4:インド


 また、梅雨の季節がやってきた。

 バルコニーの向こうで、おだやかな六月の雨が、街を雨の色に染めている。群青と緑が混ざったような暗いモノトーンに、ビルも家並みも車も人も、すべてが塗りつぶされていく。

 僕は、苦いコーヒーをいれて、窓のそばに座る。いつもは聞かない、古いレコードをとりだして、かけてみる。カーペンターズの優しい歌声。その後ろで、レコードのノイズが、静かな、雨のような音をたてている。

 ベッドのある壁には、何枚もの写真がピンで留めてある。その中から僕は、一枚の写真を抜き出して、じっと見つめる。

 他の人が見れば、それはありふれた風景写真だろう。あるいは、まちがえてシャッターを切ってしまったと思われるかもしれない。

 そこには、特別なものは何もない、ただのビルの屋上が写っているだけだ。濡れたコンクリートの床が、くもり空の下に広がっているだけなのだ。

 けれど、僕にとっては、忘れられない、何より大切にしたい写真だ。

 そう。あの時も、六月、雨の日だった……。

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