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流れる星は生きている

先週の今頃は「情報の孤島」にいた。
妙な静けさに包まれながら、ダウンロードしておいたkindleの本を読み、楽器を吹いて、世界から取り残された感覚を生きていた。

それから1週間。この間の経緯を綴るだけで本が1冊書けようかと思えるほど、目まぐるしく世の中が動いていった。

月曜には、正式な夜間外出禁止令(20時から4時まで)と、公共の場における5人以上の集会禁止令が発出された。
感染防止対策とはまったく意味合いの異なる緊張感が漂う。目下日本で行われている、賛否の嵐や毀誉褒貶相半ばするものとは完全に異質なものだ。報道でしか見聞きしたことのない現実が、今眼前に立ち現れている。

翌9日は、そんな「集会」の参加者が銃撃を受け、(後日)亡くなるという痛ましい出来事が起こる。各地でデモが開始して以来、最初の死亡者だ。

落命したのは19歳の女性。聞けば、あと数日で20歳になるはずだったらしい。
Dream Trainで、同じぐらいの歳の子たちと一緒に英語を勉強したり、スピーチコンテストの練習をしてきた身としては、あまりにつらく、言葉が出ない。

これを受け、多くの人々が奮い立ち、街中でネット上で、それぞれ声を上げた。
ミャンマーの友人からは、悲痛の告白の後、こんな言葉が続いた。

どんな国の人たちにも、自国に対して解せない感情を抱く瞬間はあるであろう。私が知る限りでも、日本でいろいろ拗らせた末に海外へ居を移し、荒ぶる怨嗟のままに自国を叩きまくる「タタリ神」が少なからずいる(そういう人は、大抵現地でもやらかしているが)。

しかし、この友は違う。我が故郷を純粋を愛し、心から大切に思うからこそ、憂いの振れ幅も大きくなる。それを分かっているだけに、聞いていて胸が苦しくなった。

重い現実は続く。公式発表によると、某国から「シーフード」が緊急輸入され、なぜかそれ以降、ネットの使用が滞りを見せ始める。デジタル環境にまで影響する「シーフード」とはいったい何なのか。さかなクンに聞いても分からないだろう。
輸入元の国と同じような、オンライン環境を統制する法整備も進み、「極めて透明性の高い」言論空間が保障される社会に生まれ変わる予定だ。

さらには、服役中の受刑者23,000人以上(凶悪犯も含まれる)が、「恩赦」によって一挙に釈放された。

その結果、都市部の治安は悪化。放火や、井戸水に毒を盛るといった事件も起こり始めた。
不審者への自衛策として、夜になると地元民らが自警団を組織し、棒を片手に市内の警備にあたる。そして、そこかしこで鍋の音(“呼び子”と同じ)と怒号が、暗闇を切り裂いていく。

ここは幕末の京都なのか。今やヤンゴンは、魑魅魍魎闊歩する漆黒の魔都となっている。
「ミャンマーを愛する人を全力支援」の旗印の下に運営してきたイベントも、黄金のパゴダを横目に仲間たちと遅くまで飲みながら語らった時間も、どんどん遠くなる。

本来であれば今日は、日本・ミャンマー共催の音楽イベント、Japan Myanmar Pwe Tawの開催日だった。昨年Dream Trainに来てくださった平原綾香さんも、オンラインながら出演予定だったのだが、会自体が中止となった。

暗い話題が続く中、ふとこの言葉が頭をよぎった。

わたしの胸に生きている
あなたのいった北の空
ごらんなさいね今晩も
泣いて送ったあの空に
流れる星は生きている

戦後ベストセラーになった『流れる星は生きている』という本の中で、著者の藤原ていが、心の支えとした詩だという。

この本には、アジア・太平洋戦争の末期、満州に進撃してくるソ連軍から逃れるべく、幼い子どもを引き連れて敢行された、母1人の凄絶な脱出劇が書かれている。
安否不明となった夫を流れ星に仮託しながら、ふと耳にしたこの詩を、日本の地を踏むまでつぶやき続けたという。置かれた状況はまるで違うにもかかわらず、なぜか不意に思い返された。

今まで以上に、気の抜けない時間が続く。
星降る夜の、朗らかな静穏が戻ることをひたすらに願いながら、今を生き抜く決意を固めた。

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