吉岡茉祐はかっこいいかかわいいか

序文

この議題は2019年11月17日に開催されたTYCA夜の部にて交わされた激論の1テーマである。その場においては「かわいい」に決着がついたのだが、異論は当然あるだろう。なので個人的にではあるが、かっこいい派のひとりとしてその意見を記しておこうと思う。蛇足ゆえの楽しさに共感していただける人がいるのであれば幸いである。

前提としてこの議題は吉岡さんがスタッフに投げた内からスタッフがチョイスしたものであり、またこの議題は吉岡さんのこれからを論じる中のワンテーマである。若干イベント中ではそのことが忘れられていたようにも感じるが、これをまとめるにおいてその点は忘れずに留意しておきたい。

カワイイ派の主張

「かっこいい100%⇔かわいい100%」

田中美海氏のボードに書かれた文字に何名かがつぶやいた。「ずるい」と。しかしそれに対し田中氏はこう主張する「どちらかというわけではない、どっちにもふりきってやるのがまゆしぃのよいところ」(かなりの意訳)

さて、実際、田中氏は吉岡さんとデビューが一緒で声優としては一番古い付き合い声優の一人である。素の吉岡さんを見る機会が多い田中さんの意見は貴重な基準になりうる。この意見においてまず考えなければいけないのは、かっこいいとかわいいの間にいる吉岡さんのことである。どちらにも振り切るということは、振り切っていない時があるということだ。田中氏の解釈によると「かわいいのをやって恥ずかしがるまでがワンセットでかわいい」とのこと。つまり、恥ずかしがる=素に戻る瞬間が「かわいい」ということなのだろう。藤田氏の「かわいい」は、役をおろしていない、素の吉岡さんは「かわいい」のではないかという予想でした。この役をおろすというのは、演技だけではなく声優吉岡茉祐として人前に立つことすべて含むそうです。

しかし、ここでほかの質問での二人の答えを考えてみる。足りないもので田中氏は「極めダンス」、25歳でやっていることで藤田氏は「男装」。二人ともカッコイイを求めいるのではないだろうか。今回のブロマイドで分かる通り、吉岡さんに「かわいい」は必要な要素だが、それは「かっこいい」を見せてくれるがゆえに零れ落ちる「かわいい」の雫が極上に甘いという話なのだ。この「かわいい」が工場のように大量生産されると、希少価値が下がってしまうに違いない。田中氏の言うところの「解釈違い」である。

かっこいい派(というか私)の主張(異論は認める)

そんな極上の蜜のような「かわいい」を精製するためには、やはり「かっこいい」があるべきなのではないだろうか。……というのはまあ、建前である。極上の「かわいい」よりも安定供給でたくさんの「かっこいい」が欲しいのだ。藤田氏の男装も、田中氏の極めダンスもそうだが、個人的には女性的なカッコよさも出してほしい。芸能人で喩えるのはとても下手なのだけれど、日本人だと天海祐希さんみたいな感じ。もともと個人の趣味としては「かっこいい」のほうが好きなのだ。挑発されるのも、煽られるのも、快感なのである。というとどこか変態のようだが、自分も負けてられないという気持ちにさせてくれるのが、私にとっての『吉岡茉祐』である。

生きざまがかっこいい

彼女の夢をかなえていく姿に憧れや眩しさを覚える人も多いだろう。本人も語っている通り、芸能界を目指しそれをかなえていく姿勢と努力。埼玉SSAでWUGのラストを飾ったことも記憶に新しい。彼女についていけば新しいサクセスストーリーを次々に見せてくれるという期待感が今やもう天井知らずである。私のファンとしての立ち位置は彼女が描く夢を一緒に見て、それが叶うことで、一緒に夢を叶えていくというスタイルのファンである(ファンのスタイルなんてあるのかどうかしらないが)。彼女は未来予想図を描いて努力するタイプの人間であるということが、イベントでわかったのでもうその生きざまこそがわたしにとっての「かっこよさ」でもある。ファンの一人として彼女を応援するとき、彼女が目指す先に一緒についていくときに恥ずかしくない人間でいられるかどうかを常に考える。そうでなかったとすれば、そうありたいと努力しようと思う。こんなことを思わせてくれる人間に生まれて初めて出会った。これは「かわいい」ではなく「かっこいい」だと私は思う。

ライブパフォーマンスがかっこいい

以上が根幹で支えている私の中の吉岡さんの「かっこよさ」なのだが、表面的な部分を考えてみよう。私にとってはWUGとしての『吉岡茉祐』と出会ったのが一番最初で、初めての認識はライブでになる。CD音源とは全く違う生の声に魂を撃ち抜かれたのが思い出深い。グリフェスのことである(円盤化ありがとう!!!)そんな彼女のライブでのパフォーマンスを見て、それを一言で表すとやはり「かっこいい」である。煽りの文句がかっこいい。マイクを回すのがかっこいい。踊る姿がかっこいい。汗で崩れる前髪がかっこいい。少なくとも「かわいい」とはならない。「かわいい」と思う人は、きっとその人自身が吉岡さんよりかなり上のレベルでかっこいいに違いない。もちろんライブ上で「かわいい」がないわけじゃない。楽しくなっちゃってジャンプしまくってるのとかはとても「かわいい」。というか、笑顔が普通に可愛い。

言葉遣いがかっこい

ライブパフォーマンスの話だと、煽り文言が全体的にオラオラして「かっこいい」のに、ときどきはいる語尾にぎりぎりハートがつかない感じの「いくよ」は極上の「かわいい」である。また、ライブ後最後の挨拶などで急にディナーショーみたいな間の取り方になるのは「かっこいい」

ラジオは一人喋りだとかっこいい。言葉遣いも綺麗。二人以上だとテンションがあがるので、「かっこいい」よりも「楽しい」が勝っているけど、上がりすぎたテンションを抑えるようにひんやりとした声色になるときが、「かっこよく」なる。

ビジュアルは

正直個人の好みなので「かっこいい」を強く推すことはできません。そして何より私はかっこいいよりも、写真は切なかったり寂しそうな表情のほうがバックボーンを想像して心が壊れそうになるので好きです。

総括

もう少しちゃんとまとめたかったのですが、一晩ではこの程度が限界でした。来年もう一度この議題が上がればブラッシュアップして挑みたいですね。

「かわいい」派も「かっこいい」派も共存していることがすごいことなのだと思います。結局のところ、田中氏が一番よくわかってるのだなとこの文章を書いていて思いました。スケッチブックを投げるのが正しい結論。すなわちお手上げである。次はたりないものの議論ですね。こっちのほうが願望書くだけなので、楽しくまとめられそうです。

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