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「修羅の国」の光

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深夜から朝にかけての回線遮断は、週明け22日の月曜に限り、昼の12時まで続いた。
この日はミャンマー全土で大規模なデモが計画されていたため、いつもより延長し、その勢いを削ぎにかかったと考えるのが妥当であろう。

なぜこの日に一斉デモなのか。
それは、同じ数字が並ぶ日付(今回なら2)に特別な意味を見出し、契機としてきたミャンマーの伝統によるものだ。1988年の民主化運動の時も、行動を起こしたのは8月8日(8888運動と呼ばれる)である。

ネットで情報が取れない中でも、朝から近所がざわつき、普段とは明らかに異なる雰囲気が漂うのが感じ取れる。

開通後は、自らの身体に血液型や緊急連絡先を記してデモに参加する人たちの様子が入ってくる。

傷を負って輸血が必要になった時、あるいは命を落とした時、然るべき対処をしてもらえるようにという決死の備えだ。
生命を賭してまで、“この瞬間”を闘い抜くという悲壮な覚悟に、スマホを持つ手が震えた。

そんな現実を目の当たりにしながら、誰も傷つかないことだけを願っていると、平時の何倍もの早さで神経がすり減る。

惨事は起こらないまま、デモ隊は無事解散。その報を聞いた瞬間、脱力し、深く椅子にもたれかかって天を仰いだ。とりあえずよかった…。

安穏
翌2日間は、緊張感こそあれど、市内に大きな混乱はなく過ぎていった。

1月末に見つけた日本風クレープ屋に寄って、スタッフに買って帰ったり、昨年の11月に日本を発った船便が到着し、日本の同僚に頼んで入れ込んだノートPCスタンドや、クラリネットのパーツが届いた。

長らく待ち望んだ物資に加え、支援者の方々が子どもたちに寄せてくださったメッセージに、心が和む。
ミーティングも順当にこなし、ミャンマーの近過去から現在を学ぶセミナーにも参加して、複雑ながらも、晴れやかな心地のままに終えた。

暗雲
だが、この淡く緩やかな空気は長続きしない。内在的な不穏が突如、具体的に噴出するのが今のミャンマーだ。

25日、軍部の支持層と思しき集団が市内中心部に現れ、その一部が刃物を振りかざし、市民を襲撃するという事態が発生する。

そして同日18時頃、ついにヤンゴン市内に銃声が鳴る。民衆への威嚇射撃が始まったのだ。

音から察するにゴム弾であろうが、その威力は凄まじい。何より、事態が確実にエスカレートしていることを如実に物語る事実である。

暗雲
この日を境に、ヤンゴンの雰囲気は一変する。
翌26日、デモの中心地の1つであるレーダンでは、警官隊がデモ隊の強制排除に乗り出す。

銃声が天を貫き、一帯は封鎖。市民の姿は消え、警官隊が蟠踞する。
近隣に大学が軒を連ね、明日を夢見る若者たちが行き交うヤンゴンの「カルチェ・ラタン」には、悲しみと悔しさだけが広がる。

午後1時過ぎには、日本人ジャーナリスト拘束の知らせが舞い込む。

「もうその段階に来てしまったのか…」

この状況下、職業上の特殊性はあるにせよ、日本人に強烈な戦慄を与えるには十分すぎる出来事だ。

幸い、同日中に解放。ひとまず安心するも、その方の話では、ずいぶん以前に捕縛され、今なお拘束されているミャンマー人ジャーナリストが多数いるとのこと。そうだ、今この場所に安らぎなどないのだ。

27日土曜も、全国各地で穏やかならざる事態が頻発する。

まるで、ベトナム戦争やアフガニスタンである。市民に偽装した武装勢力が存在し、気を抜けば背中を撃ち抜かれるリスクがあるならまだしも、明らかに非武装と分かっている相手に銃を突きつけるのか…。

挙句の果てには、フードデリバリーサービスの配達員を襲撃したり、クリニックに押し入っては医療機器まで強奪していく。本当に鎮圧すべき対象は、一体どちらなのか。

日々、修羅道を突き進むミャンマー。その行き着く先は果たしてどこか。もう誰にも分からない。


混沌渦巻くこの国に、果たして希望はあるのだろうか。暗澹たる思いに駆られながら、医薬品の寄付に訪れた先で、思わぬ光景を目にした。

子どもたちが、一心不乱にバイオリンを弾いている。西洋音楽が身近とは言えないこの国で、これだけの子どもたちが、真剣な眼差しで楽譜と向き合っている。
事態が悪化の一途をひた走り、心荒むことの多い日々の渦中、そこには確かに、優しい音楽があった。

音程は合わず、リズムも甘すぎる。音色もひどく、弦楽合奏と評すには厳しい出来だ。しかしなぜか、その音は私の心を震わせ、思わず涙がこぼれた。

なんてたくましい子たちなのだろう。この乱世にあっても、奏でる歓びを忘れず、楽器を手に取り、これほどの安息をもたらすことができるなんて…。

「きっといつか、一緒にステージに立とうね」
そう呟き、頬を伝う滴を拭って、踵を返した。

また、ミャンマーを憂う日本人からも、数多くのエールが届いている。

【ဂျပန်လူမျိုးများမှမြန်မာလူမျိုးများသို့ အားပေးစကား】 Cheering from Japan! #Sharetospreadtoyourfriends ကျွန်ုပ်တို့သည်...

Posted by Voice From Myanmar on Thursday, February 25, 2021

そして何より、これだけの仕打ちに遭いながら、火炎瓶を投げつけたり、ゲバ棒で殴りかかる市民が誰もいないことに、私は一筋の光を見る。

具体的なロードマップや腹案があるわけではない。未来予測も不可能だ。しかしどうしてか、“この国はきっと大丈夫”と思えてくる。

都合のいい希望的観測だろうか。
そうなのかもしれない。ただ、それでもいい。この国に期待する多くの仲間たち同様、私もそう信じる。

今日の日曜も、全国で「荒れ模様」になると聞く。
目が覚めて、情報が堰を切って流れてきた時、そこには何が映るのか。

回線が切られる時間の直前、今日もまた明日を案じ、眠りにつく。

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