見出し画像

いよいよ!人類総恥部化計画、進行中


みんみんみなさま、こんにちは!

今月も月末がやってまいりました。
今朝も半身浴しながらこのブログのことを考えていたんですが、
どうして月末になるんですかね?!?!?
でもなんかリズム的に月末になりますですね。

そしてね、この、なんというか、いろいろな仕事に目処をつけて、
ブログを書く時間をもてるよろこびがすごいです。
書く前から満足感がすごい。
何なんですかね。

本当に本当に正直に書くと、毎日でも書きたい。
こうなると中毒レベルかもしれないです。書く書く中毒。
ただ、ほかにも取り組みたいことがあるから、わっちの中で決めている量が、
月3回、あるいはそれ以上、なのですねえ。

しかもね、もう少し考えていたら!
たとえば、「みれい音のちいさな宇宙」の録音をするときも、たまらない気持ちになる。(また別の種類の何かです)

いや、ゲラチェックする時も、なんか、もう満ち満ちた気持ちになる。
いやいや、企画しているときもむちゃんこたのしい。
全部よろこびがすごいです。そのことも今朝振り返っていました。

逆にいうと、そういう気持ちになれない時は着手しないようにしているんですね。
(そういうわけで「よむ」の2021年10月11月号は、5月の発刊になりそうです。ごめんなさい!)

そしてそしてもう少しそれを突き詰めていくと、
やっぱり

「苦手なことはしない」
「がんばらない」

みたいなことなんだなあと。
このことが本当に2022年春、今こそ肝要、だと、たくさんの方々のお便りを読ませていただいたり、声のメルマガを発信しながら痛感しています。

もう、今、これやるっきゃない、みたいな宇宙タイミングというか。

これって、「葛藤」っていうことだと思いますし、本当に、本当に、「葛藤」を手放すようなことが起こりやすくなっているし、(葛藤があると容赦ないことが起こったりする気がします)実際、「葛藤」を手放す方がどんどん増えている気がします。

がんばったり、無理したり、苦手なことを「やらねば」とやること、本当はないんですよね。

「えー、みれい、そうはいっても、町内の掃除とかいくの苦手ー」
「えー、みれいちゃん、家事苦手なんだけれど、わたしがしないとカオスですよね」

という方もいると思います。しかしねえ、こういうことこそ、考えて考えて考えて考えて考えて考えて考える必要がある。
(考えるということを、誤解されている方がいて、同じ場所をぐるぐる回っているだけの行為は、考えているとは言わないかもですねえ)

突き詰めて考える。
ここは特に怠惰にしないことが必要です。

でね、町内のことだって、家事のことだって、あるいはもっともっとちいさい何か、ごくわずかな違和感だってね、やっぱり、自分はどう生きたいかということと関わるんだなと最近思うのです。

「みれいちゃん、何を大袈裟な!」っていう方もいるかもしれないですけれど、でもそうじゃないかなあ。どうかなあ。

自分が週に、どういう量でどういう質で掃除するかとか、自分が今年どういう形で町内会と関わるか、とか、わっちで言えば、仕事のバランスどうするか(ブログは月にどれくらい書くのかとか)、とかって、「自分がどう生きたいか」「この人生で何を体験したいか」みたいなことそのものかなと思う。

それは美意識と呼ぶのかもしれないし、思想信条という人もいるのかもしれないけれど、そんなムツカシー言葉を使わなくたって、日々の瞬間瞬間が人生になっていくんだとしたら、もう日々の瞬間瞬間の選択を、全身全霊、するしかないなって思うんです。

(全身全霊って、力んでいる状態じゃなくて、最高にゆるんでいる状態でもあると思います)

考えて考えて考えた先に、自分にとっての町内会行事、自分にとっての家事、自分にとっての仕事の立ち位置が、ちゃんとわかってくるんだと思うんです。そうなったらもう葛藤がないはずなんですよね。葛藤があるうちは、まだ考え尽くされていないのかもしれないです。もうこれは、毎瞬、取り組まないとならない。そうしないと自分でしっかり考える、100%自分の人生に責任を持つ、ということが習慣になっていかないんですね。

