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ちょっと変わった凡才が白潟総研で叶えたい夢とその想い


初めまして。白潟総研の服部です。

今回は白潟総研に入社して働くまでの
あらましについて書いていこうと思います。
こんな順番でお話ししていきます!

▼目次
■第一話「あ、僕一番じゃなかった」(小学生~浪人時代)
■第二話「あれ?世界変えられないな?」(就活前・大学生時代)
■第三話「私は世界を変えられる」(就活中~就活後・大学生時代)
■第四話「世界を変えるのは途方もない。でも、頑張ります。」(社会人時代)


第一話「あ、僕一番じゃなかった」
(小学生~浪人時代)


私の人生の絶頂期は小学生でした。
小学生のころは時間内に給食を食べること…
これ以外は全てがうまくいっていたように思います。

・少林寺拳法の愛知県大会1位
・3年連続でリレーの選手に選ばれる
・合唱コンクールで学年の代表としてピアノの伴奏をする
・テストの成績もトップレベル
・ちなみにバレンタインにもらったチョコの数も一番多いです(もちろん義理も含めてですが)

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なんだ。人生ちょろいな。
そう思いつつ中学校に進学したのですが、そこで衝撃を受けました。

なに…?全ての分野で自分より優れたやつがいる…だと…?

中学校では複数の小学校が統一されるので、
当然他の小学校に通っていた凄いやつも進学してきます。

小学生のころは自分が1番だったのに、
中学生になった瞬間、自分が1番ではなくなりました。

そこで悔しさをバネに努力すればよかったのですが…

どうせ1番になれないなら、
頑張るよりもゲームした方が楽しくないか?

そう思った私は頑張ることを辞めました。
勉強はもちろんしない。ピアノの練習もサボりがち。
部活も楽しみたい感じだったので本気で練習はしない。

そしてゲームにいそしむ毎日。

当時のことはあまり覚えてはいません。

ですが、「勉強してくる」と言って自分の部屋に行って
ゲームをしていた時のなんとも言えない罪悪感と
どんどん自分のことが嫌いになっていく感覚だけは鮮明に覚えています。

ですが中学3年生になって流石に危機感を覚えたので、
それなりに受験勉強はして普通の男子校に進学することはできました。

はい、それなりの高校に進学することはできたのですが…。

1番になれないなら頑張らない

という人間の風上にも置けない性根は治っていません。

なので高校でも何かを頑張ることはなく、
ただただ楽しく男子校生活を送っていました。

ちなみに高校に入学した最初の定期テストの学年順位は1番です。
もちろん下から数えて。

そして当然、大学受験も失敗。受験した大学全て落ちました。
もちろん強制的に浪人です。

ですがメタ認知だけは自信アリだった私。
通常の大手予備校に行っても無駄だとわかっていたので、
監獄みたいな予備校に行きました。

1年の監獄生活の末、何とか明治大学には拾ってもらえました。


■第二話「あれ?世界変えられないな?」
(就活前・大学生時代)


明治大学に拾ってもらえたのはいいものの…
1番になれないなら頑張らない私は大学に入っても遊びまくります。
1年生のときに取った単位数は24単位です。

しかし中学、高校と頑張らなかったために、
痛い目にあってきた私は薄々気づき始めます。

このまま社会人になったら、
自分は正真正銘クサった人間になる

一番になれないなら何も頑張らない人間が、
社会で生きていけるとは到底思えません。

それに「一番になれないなら頑張る意味なくない?」
と斜に構えて逃げている人間より、
一番じゃなくても必死に頑張っている人の方がかっこいい。

そして、当時付き合っていた彼女の一言で覚悟が決まりました。

あんたそんなんでこの先の人生どうするの?

なので生まれて初めてこの頃、
大学1年生の春休みに自分の人生について真剣に考えました。

自分は何がしたいんだろうか…?

何となく就活はするだろうと思っていた私は、
どんな業界や仕事が世の中にあるのかとにかく調べつくしました。

IT、広告、不動産、経営コンサル、製造、インフラ、
など本当に様々な仕事がありました。
長期インターンを始めてみることも検討しましたが、
どの求人を見てもしっくり来ませんでした。

もしかして、
この世の中に自分がやりたいこと何もないのか?

