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戦時下にて

下り坂
沈鬱な面持ちで、車窓に流れていく街の様子を眺めていた。
路上には土嚢や瓦礫が散乱し、“お手製”のバリケードが所々で道を塞ぐ。いつか映画で観た市街戦の光景だなと、まじまじと見れば見るほど薄れゆく現実感に、月曜から妙な気分になった。

前日の日曜、ヤンゴン市内で過去最多の犠牲者が発生した。
加えて、ヤンゴンの複数の地区に戒厳令が発出され、さらにはモバイルネットワークも遮断。自宅兼事務所の固定回線は使えるが、外出時のアクセスは不可。それにより、街中からリアルタイムで発せられる速報が激減する。

週初めから、一挙に緊張感が高まる。以前なら間違いなくカメラを構えた瞬間も、今は完全にその手を止めている。いつ何時「職質」を受けるか分からないからだ。

先の見えない「下り坂」の渦中にあることを、さらに色濃く意識させられ、言い知れぬ不安が立ち込めた月曜となった。

疎開
この辺りから、ヤンゴンを離れ始めるミャンマー人たちが目立ち始める。
日曜に惨劇が繰り広げられた区域に住む方々はもちろん、夜に銃声が響く場所の住民らが、続々と出身地の地方へ帰っていく。

紛れもなく疎開である。
その昔、紛争地のニュースとして見聞きした事態が、半径10m以内で起きている。現在のヤンゴンが「戦時下」にあるという現実を、レトリックではなく実際に突きつけられた。

地方に行けば、wifiはほぼ存在しない。モバイルネットワークが不通と化している今、使えるのは電話だけだ。
ネットを介した情報収集ができなくなるばかりか、普段のコミニケーションにも支障が出る。当座の安全を確保するためとはいえ、苦しい代償と言わざるを得ない。市井のミャンマー人たちが置かれているのは、そんな苦境なのだ。

無感覚
状況はひたすらに混沌を深める一方で、生活インフラ自体は、少しずつだが日常を取り戻している。

稼働を停止していたATMには現金が補充され、各所で朝から長蛇の列ができている。中には、2時間待ちを要するところもあるとか。
近くのショッピングモールは、中の店舗稼働率が平時の3割程度ながらも再開。大手スーパーについては、朝8時から15時前後まで営業し、際立った欠品も見当たらない。フードデリバリーも、ほぼオンタイムで来てくれている。この点は、ひとまずの安心材料である。

すっかり目が慣れてしまったからなのだろうが、今や「稼働中」という事実ですっかり満たされるようになった。時短営業や、伽藍堂になったイベントスペースに対し、特段の非日常性を感じなくなってしまっている。
生活への感覚が相当変わっていることに、はたと我に返っては驚きを覚える。

不可視の亀裂
2月以降、すでに200人以上の方が亡くなっている。この事実に加え、事態好転の兆しすら見出せないことも加わってか、市民の心境も徐々に先鋭化しているように感じられる瞬間がある。

真意不明の情報に過敏になったり、誰かの片言隻語に一喜一憂したり、他者を「敵か味方」に二分して認識したりと、危うく思えるような言説が時折飛び込んでくる。

ミャンマーを憂う日本人の間でも、似たような現象が見受けられることがある。
SNS上で突飛な発言が飛び交ったり、「天皇陛下から、事態への憂慮のお言葉をいただけるよう宮内庁に掛け合う」といった、まずもって実現不可能な提案を見かけたこともあった(原発言者の方も、無理筋であると承知の上)。

無理からぬことだろう。あまりにつらい現実に、頭での理解以上に心がついていかない。時間が経てどよくなることのない日々に、平静を保てない。
ミャンマーに縁のある人なら誰しもが、大なり小なりそうなっているはずだ。

2月以降、音もなく亀裂が入り、砕け散らんとしているのは、社会や経済だけでなく、何よりも人の心なのかもしれない。そんなことを、今まで以上に強く意識するようになった。

来週27日は、毎年恒例の国軍記念式典が予定されている。これに向けて何か起こりはしないかと、戦々恐々となっている人も多いようだ。
年度末の特別感とは無縁の、不気味さ漂う1週間。心して備えるしかない。

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