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凹凸の話、雑感

(昨日からの続き)
そしてこれに対処するために例えば、以下のような尊ぶべき主体性のあり方を提言した。

「生存にとって食べること、住みかを見つけることが必要なように、真に生きるためには創造性、愛、遊びが必須である。自己実現の試みは、創造性にもとづいて初めて可能となる。コミュニケーションの試みは、愛にもとづいて初めて可能となる。参画への試みは、遊びにもとづいて初めて可能となる。この三つの要素は互いに切り離されると、権力側の抑圧的な団結を強めるだけである。ラディカルな主体性とは、真に情熱的な人生を送ろうという欲求をもつことであり、その欲求は殆どすべての人に存在するのだ」

『パンクの系譜学』(川上幸之介=著 書肆侃侃房=刊)より抜粋


みなさん、こんにちは!

コメ欄のコメ愛、ありがとうございました。
そっかそっか、星の配置なんですね、、とか、、
フラメンコ、ぞんぶんに踊っちゃってください!!!、、とか、、
おしゃべりしたいことたくさんですが
みなさんの思いを受け止めながら、ブログを今日も書かせていただきます。

4月書かなかったから、書きたいことが満載なのですが、今日は、発達凹凸についてお話したみれいサロンの振り返りあたりからさせていただこうかなと思っています。

発達凹凸……発達障がい、今では、神経発達症、と呼んだりするようですが、わたしは全くこの分野について門外漢である・あったにも関わらず、どうして、このテーマで話すことになったか、ということからなのですが!

今から約10年くらいまえあたりから、仕事上のコミュニケーションで「あれ?」と感じることが起こるようになって、そこから自分で調べていって、世の中に、ASDだとか、ADHDだとか、あるいはLD、HSP、HSSみたいな状態が存在することを本当に少しずつ少しずつ知ったんですね。

本当に、現実の社会、自分の生きている範疇で、喫緊の問題として、眼前にたちあわれれた、ということです。

最初、いったい何が起こっているか、分からなかったんです。

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