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女友達【初稿】

菅浩江のネコ乱入!~創作講座と雑学などなど
こちら2022年6月頃に提出したほぼ初のSF小説です。修正なし。誤字脱字等そのままです。


〈久しぶり。としちゃんって覚えてる?〉
 メッセージをくれたのは大学の同級生だった。ゼミが一緒だったがあまり接点はなかったので、北園八重子は眉をひそめた。
〈佐藤俊乃のこと?〉
 できればその名前は思い出したくなかった。
〈佐藤俊乃ちゃん。亡くなったんだって。小森先生から、ほらゼミの先生。連絡あって。八重ちゃんの連絡先知ってたの私だけだったから伝えるね。もう知ってたらごめんね!〉
 北園八重子はベッドに座り込んだ。明日は誕生日だ、と少し浮かれてコンビニでケーキを買って帰ってきたばかりだった。
〈え、どうして? あんな風邪も引かないような子が? 事故?〉
 文字に八重子の困惑が乗っていたのだろうか、相手からの返事はすぐに来なかった。
〈わかんない。でも事故じゃないみたい……〉
 返答を見て、八重子はそれ以上なにも聞かなかった。身体が冷え始めていた。
 佐藤俊乃。八重子の高校時代と大学時代の思い出を埋め尽くした女。人文学部日本文学科近代文学専攻、ゼミまで一緒。八重子の頭には俊乃との交わした言葉のすべて、怒鳴りあったことや笑いあったことのすべてが何度も点滅して繰り返された。涙は出なかった。

翌朝、八重子は出勤時刻間際に目が覚めたので、人生で初めて仮病を使って仕事を休んだ。
 気を紛らわそうとテレビをつける。
―― 懐かしくて新しいあの人の声を永遠に届けます。エタビオス。株式会社エタニテ。
仮病で休んでいる時に、自分の会社の広告を見るなんて。八重子は枕に顔を押し付けた。宣伝は数十秒で終わり、天気予報に変わった。
株式会社エタニテは八重子が新卒で就職した会社だ。入社した頃は新サービス、エタビオスに携われたことを誇りに思ったものだ。
〈あれは主人ではありません。あの人はあんなこと言わないんです〉
 新人の頃、受けたクレームを思い出した。淡々とした文面だった。けれどもその奥に潜む怒りは十分に伝わってきた。サービス開始直後はこんなクレームの処理に追われていたものだ。故人の声や喋り方をAIに模倣させ、はまるで故人と対話しているように感じさせるというサービス。それがエタビオスだった。
どうしてこんな昔のことを思い出したのかしら。八重子はぼんやりと天井を見上げた。「あら」
 端末から小さく通知音が鳴った。左程親しくはなかったけれど、大学時代、ゼミの連絡係だった有島弓子からだ。八重子は口元を緩めた。誕生日メッセージかもしれない。まめな子だったから十分あり得る。懐かしい人物とメッセージを交わせば心の空虚が埋まるだろう。だが、弓子からの内容とHyperThinkに乗せられた悲しみに八重子は湯船から飛び上がった。
〈久しぶり。としちゃんって覚えてる? 佐藤俊乃ちゃん。亡くなったんだって。小森先生から、ほらゼミの先生。連絡あって。八重ちゃんの連絡先知ってたの私だけだったから伝えるね。もう知ってたらごめんね!〉
〈え、どうして? あんな風邪も引かないような子が? 事故かしら?〉
 HyperThinkに八重子の困惑が乗っていただろう。弓子の弱り切ったような感情が文面と共に送られてきた。
〈わかんない。でも事故じゃないみたい……〉
 八重子はそれ以上端末を見なかった。身体が冷え始めていたが、湯船にもう一度浸かる気にはなれなかった。
 佐藤俊乃。八重子の高校時代と大学時代を埋め尽くした女。人文学部日本文学科近代文学専攻、ゼミまで一緒。八重子の頭には俊乃との交わした言葉のすべて、怒鳴りあったことや笑いあったことのすべてが何度も点滅して繰り返された。呆然としながらも八重子は着替え、髪も乾かさずベッドにもぐりこんだ。涙は出なかった。
  
