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「春」

惨劇の月またぎ
2月28日、クーデター発生月の最終日は、多くの犠牲とともに締めくくられた。
SNSのタイムラインは、報道機関では掲載不可であろう凄惨な現場写真や映像と、悲痛な声で埋め尽くされた。これほどつらい月末は、過去にあったであろうか。

翌月曜からは3月へ。

「あの日」からちょうど1ヶ月。昨日の悲劇に嘆息しながら迎える朝は、その心の写鏡か、やたら湿気っぽい。
2月いっぱいと目された深夜から朝にかけてのネット遮断は継続され、今日まで途切れることはない。この異様な状態は、果たしていつまで続くのやら。

よく行くショピングモールの一時閉鎖が決まり、ただでさえ少ない外出先が、また1つ消えた。なんでも、デモ隊の実質的な避難所として機能していたのを重く見た「誰か」が命じたからだとか。
やれやれ、実に素敵なやり口ではないか。その姑息さに感動すら覚える。

ショッピングモールだけでなく、大手スーパーチェーンも、営業停止や時間短縮に打って出る。また、タクシーの配車アプリの利用時間も、17時までとなった。
多くの生活インフラが次々と閉じていくのに加え、路上ではスマホチェック(「不都合」な写真がないかを調べるのが目的)まで始まる始末。Twitterで飛び交う生活情報の死活的意義が、ほとほと身に沁みる。

「プレゼント」
そして3月3日。SNSは、雛祭りの装いに身を包んだ幼子の写真で沸くのが恒例だが、私のそれは、嗚咽と悲報の嵐となった。
この日は、各地で発砲が相次ぎ、多くの人が亡くなった。頭を狙われるケースが目立ち、その邪悪なる意図がありありと見てとれる。

犠牲者の中には、19歳の女性まで。
日本の慣習で言えば、年相応に華やいでいい日のはず。そのような日に、命と未来が無残に奪われてしまうとは…。Dream Trainで一緒に勉強してきた同い歳くらいの子たちの顔がよぎっては、言葉にならない思いに沈んだ。

これを受け、縁のある若い世代への一助になればと、有料の「情報空間のやりとりを“カプセル化”するサービス」を新たに契約し、利用情報とともに使い方を伝えた。すると、こなれた日本語で、かわいらしいお礼を寄せてくれた。

安堵感を覚える一方、複雑な思いも去来する。

本来、20歳前後の年代がもらって喜ぶべきプレゼントは、iPhoneやAirPodsやアクセサリーのはず。事情が事情とはいえ、「情報管理の自衛サービス」を受け取って嬉々とするなんて、異常という他ない。
この子たちが悪いのではない。そう感じさせてしまうような世の中が、明らかに間違っているのだ。

Generalpause
明くる4日は、多くが止まった。
タクシーは終日使えず、スーパーも多くが閉店。フードデリバリーサービス各社も、一斉に稼働を停止した(前日に、その配達員が射殺されたことが原因)。

日常生活で馴染みのあるものすべてが使えず、まるで世界がGeneralpause(総休止)となったかのような、非現実感に埋没した。じりじりとした暑さだけが、唯一リアルに感じられた。

金曜は午後から停電。どうやらミャンマー全土で発生したものらしい。これが様々な憶測を呼び、Twitterが騒つく。
全国一斉は珍しいが、停電それ自体はよくあること。その「日常」にこれほど多くの人が過敏になるあたり、今の状態がいかに「非日常」であるかを雄弁に物語っている。

この春
3月は、日本では旅立ちの時期。多くの学校では、ここ数日間で卒業式が行われるはず。
春めく季節のほの暖かい風に、一抹の寂しさとじんわりした希望が宿る。あの独特の季節感に、私は都度勇気をもらってきた。

ミャンマーでも、そんな「旅立ち」の報が聞こえてくる。内心忸怩たる思いを抱えながら、ミャンマーを完全に去る決意をされた方々が出始めた。
それぞれ独自の背景があれど、旅立ちというにはあまりに切なく、寂しさばかりが募る。

昨夜もまた、ヤンゴンで深夜の逮捕劇が繰り広げられた。ミャンマーの「春」は、まだまだ先になりそうだ。

連帯と分断が同時並行で進みゆくミャンマーで、日本で過ごした3月に思いを馳せながら、愚直に日々の平穏を祈る。

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