とかる~く絶望しかけてました。

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やりたいことがこの世にないなら、自分は何のために今生きてるんだろう?

とまで思ったことがありました。完全に迷走してますね。

ですが、だったら何で大学に通っているのだろう?
とふと考えたときに答えが下りてきました

あ、そうだ。忘れてた。
政治学の研究がしたくてこの大学入ったんだ。

今振り返ってみると、
政治学系統の授業だけはちゃんと受けて、単位も取っていたんです。
なので間違っていてもいいからとりあえず、
政治学についてしっかり学んでみようと思いました。

今まで考えた選択肢の中では1番ワクワクしたことだったからです。

いざやってますと…

見事にはまりました。
やばい、めっちゃおもしろい。
自分がやることは絶対これしかない。

そう思ったので当時入り浸っていたサークルも1年で辞め、
2年生からは政治学に関する専門書をとにかく読み漁りました。
正確に数えてはいませんが、200冊は優に超えていると思います。

ちなみにこの過程で、自分が研究したい分野も見つけることができました。その分野は政治哲学の平等論という分野で研究されており、
途中からはその分野の本ばかり読んでいました。

簡単に言うと、どういった理論を基に社会システムは構築されるべきか?
という問いに対する研究です。

その研究にのめり込んでいるうちに、大学3年生の夏休み。
ここまで来ると政治学についてはもちろん、自分が専門的に研究しようと思っていた分野に関する最新の研究まで追えるようになっていました。

このまま自分は大学院に行って研究者になるぞ~
と思っていたのに、ここでふとした疑問が沸きます。

あれ?仮に賞賛を浴びるような研究結果を残しても、世の中変わらなくないか?

ちなみに皆さんジョン・ロールズという人は知っていますか…?
おそらく知らない人がほとんどだと思います。
この方は非常に素晴らしい研究結果を残した著名な研究者なんですが、
一般にはほとんど知られていません。

あ、自分も同じ道を辿るな。と思いました。

もちろん研究や学問の探求は非常に大切ですし、楽しかったです。

ですが、世の中を変えるとまではいかなくても、目の前の人に喜んでもらうとか、自分が誰かの、何かの助けになるとか、そういう方がいいなと漠然と思ったんです。


■第三話「私は世界を変えられる」
(就活中~就活後・大学生時代)


なので残された道は就活です。
さて、どんな職に就こうか。
あ、でもじっくり考えてたら乗り遅れるな。
うん、コンサルが面白そうだからとりあえずコンサル受けてみよう。

実は最初はこんな感じで軽いノリで就活をしていました。
ですが軽いノリで就活をしていても、
何となく方向性は定まっていきました。

大企業ではなく中小企業向けのコンサル会社がいい

当時の自分の目にはどうも大企業や、大企業の社員さんが毎日毎日ド真剣に働いているようには見えなかったんです。もちろん中には死ぬ気で働いている人も、何かを成し遂げるために頑張っている人もいるとは思います。

ですが自分の先輩の話を聞いたり、OB訪問をしてお話しを聞いているとどうやらそういった方々は少数派のようでした。

だったら、何かを成し遂げようとしているベンチャー企業やその社員さん、

毎日真剣に働いている中小企業やその社員さんの助けになりたいと強く思いました。

それに日本の98%は中小企業。

その中小企業の社長さんの助けになることができれば、会社が良くなり、会社が良くなればその会社の社員さんも幸福に働くことができ、ひいては社長さんや社員さんの家族まで幸福になることができるのではないか、と思っていました。

