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シカゴエモリバイバル入門:パート2(和訳)

An Intro to Chicago Emo Revival: Part Two

原文: https://hugoreyes-36858.medium.com/an-intro-to-chicago-emo-revival-part-two-c7f804e9b7df

リバイバル最盛期 (2008–2012)

 一般的に言われるエモリバイバルの始まりは2008年のことでした。Algernon Cadwallader の『Some Kind of Cadwallader』は驚きを持ってシーンに迎えられ、また forth wave emo における最初のメジャーなレコードでした。Glocca Morra が『Just Married』をリリースする 2012 年まで、エモリバイバルは続くことになります。

 先述の 2 枚のレコードがリリースされた間の期間というのは、特にシカゴにおいて豊作の期間でした。いくつかのハウスヴェニュー(Strangelight, Summer Camp, Treasure Town)がオープンし、それらはシカゴのローカルバンドとシカゴの外からやってくるツアーバンドにとって重要な拠点になりました。エモリバイバルという言葉は未だに不明瞭で、この時代のパンクという大きな傘の元に存在しているということだけが理解されています。

 当時のシーンの多様性を示すようなライブは多く存在しますが、その中でも人気が出る直前のバンドが多数出演していた 2012 年の Gnar fest 2012 は最適な例でしょう。

CSTVT (2007–2013)

 CSTVT のエピソードは、私が挙げたバンドの中でも特にシカゴ的です。シカゴは移住の街で、毎年様々な理由でミュージシャンが移り住んできます。このガイドに登場するプレイヤーの多くはシカゴ育ちではないため、全盛期の Fireside Bowl に行ったことを自慢できる訳でもなく、Youtubeのアーカイブ映像で妥協する他ありませんでした。CSTVTはその例外で、 Nick Wakim と Will McEvilly のふたりのギタリストは高校で行われた Lawrence Arms のライブで出会いました。

 『The Summer Fences』は歴史的な意義のあるアルバムで、このシリーズのパート 1 に出てきた異なる糸を紡ぎ合わせる存在です。『EndSerenading』*1 のように壮大でオペラ的でありながらもミッドウェストパンクの要素を併せ持っており、CSTVTがインディーロックでない事は明白でした。『Between Berwyn and Bryn Mawr』はその事を証明しており、彼らの中でも最高の曲として未だに君臨し続けると共にこのバン ドの精神性を、そしてこのエモリバイバルという時代を映し出しています。

 シカゴのエモにおいて歴史的なレコードが1枚あるだけでも十分過ぎる程ですが、3枚目のLPがあればそれはどんなものだっただろうかと思わずにはいられません。『Echo and the Light』では歓迎すべき変化がありました。よりタイトになり、彼ら史上最もポップに仕上がりました。しかし、これはちゃんとしたアルバムと呼べるようなものではありません。このリリースには二つのバージョンがあり、一つ目は6曲入り、もう一つは8曲入りでした。*2 この手のバンドにしては驚きのスクリーモソングである『Laurtec』は同名のバンドとのスプリットのために作られたと噂されています。結局のところこうした状況がこの偉大なレコードを作り出した訳ですが、このことが更なる独創的なレコードを作り上げる上で彼らを崖っぷちに追い込んでしまったように思うのです。

*1 Mineral の 2nd アルバム。1998年リリース。
*2 2009年に ice age records から最初のバージョンをリリースしたが 出来に満足できなかった ため、後に再レコーディングした上で「Six Parts Summer」「Model Trains」 の2曲を追加したバージョンをリリースしている。

鋭意翻訳中。。


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