるくなるはずである。自己をみつめる厳しい態度なくして、正しい生活はありえないものだ。
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【宗弘くんの超適当なまとめ】
八正道その五 『正しく生活する』
◎自分が楽しく生きて、周りと仲良くしましょう。
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「正しく精進する」とは、人間としての在り方であろう。人間は他人や大自然との関係を通して、はじめて自分自身の大きな自覚に到達できる。
自分以外のあらゆる存在は、自己を認識するための材料であり、魂の向上に不可欠なものであろう。
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【宗弘くんの超適当なまとめ】
八正道その六 『正しく精進する』
◎他人や大自然を通して自分を知りましょう。
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「正しく念ずる」とは、無制限に発展する欲望をコントロールし、足ることを知った、人生の目的を自覚した願いでなくてはなるまい。
念は願いである。
念のない生活、念のない人生はありえない。
ものを考える、思うことが出来るのは、人間の五体の中にそうした創造能力を生み出すエネルギーの働きがあるから可能なのである。
睡眠中はこうした能力は働かない。睡眠はエネルギーの休息であり、同時にエネルギー補給のために、人間は別次元に旅立つ。
魂というと否定する者もあろう。
しかし、魂のない人間は一人もいないのだ。
魂とは個性を持った意識をいうのである。
睡眠は肉体と魂の分離であり、目が覚めるとは、魂が肉体に入ることである。
考える、思うことは、肉体がするのではなく、魂を形成しているエネルギーの働きがあるから、可能になってくるのである。
人間は、肉体を持つと、肉体にまつわる想念に支配されてくる。自己本位になってくる。
これは俺のものだ、人に構っていては生きていけない、というように。
争いのもとは、こうした自己本位の想念、
つまり、そうした目的意識を持った念の働きが作用するために起こってくる。
そこで人間の目的は、調和にあるのだし、調和とは、助け合い、喜びを分かち合うことなのだから、人間の目的意識も、ここに焦点を合わす必要があるのである。
正念は、こうした調和という尺度を通してなされるものであるし、それゆえ正念の次元は非常に高い。
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【宗弘くんの超適当なまとめ】
八正道その七 『正しく念ずる』
◎助け合い、喜び合うといった高い次元から念じましょう。
僕「ノウマク サマンダ ボダナンバク…
ノウマク サンマンダー ボダナンバク…
ノウマクサンマンダーボダナンバク」
◯◯「覚えました?」
僕「釈迦如来真言・・・これも強いッスね。」
◯◯「次回のヒーリングで是非唱えてみて下さい。
真言を唱える時にもっとも重要なのは込める思いです。
真言は神に語りかける言葉です。
その言葉に真摯な思いが込もっていれば、
神に届かないわけがありません。」
僕「いくら神様でも、70億もいる人間のたった1人が唱えた時にちゃんとわかるの?」
◯◯「わかります。
それぞれの真言は神への直通電話のようなものですから。」
僕「あ、そういう感じなのね。
ただいま話し中とかないの?」
◯◯「ないです。安心してかけて下さい。」
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さて、最後の八つ目の前に「祈り」について書こうか。
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祈りは感謝の心を表し、その心で生活行為をしていく思念である。
人間は、一寸先闇の中で生活している。
明日がわからない。いつ災難がふりかかるか、あるいは喜びごとがあるか、わからない。
隣の人が今、どのように生活しているかもわからない。
そうした中で、健康で、楽しく、明るく生活できることにたいして、感謝する気持ちが湧き上がって来たときに、私たちは祈らずにはいられない気持ちになるものだ。
しかし通常は、願い事に終わっている。神社仏閣にいって、こうして欲しい、ああして欲しいと手を合わせる。
正しき生活行為、つまり調和に向かって努めている時には、その願い事、祈りはたいてい叶えられる。
正しき祈りは、次元の違ったあの世の天使の心を動かし、その願いを叶えてくれるからだ。この意味から「祈り」は天使との対話であるといえる。
これまでの祈りは、我欲のそれに使われ、祈っていればタナボタ式に何でも叶えられると思われている。
念仏を唱えればうまいことがある。祈っていれば救われるという風に考えられてきた。そんなものではないのである。
こうみてくると、念は目的意識であり、創造活動の源泉であり、祈りは生かされているという感謝と報恩の心、進んでは神との対話であるわけである。
僕「要はお願いしてる時点で欲望に心奪われちゃってるから、
今現在の命あることや生活できてることを神に感謝するのが正しい祈りってことでしょ。
そうすりゃ結果的に勝手に願いが叶っちゃうんでしょ。」
◯◯「そうです。」
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「正定」の根本は反省であろう。
ねたみ、怒り、そしり、そして諸々の執着から離れるには、反省をおいて他にはない。
反省を積むことによって、心と肉体の調和が生まれ、進んでは己の心と大宇宙の心との合一がはかられよう。
反省せずして心を空にすると、
マーラー(魔王)、ヤクシャー(夜叉)、
アスラー(阿修羅)、ナガー(竜、蛇)
に支配され、自分の心を悪魔に売り渡してしまうことになる。
正定は反省という止観の行為でなければなるまい。
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【宗弘くんの超適当なまとめ】
八正道その八 『正しく反省する』
◎反省すれば怒りや妬みにとらわれずに済む。
◎きちんと反省して、心と身体と宇宙を調和させましょう。
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ゴーダマは三十六年間の人生を、以上8つの規範に照らして、洗い出してみようと決意するのだった。
すなわち、八正道という仏法に照らして、自分の過去を振り返ってみることにしたのであった。
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僕「書いた・・・八正道。
正しく見る、正しく思う、正しい言葉を使う、
正しく仕事する、正しく生活する、
正しく精進する、正しく念じる、
正しく反省する。」
◯◯「お疲れ様でした。つぶやきながら猛省してましたね。」
僕「本人に見られてるのに反省せずにいられるかっての。」
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2018年5月7日の僕のコメント
宗弘くんの超適当なまとめは本当に適当です。
読む人が嫌になっちゃうんじゃないかと思って現在の僕が今日書き足した要約です。
あまり真に受けないで下さいね。
(;^ω^)
いつもありがとうございます。 あなた様のあらゆる苦厄が取り除かれますように。 薬師如来真言唱えさせていただきます。 おんころころせんだりまとうぎそわか