この発想に至ったのは私の父が経営者だったからかもしれません。

加えて当時大事にしていたのが、
社長さんがどんな人なのかということでした。

当時は何となく、会社で1番仕事ができる人は社長、ゆえにその会社の社長の能力が自分の能力の限界値なのだと、勝手に思っていました。

なので社長についてはかなり綿密に調べていたのですが、

その会社のうちの一つトーマツイノベーションという会社がありました。
どうやらその会社は社長が最近変わったらしい。


そして先代の社長は白潟敏朗という人で、25歳くらいからトーマツのコンサル会社の社長もやりつつ本も大量に出版している中々の有名人らしい。

何で社長変わったのかな~この人が社長なら入りたかったのにな~と思いつつ、就活を続けていました。

そして今でも覚えているのですが、とある企業の説明会の帰り、電車に揺られながらコンサル会社が他にもないかとネットを漁っていたところ…

「白潟総合研究所」という文字を目にしました。

ん?白潟総合研究所?この白潟ってあの白潟か?
でもまさかな。さすがにそれはないよな~。

はい、あの白潟でした。

ちなみに白潟総合研究所という会社はWantedlyという媒体で見つけました。
しかし私はまだWantedlyにしっかりとプロフィール情報を入力していなかったので、
「しっかりプロフィール入力してからエントリーしよう…」

と思いブックマークだけ登録しておいて、そっとWantedlyを閉じました。
するとその翌日…

スカウトが来ました。

あまりにびっくりしたので、思わずスクショしてしまいました。
まだその時のスクリーンショットは残っています。

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とんとん拍子で話は進み、翌週には面談をしていただけることに。
そこで色々な話を聞くことができました。

白潟総研が本気で中小ベンチャー企業の社長の助けになりたいと思っていること。
そしてゆくゆくは日本で1番の中小企業向けコンサル会社となって、日本の中小ベンチャー企業の当たり前を1歩前に進めること。

自分が漠然と思い描いていた未来と同じイメージを会社として描いている…。

ああ、運命だ。これは運命。
間違いなく自分は白潟総研に入社できる。

そして白潟総研の社員として中小ベンチャー企業の社長を元気にしていきたい!

心の底からそう思ったのを今でも覚えています。
その後選考へと進み、
特にトラブルもなく内定をいただくことができました。

2月に初めてお話しして、3月に内定をいただき、
4月にインターンとして働き始めるというかなりのスピード感でした。

そして内定者インターン期間もあっという間に終わり、入社しました。


■第四話「世界を変えるのは途方もない。でも、頑張ります。」
(社会人時代)



入社後も様々な苦労がありました。

・頑張っているのに結果に結びつかない
・自分の力不足のせいで社長の悩みに応えられない
・同期は成果出し、自分は成果を出せない

などなど、上げたらキリがありません。

しかしご支援させていただいた社長に、
初めて「服部さんのおかげで助かったよ。いてくれて本当に良かった」と言われたとき、

「服部さんだから任せたいと思った」と言われたとき、

全てが報われたように思いました。「ああ、自分はこのために生きてる」そう心の底から思えました。

私は個人的に、ゆくゆくは自分で事業を作り企業内起業のような形で社長を経験したいと思っています。そうすれば、社長がどういう存在なのか体感することができ、もっと自分を成長させることができる。


そしてその自分の成長がそのまま、社長を支えることにダイレクトにつながっていく。そのために出来ることはなんでもやる覚悟です。

実際に採用支援では様々なお客様をご支援させていただき、合計6000人のエントリーを獲得することができました。

採用成功の実績も何名も出すことが出来ました。

人材育成のご支援でも、50テーマにおよぶセミナーに登壇しており、94%の受講者の方々にご満足いただいいます!

でも、まだまだです。
自分が描いている理想像とはまだまだ程遠い。
もっと社長の悩みを何でも解決できるようにならないといけない。
そして、日本中の中小ベンチャー企業の社長を元気にする。

ですがこれは私一人では、
到底達成できそうもない夢です。

でも、白潟総研には本気で中小ベンチャー企業の社長を元気にしたいメンバーが集まっている。

この白潟総研なら自分一人では無理でも、
組織として必ず日本中の中小ベンチャー企業の社長を元気にできる。
それが、日本中の人々を元気にすることにつながっていく。

そしてその時、自分は白潟総研の複数の事業をまとめ、
経営を牽引する存在になっている。
そんな日を夢見て、毎日毎日愚直に1歩、また1歩と歩みを進めます。

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