未成年飲酒について/公共の二面性/本当の友達は変化を受け入れられる人

今日(2020.9.11)友達からお酒飲もうって誘われたんだけれど、大学生ってそういうものなの‥?まだ飲んだことないからそのノリがよく分からなかった。

お酒と聞いて思い浮かぶイメージ、正直あまり良くない。酒臭い、酔っ払い、行動が鈍い。家で飲んでいるのはお父さんくらいだけれどいいイメージないなぁ、

飲むとしたら夜公園でだって、コロナ下だと公園になるものなのか。いや、関係なくてもそういうものなのか。まだ実家だから家は無理だし、かといって夜に家から抜け出して居酒屋に行くのも抵抗がある。開いているのかすらわからないから公園が妥当か。

でも私まだ未成年なんだよなぁ、19歳。(ここ重要)どうするかなぁ。


ここで公園と聞いて思い出したのは公共性について。公共って聞くと誰でも使っていいという意味がまず思い浮かぶ。だから私たちも公園を使って会うことになる。震災等が起これば避難場所として使われる。

それと強調したいのは公共は誰のものでもないという意味も持っているということ。具体的な事例なら渋谷の再開発、宮下公園でホームレスの人が排斥されたこと。公園はホームレスの人たちが所有していいわけじゃない。公共という言葉の二面性に気づけたのは春学期の良い学びの一つだったと思う。

さて、飲酒についても、二面性とは言えないけれど考えることがあった。自分の正義としてやはり未成年で飲酒には抵抗がある。社会がそう規定しているからというよりは、現在成年とされている20歳で自分の中で子どもと大人の区切りがあると感じているから。国民年金という文字が重い。

それに将来教師になるのなら社会的に期待されている職業人として示しがつかないような気がする。言わなければ知られることもないが、未成年(細かく言えば20歳未満のほうが適切)飲酒は駄目だと言っておきながら実は未成年で飲酒していましたなんて、なんて奴だと自分は思う。自分に嘘をついている気分で嫌だ。嫌でも一生付きまとう感覚になりそうで嫌だ。

でも同時に、お酒を飲むこと自体は大したことないと思っている。未成年でも大学生になったノリですでにお酒を飲んでいる人はいるし、初心者が飲むのもたかが知れているから酔い潰れることはないと分かっている。実際自分が飲むとしても度数が低いもの少しだけだろうから問題はないと思う。

よく考えずにノリで飲んでみてもいいと返事してしまったが、明日撤回かな。(夜返信はろくなことがない、猛反省、決断は昼にすべし)気分が上がってしまっている友達には申し訳ないけれど、自分の信念?正義といったものはなかなか変えることはできない。正直に謝ろう。

一度高校生になってキャラ変した友達を受け入れられなったことがある。今は受け入れられているけれど、当時はかなり困惑した。でもいろいろ考えてみて本当の友達って友達が例え変わったとしても友達のままでいられる人だって感じた。自分が知っている友達じゃないというのは、自分が知っている友達の姿、増であってほしいという身勝手なエゴで、友達の変化を受け入れる、ありのままの友達の姿、言動、考えを受け入れることが大事だって学んだ。

だから本当の友達にこそ自分のありのままの姿、言動、考えを示すことが大切。自分は教師かは分からないが何かしらの教育人として生きていきたい。だから教育人として20歳未満の飲酒を認めない立場にいる以上、自分自らがそれに反することは規範としても自分の中の正義でもできない。誕生日を迎えたら祝ってほしい。それで十分。

法律や規則、正義、正当性、その辺はもっと深堀りできるし人によって解釈が異なる。今回の自分の場合は社会的期待と自分の意思による理由が強かった。その社会的期待についても意思についてももっと深堀りできるけれどとりあえずここに書くのはここまでにしておく。

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