コロナ禍で感じていたこと

 こんにちは。今もテレビをつければコロナコロナですが、3月頃からのコロナ禍でこのウイルスに対する感じ方が変わっていったことを思い出しながらその時々に感じたことを書いてみようと思います。

1月~2月頃 まあ新型ウイルスがあるらしいね程度

 中国で流行ってるらしいね、という程度でした。横浜に停泊中の客船もそこまで気にしていませんでした。2月末頃になると「あれ、ちょっとやばいのかな?」という感じにはなってきて、スキー場のレストハウスが混雑していると漠然と良くない状況なのかもしれないと感じるようになりました。

3月頃 あー、結構やばいのかも

 休業要請がどうだとか言い始めて結構やばいのかもと思い始めました。我が家には小学生が3人いますが学校も休校になってしまったのでテレワークを開始しました。そうは言いながらも緊急事態宣言が発出されたわけでもありませんでしたし、学童野球が学校の休校に合わせて休みになったこともあり、毎週末スキー場に通いました。3密じゃないし分厚いウェアとグローブ、ゴーグルをかけてネックチューブで口元から鼻まで覆うのでリスクは低いだろ、みたいな。レストハウスとゴンドラさえ気をつければ大丈夫でしょう、という感じで考えていました。
 それとは別に、仕事のことでもともと私は、私の仕事は事務所に出勤しなくてもできる、と思っていたのでこれを機にテレワークが当たり前の世の中になればいいのに、と思っていました。ですが実際は弊所ではテレワークメインで勤務したのは10人中私を含めて3人だけでした。デスクトップPCしかない従業員は出社しないと働けないということで出勤していましたし、モバイルPCがあっても基本出勤していました。これを機にデスクトップをやめて(そもそもデスクトップは古いものでスペックもアレだった)モバイル+大きめのディスプレイに切り替えてはどうかという提案はしましたがそうはなりませんでした。

4月~5月頃 あれ?コロナってそんなにやべーのか?

 4月になると緊急事態宣言が発出されまして、外出自粛をせざるを得ない状況になりました。ですがこのあたりから自分の中で潮流が変わってきまして、これってそんなにやべーウイルスなのかな?という気持ちになってきました。軽く見ることはできませんが統計的な数字を示しているウェブサイトやブログに触れ少しずつ気持ちが変わっていきます。特に永江さんという方のブログはかなりデータを良く調べてわかりやすく解説してくれていましたので納得するようになります。一方で、テレワークの普及が不発に終わりそうなのは結構不満でした。私としては子どもたちの昼食の用意などを理由にテレワークを認めてもらっていましたが、実際のところは「子どもたちの面倒を見る」というよりは「近くに大人がいない時間を減らす」ことが目的であったこと、またどの程度働き方に自由度をもたせられるかを試していた部分もあり、それについても手応えを感じていたので、5月後半になり緊急事態宣言解除が見えてくると「そろそろ通常勤務に戻したら?」というような圧力を感じげんなりしてしまいました。実際今はもうコロナ前と同様に出退勤しています。

6月以降 結局何も変わらなかった

 非常に不謹慎な話ではありますが、これを機に日本は大きく変わるのでは、と子供のように少しワクワクしていた部分がありました。同時に、今の職場環境を考えると、このとてつもない変化に取り残される可能性を強く感じていたので退職することも可能性として考えていたほどです。ですが、いざ蓋を開けてみれば結局元通りでした。おかげで今現在はまだ変化の波に取り残されずに済んだようです。
 もちろん必ず大きな変化は訪れると信じているので、やはりその波にのって行かなくてはいけないという焦りはあります。が、今はまだセーフだったなと思います。

 こうやって思い出してみると結構気持ちが動いたようで実は願っていたのは「働き方が自由になるという大きな変化」と、そのためにコロナを利用できるのではないかという下心だったことに気付きます。
 働き方が自由になる、仕事とプライベートを対局にあるものとして扱わない、様々なライフスタイルの中で、働くことも遊ぶことも学ぶこともシームレスに繋がる社会で社労士は何ができるのか、なんて考えながらまたこれからもノーテンキに生きようと思ったそんなお話です。

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