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“揺らぎ”

稲光
日曜夜は雷雨となった。短い間隔できらめく稲光と激しい雨が続き、さて来るかと思った矢先に停電となった。この時期にしては珍しい降りようと、落雷の刹那に「輝き」を放つヤンゴンの街並みを、しばし眺めていた。
すでに23時を回っていたため、諦めがつくのも早かった。天からの「消灯」の仰せと受け止め、そのまま眠りに就いた。

目を覚ませば、朝から曇天。そのおかげで、暑さはかなり押さえ込まれている。だいぶ過ごしやすいスタートになった。
電力は復帰するも、“立ち上がりあるある”で、午前いっぱいは電圧が安定しない。緑と赤を往復するセーフガードに舌打ちしながら、涼しくもけして晴れやかではない月曜の午前を過ごす。

笑い話
月曜に続いて雨となった火曜の夜20時、突如としてネットが不通に。ここで来たかと、一気に緊張感が高まった。
しかし、遮断と決め込むのは時期尚早だろう。普段回線が戻る翌朝9時まで待つことにして、不便な夜を過ごす。

ナーバスな朝を迎えて9時を待つも、いつもなら湧き出る通知が黙ったまま。
暗い気持ちになりながら別の地区に住む同僚に尋ねると、そこでは問題なく通じているとのこと。全面遮断でないことが明らかになったのはいいが、では一体何が原因なのか。固定回線の会社に電話をするもつながらなかったため、直接店舗に向かった。

理由は拍子抜けするほど明白であった。料金の未納である。
普段は毎月回収に来てくれるのが、治安の悪化で業者が来られず、結果として滞納となっていたとのこと。窓口で支払いを済ませて、即解決。トホホな話だが、とにかく一安心だ。

これが日本なら、間抜けな日常の一コマと、一笑に付して終わりだろう。だが、今は違う。些細な躓きにさえ極度の緊張が走り、心は一気に穏やかでなくなる。笑い話が笑い話にならないのが、現在置かれている日常なのだ。

かつて、支払いを忘れて電気や水道を止められた誰かの経験談を面白おかしく聞いていたのが、なんだか懐かしい。
今、その余裕はまったくない。それらはすべて、切実なる死活問題と転化する。平和とは、あらゆる側面での「余裕」であることを、強く実感した出来事であった。

Mental torture 
週半ばには暑さが戻り、また汗を拭う日々になった。
寒暖差のおかげか、久々に扁桃腺が腫れて違和感が際立つ。

来週13日から19日まで、ミャンマーは正月休みに入る。これに合わせ、10日土曜日からネットの全面遮断が行われるのではないかという噂が駆け巡った。

もう何度目になるか分からない確度不明の事前情報だが、現況を観察していれば、あり得ない話と一蹴することもできない。
不安に包まれながら10日の朝を迎え、接続を確認して胸を撫で下ろす。このように、緊張と弛緩のジェットコースターに強制乗車され、心が縦横無尽に振り回される状態を“Mental Torture(精神の拷問)”と評しているのを見かけたが、言い得て妙だと思った。

しかし、国内では実害が絶え間なく発生している。精神だけでなく、リアルな犠牲はとどまるところを知らない。

また、経済への影響も確実に可視化されてきている。

本来なら、みんなで楽しく水をかけ合う祭りの時期に、暗いニュースが続々と届く。

カレンダー上、明日は連休前最後の営業日であると同時に、初回のキャリア教育実施日でもある。
学校の先生方を見習って、指導案を書いてから当日用の資料を作った。iPadと連動させたワークを仕込み、通し練習も重ねた。はて、どんなリアクションがあるのだろうか。暗澹たる現実にありながらも、密かに武者振るいを覚えている。この心の揺れ動きなら心地よい。

揺らぐ心を引き受けようと、不意にラヴェルの『水の戯れ』を聴き始める。
流麗で透明感あるサウンドに心を浸しながら、最後の仕上げにかかる。

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