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種蒔人

夏へ
ミャンマーは26日から4連休に入った。
春めく日本とは違い、盛夏に向かって日に日に暑さは増し、日中は40℃近くになる。朝も洗濯物を干しに出るだけで汗が滲み、建屋の1Fと2Fの温度差に驚く。

この状況下、21時から半日の停電は痛い。
ネットの不通に加え、とてつもない寝苦しさ。水シャワーを試みるも冷水は出ず(外付けタンクにためてある水を使うため、外気温で“ぬるま湯”となっている)、あまり効果はなく、薄い意識のまま、朝5時半のシュプレヒコールを機にあきらめて起き出した。

そんな朝に開いた地元の河北新報には、教員の人事異動が。年度の変わり目を改めて意識しながら、冷蔵庫の中でぬるくなったコーヒーを傾ける。

更新されし最悪
3/27は、毎年恒例の国軍記念日。首都で軍事パレードが行われ、例年であれば、これといった騒乱はなく過ぎていくものだ。しかし、今年のそれは、血に染まった1日となった。

犠牲者の中には、子どもたちも含まれる。落命した我が子を抱きしめながら泣き叫ぶ父親や母親の悲痛な姿が、SNSを通じて現地の人々の間に広がっていく。
もはや、どう受け止めるべきか分からない。非武装の自国民に対してこの所業とは、言葉がない。

この日、私の住居の周りでは特に変わった様子は見られなかった。銃声も悲鳴も聞こえず、道では近所の人々がいつものように談笑し、子どもたちの笑い声すら聞こえた。
半径10m以内の日常風景と、スマホ越しに映る地獄。同じ市内にありながら、そのコントラストはあまりに劇的だ。この極端すぎる「並行世界」に、目眩すら覚えた。

種を蒔く
時に思う。もし私が、“超人的なスキルによって、受けた依頼は必ず完遂する猛禽類のような顔をした「射的」の名人”にオーダーできたら。あるいは、“他人の名前を書き続けて「新世界の神」になれるノート”を死神から受けとったら…。
即座にことを済ませ、密やかに「日本すごい」を誇りとしながら、その事実を墓場まで持っていくだろう。

残念ながら、実際私にはそんなカードはない。
ささやかながらできることといえば、いつか来るであろう開かれた未来に向かって、伸びようとする若木の成長を促すことくらいだ。

自身の関心と実現可能性の交点たるこの部分で、今年の1月で一段落ついた“週末家庭教師”を再開することにした。
最初の相手は、知り合いのミャンマー人。学校が閉鎖され、学びが止まってしまっている今、若い可能性の意欲に応えんと提案したら、快くのってくれた。

この問いに答えるのは容易い。
若い力が創る未来に、大きな期待を寄せているからだ。そして教育こそが、この国における最大の投資となり得ると考えているからだ。

事態改善の特効薬になりはしないし、誰の命も守れない。私塾と評するのもおこがましいほどの草の根っぷりだ。しかし、来たるべき「その時」への種蒔きを行いたいと、今は心から思う。
吉田松陰、緒方洪庵、福沢諭吉、嘉納治五郎…。在りし日の日本に種を蒔いた、優れた先達を仰ぎ見ながら、そっと立ち上がる。たとえそこが、乱世の最果てでも、地獄の底であろうとも。

桜舞う日本で、新たな舞台に旅立つ大学生たちの晴れやかなる卒業写真に背中を押され、そんな決意を固めた。

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