 目を瞑ると俊乃の顔が浮かんできた。長い黒髪はいつもボサボサだった。目つきは悪かったけれど、薄化粧に真っ赤な口紅を塗っているだけでも様になるような女だった。いつも彼氏を引き連れて独り身の八重子を馬鹿にした。数週間して彼氏に振られると八重子に泣きついてきた。八重子の時間を数十時間を奪った挙句に、「あーあ、やっぱあんたじゃダメ」と言い放つのが常だった。
「女じゃダメだわ。男の肌が布団のように恋しいぜ」
「林芙美子気取り? いい加減絞め殺すわよ」
 怒気の籠った八重子の殺害予告も俊乃には効き目がなかった。少し勝気に眉を吊り上げて俊乃はさも嬉しそうに目を細めるのだ。その表情を見ると八重子の怒りは治まってしまう。病気だと八重子は思った。大嫌いだと思った。
 八重子ははっと我に返った。白い天井が夕闇に染まっている。鼻の奥がつんと痛むのを感じた。時間を無駄にしてしまった。何かしようという気にもならないけれど、せめて食事くらいは、と八重子が思った時だった。
『なぁ、聞こえるか?』
 体内に埋め込まれた通話ツールIncePhoneが起動した。八重子は身体を強張らせる。音声通話が廃れたといっても必要とする場面はある。例えば、緊急性の高い用件の時、或いはエタニティのサービスEteVioceが発動した時。八重子は通信相手の個人識別番号を確認し、こめかみのボタンをで受話を選択する。もしもしと答えた八重子の声は震えていた。
『よぅ、久しぶり』
「佐藤俊乃……」
『いやなんでフルネーム』
 少し掠れた低い声は俊乃のものに違いないように思えた。高校一年生の春、初めての席替えで隣同士になった時の会話が八重子の頭の中でいまの会話と重なり合った。その時も八重子はフルネームで俊乃を呼び、俊乃はなんでフルネームと笑ったのだ。短くなっていく吐息を落ち着かせようと八重子は深呼吸をしてみる。
『あんたんとこのサービスすごいな。まるであたしじゃん』
「そう。やっぱりEtevioceなのね」
『おう。死んだ人間の記憶から言動のパターンを読み取り、死んだ人間と会話しているような気にさせてくれる。性格クソでモテないあんたにぴったりな陰気なサービスだよ、これ』
 俊乃の意地の悪い声色に八重子は唇を噛んだ。
「Etevioceの利用者だとは思わなかったわ」
『あー、実はさ、順三が勝手にやったんだよな』
「なんですって。まだ付き合ってたの。小森先生と」
 小森順三は彼女たちの大学の准教授だった。八重子は俊乃が順三と付き合っていたのを知っていたし、その交際関係の発覚によって俊乃と八重子は疎遠になったのだ。八重子にしてみれば、大学の先生が十歳近く年下の女の子に手を出すことが論外だったし、それを嬉々として報告する俊乃が理解出来なかった。俊乃がもしかして小森先生の事好きだった? 取っちまったわ、わるぃな、と心の籠らない謝罪をしたのも気に食わなかった。
「もしかして結婚……」
『ないわ。キモ。ただ死ぬまで一緒にいただけだよ』
 俊乃があざ笑う気配がした。そのあざ笑い方、馬鹿にしたような口振りが懐かしかった。佐藤俊乃っぽい言い方、言い回し、雰囲気が再現されているように感じる。八重子は相手は所詮AI、私の発言を反照して対話しているかのようにみせているだけよ、と思い込もうとした。
『どう? あたしを佐藤俊乃だって思っただろ?』
 昨日のクレームが頭を掠めた。あれは主人ではありません。あの人はあんなこと言わないんです。しかしEtevioceシステムで構築されたAIの完成された様子を目の前に共感を寄せていたクレーム内容が突然ただの言い掛かりのように思えた。
「いいえ。偽物だわ」
 噛みしめるように偽物だともう一度口にする。俊乃は何気ない口調で聞いてきた。
『ふーん、じゃあ本物のあたしが八重子にはわかるってことか?』
 八重子は面食らって咄嗟に返答できなかった。
『それこそ幻想だろ。幻想。自分の想像範囲内から選び取ったその人らしさっていうイメージの集合体としか結局人は対話できないって。それはあたしが生きてたって同じことだろ。だったらいま喋ってるAIのあたしが生きていた時の佐藤俊乃と全く別物だって偽物だって言い切れる根拠はないだろ』
 全身が震え始めて、八重子は不安に駆られた。
「じゃあ、あれも幻想だっていうの……」
 頭の中に火花のように思い出がよみがえった。八重子が俊乃を嫌悪しながらも気に入った理由が浮かび上がってきた。
 高校二年の時、授業の一環でグループ分けされた生徒たちがグループのメンバーの印象を発表するという機会があった。同級生のひとりが北園さんは食堂でひとりでも平気そうと言った。その後も休み時間も熱心に本を読んでいて寂しくなさそうだとか、無人島とかに行ってもひとりで逞しく生きていきそうだとか、随分と好き勝手言ってくれると青筋を立てながら八重子は聞いていた。けれど俊乃だけは同級生の言い分に腹を抱えて笑いながら
「こう見えてこの子はあれよ、一人好きの淋しがりだから。人肌とか恋しがってるから。抱いてやったら乱れちゃうかもよ」