でもねえ、本当に今朝も「よむ」のゲラチェックしてて思うんだけれど、ロミロミのタロちゃんのいう「あなたのクレアナ(役割)はなにですか?」っていうといじゃないけど(ハワイのコミュニティでは、ちいさい頃からその質問をされるから、こどもでもすぐに答えられるそうですよ!)、自分は今何をしたくて、周りの人々の中でどういう役割を果たしているか、ということに自覚的になる教育環境ってまだまだ現代社会では、少ないのかなと思います(もちろんそういう教育実践の場も増えているとは思うけれど)。

あるいは、親子関係の中でも、なかなか、「あるがまま」を認めて、自分を感じながら、感情をたいせつにしながら、毎瞬毎瞬を生きることができる、そういう環境や社会になっていないなあと思うんです。家族も社会の中にありますから、どうしてもそこは、無茶苦茶意識的になってないとむずかしいかもしれないですよね。

で、大人になってからね、仕事とか結婚でつまづいたり、体調壊したり、怪我したりしながら、「あれ」って立ち止まってようやく振り返っていく、、という段階が今、なのかなと。

文明がもっともっと本当の意味で進んだら、教育の場も親子関係も(レムリアでは、親が20名いたそうです)、変わっていきそうですよね。

、、、、と!!
こんなことに思いを馳せていますのも!
そうです、シアターワークです。コッキー小木戸利光さんによるシアターワークです。この体験が始まったのです。

今月から11月まで、全8回の講座のうち2日が終わったのですけれど、いやーーーーーーーーーーーーー、もう、このワーク、そしてこのワークが内包している要素が、学校教育や家庭教育の中にあったなら、どんなに社会が変わるだろう、人間の特性と書いて(ルビ)「よさ」が生かされるだろう、と痛感しました。

逆なんです。アプローチが。

目標に向かって、ゴールを目指していくのではない。
正しい回答が用意されていて、それを行うのでもない。
誰かの「うまい」という見本があって、そこへと自分を高めるのでもない。

逆なんです。自分が回答であり解答なんです。

支援額で言うところの、リザルトパラダイムから、プロセスパラダイムへの移行が完全になされた世界。もっと言えばコーズパラダイムそのものというか。

このページが参考になるかもです。

あと、いい記事見つけました!

(自分でもページつくってました。てへ)


そう、でね、もうコーズパラダイムだなと。
シアターワークはこのプロセスパラダイムとコーズパラダイムを内包した、身体のワークなんだなとわっちは感じました。
身体だからはやいし、深く感じられる。
微細に、またすごいレイヤーで気づくことがたくさんでした。もちろんそれは個人の体験としても起こることで、そういうコーズパラダイム的な、あなたがわたしの結果として現れる、という状態はもう、完全に、宇宙の世界と通じている。
人類総恥部化状態、ということです。

うーん、答え合わせがすごいです。かなり壮大な答え合わせがきている!!

最近ね、よくプリミ恥部さんのことを思い出しているんですよね。もういくつものレイヤーを通って、今、やっぱり恥部なんだなって、、、、。恥部さんすごいです。

いや、ここのところ、まわりの友人が、シゲオ恥部になってたり、スズキ恥部になってたりして、とうとうコキド恥部にもであえて、なんですかね、アセンションとか覚醒とかそういう言葉を使わなくても(もちろん使うのも楽しい!)、恥部ってことばに集約できる、とすら本気で思います。これが、宇宙化することなんだと、、、。

ごくごくシンプルなことなんです。

がんばらない。
苦手なことはやらない。
今のことだけに集中する(過去や未来に生きない)。
ただ続ける。
目の前のこと、目の前の自分を受け入れる(全肯定する)。
ただ、そのままでいる。

そうするとサ、

どうなるかというと!!!!

ここから先は

1,694字

¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?