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上電 スタンド・バイ・ミー。

群馬県の名山・赤城山の裾野を東西に横断する。それが、上毛電鉄である。地元の人は、ジョーデンと呼ぶ。子どもの頃は前橋へ行くために、高校時代には桐生まで毎日乗った。僕にとっての「母山」である赤城山がいつでも臨め、桐生行きの列車はほとんどの行程で、田んぼや畑の間を走っていた。窓を開けると、堆肥や養鶏場の匂いが入り込み、「田舎の香水」と笑ったものだった。

上電の車庫がある大胡駅を桐生方面に向かって動き出したすぐのところに、大きな荒砥川橋梁がある。公式サイトで調べてみると全長47mとある。ここが、地元の男子の肝試しならぬ「漢試し」の舞台になった時代があった。電車はきっちり30分間隔で走ってくる。大胡駅を出発した直後に渡り出せば、なんのこともないのであるが、そこは子どもである。鉄橋の上の枕木を渡る訳だが、真ん中あたりまで来ると、脚が縮こまって動きが鈍くなる。それでも、30分あれば駅員さんに見つからない限り、成功することは確かだった。

ある日のこと、幼なじみのヒデオちゃんと久しぶりに鉄橋を渡ろうということになった。ところが、その日はヒデオちゃんの妹が一緒にいて、自分もやってみたいときかない。仕方なく渡り始めたのであるが、男子でもビビる橋である。案の定、中程に差し掛かったところで、うずくまってしまい動かなくなった。怒っても腕を引っ張っても泣くばかり。線路に耳を当ててみると、電車が走ってくるような響きが伝わってくる。慌てて2人で抱えあげるように妹を立ち上がらせ、無理やり歩き出した。あと5〜6mで渡り切るというところで、後ろから近づいてくる電車の姿が。

慌てた僕たちは、橋を渡りきる手前の堤防の部分に飛び降りた。警笛を鳴らしながら、そのすぐ後を電車が走り抜けていった。はぁ、はぁ、はぁ。ヒデオちゃんも僕も少し泣いていたと思う。しばらくは口も聞けず、すすきの草むらの中で、3人揃って空を見上げていた。

家に帰ると、母が「お前、橋を渡ったらしいね」と怒っている。僕たち3人の後を走ってきた電車の運転士がうちのお客さんでどこの子か、バレてしまったようだ。当時、母は理髪店をやっていて、上電の人がたくさん髪を切りに来ていたのだ。
「やっぱり橋の下で拾ってきた子は、橋が好きなんだね」。母はいたずらをすると、決まって、お前はうちの子じゃない。橋の下で泣いていたのを拾ってきた」と言ったものだ。
これは、日本中の川のそばで育った子が言われる慣用句であることを、大人になって知った。

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