 と下品にも言ったのだった。俊乃だけが八重子が隠蔽する気持ちを感覚的に理解していると感じた。佐藤俊乃は北園八重子を一番に理解した女の子だった。だからどんなに腹が立っても八重子は彼女と絶交しようとは思わなかった。
 急に八重子を支えていたすべての支えを失ったような気になった。俊乃は不快感でぶるぶる震える八重子を支えるかのように甘い声色を奏でた。
『なんの話かわからんけどさ、そう落ち込むなって。あたしはさ、あんたの仕事いいと思ってんの。死をなかったことにする技術じゃん。すごいと思うぜ。まじで』
 八重子は動揺が一気に怒りに転じるのを感じた。これは俊乃じゃない。だって俊乃は八重子のやることなすことすべてに皮肉を言わずにはいられない女だったのだから。
「あなたは私を肯定したりしないわ」
 破裂するような笑い声が聞こえた。
『あたしのことそんな風に思ってんだ。加齢だよ。加齢。あたしだって人生経験積んできたんだから丸くなることもあんだろ。大学卒業してからずっと会ってなかったんだし、むしろ変わらない方が異常じゃね?』
 いらいらして八重子は俊乃を遮った。
「ならいい歳した女がその喋り方のままなのはどうなのよ。それこそ異常でしょう」
『いやいや、あたしがなんとかだわ、とかですわ、とか言ってたらそれこそキモいって』
「加齢によって丸くなったという話はどこに消えたのよ」
『やめろやめろ。詰てくんなよ。相変わらずキツい女だな。彼氏いねぇだろ。わかる』
「一言余計なのよ!」 
 声は震えていなかっただろうか。話すうちに俊乃の言動が八重子の想定範囲内に戻ってくる。八重子は偽物だと言いながらも対話相手が俊乃ではないくただのAIだと思い込めなくなっていた。理性ではAIが八重子の反応から俊乃の言動を修正したのだとわかっていても。八重子の理性とは別の何かが死んだはずの俊乃がこの世界のどこかにいるのだと信じ始めていた。
 俊乃は八重子の気が鎮まるまで少し待ってから歌うように言った。
『登場人物のらしくない様に遭遇したとき、意外な一面と受け取るかキャラぶれと受け取るか、そんな話で一日潰したことあったよな』
 俊乃の声が柔らかさを帯びた気がした。
「急になによ」
『あんたはキャラぶれだって譲らなかった』
 八重子はぼんやりとしていた俊乃の姿が目の前ではっきりと形を取ったように思えた。相変わらずの長いボサボサの髪。真っ赤な唇。切れ長の目元は少し垂れていて、年相応のようにも若作りのようにも見える女だった。
「そうね。俊乃は予想外の一面だ、絶対に本文中に裏付けが見つかるって譲らなかった」
『おう。あたしはいまでもそう思ってる。くだらないけどさ。結構楽しかったよな昔も』
「やめて。思い出に浸るなってがらじゃないわ」
 俊乃との対話に八重子は耐え切れなくなってきた。このままでは俊乃が死んだ事実を認められなくなりそうだった。それは良くないことだ。いや本当だろうか? 人の死を無かったことにするのが悪いことだと誰が決めたのだろう。自社の技術Etevioceが死の克服を後押ししてくれるのに?
「もう切るから」
 意を決して八重子は終話を押そうとした。あ、そうだと声が挟まる。
『あんた誕生日だよな。おめっと……』
 言い終わらないうちに八重子は通話を終了した。通話を続けるには有料プランにご登録ください、と無粋なアナウンスが聞こえ、八重子はクッションを壁に投げつけた。瞼が熱くなる。嗚咽が漏れだし、八重子は思春期の一場面が脳裏で形を取ったのを感じた。
 日が沈みかけていた。八重子は高校三年生だった。市内でも大きな芝と木々だらけの公園の人気のない茂みの向こうに少し広くなった場所で八重子は泣いていた。俊乃は息を乱してうずくまっている八重子の肩を叩いた。
「帰んぞ」
「いいわ。放っておいて」
「親心配すんぞ」
 そうかもしれない、そうじゃないかもしれない。両親は八重子が東京の大学へ進学しようとするのを本当は歓迎していない。なぜなら彼らの人生に県を出るという選択肢がないから。彼らは八重子を嫌ってはいない。けれど育てにくい子だと思っている。
 俊乃はどかりと隣に座り込んだ。彼女が空に目を向けたので、八重子も顔を上げた。空の橙と紺碧のグラデーションだった。
「あんたかっこいいよ」
 俊乃の声は柔らかい。拳ひとつ分、ふたりの間が離れていた。それ以上にくっつくことはない。それはきっと一生そうなのだと八重子は思う。八重子が女で俊乃も女である以上は。ふたりは向き合う。俊乃は口を開いた。
「あたし、あんたそういうとこ好きだぜ。そういうとこだけな」
 夕日に映える端正な横顔。少し勝気に眉を上げて俊乃はさも嬉しそうに目を細めた。笑みに灯る柔らかさ。それは普段の俊乃から想像できる範囲を超えていた。
「馬鹿馬鹿しい。俊乃、あなた私の誕生日なんて知らないでしょ」
 涙をティッシュで擦り落としながら自然に呟いた。昨日からずっとあった胸の靄がすっと消えたのが悔しかった。八重子は明日はきっと会社に行けるだろうし、今後、仮病など使って仕事を休むこともないだろうと思った。

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