ムンク展「臨終の床」のこと

ムンクの「叫び」の図版を初めてみたのは小学校5年生の頃だったと思う。「えっ、これ『絵画』でいいの?」と戸惑ったのを覚えている。

図工の教科書に載っていたり、休日親に連れてかれる美術館で見たりする『絵画』とは全然違うように見えた。印象派の作品がアバンギャルド過ぎて発表当時は受け入れられなかった、と教わっていたので、(印象派がダメでこれはいいなんてなぜ…)と疑問に思った。美術品だというには背景の渦は異様におどろおどろしく見えたし、白目になってる?人物の表情はホラー漫画みたいに見えた。

今思えばムンクも若い頃はなかなか受け入れられなくて展覧会打ち切られたりもしているし、ホラー漫画の方がムンクの模倣なのかもしれないんだけど、10歳のわたしには、とても異質な作品に見えた。美しさがアートの基本だと疑いなく思っていた頃の、幼い違和感。

20日まで都の美術館でやってるムンク展で、その違和感と再会することになった。

館内には、「叫び」以外にもよく知られた作品が多数展示されていた。どの作品の前にも人だかりができている。若い頃の作品は特にテーマが切実で、心を揺さぶられた。

その中に、「臨終の床」というリトグラフがあった。

画面の左半分に臨終を迎えた人が横たわっている。頭をこちら側に向けているのでその顔は見えない。ベッドの上には人の顔みたいな塊がふたつ浮かんでいる。画面右側には5人の人物が立っていて、そのうちの1人は死神みたいに見える。5人のうち4人はベッド上の人物を見守るような向きで立っているのに、一番手前の人物だけがなぜか正面を向いていて、この人がとにかく不気味だ(死神よりも)。

明らかに調和を乱しているこの手前の人物(たぶん女性)は何を見ているのかというとたぶんわたしであり、この絵の前に立つ人間であり、この絵を描いたムンクなんだろう。

彼女は極めてフラットな表情で、画面のこちら側にいるわたし(たち)を見つめる。臨終の床に何が存在し、何が起きているのかを見たい、という、こちら側にいる者のあからさまな好奇心を見透かされている気がする。

死神がいて、魂みたいな塊もふわふわ浮いてて、ちょっとしたワンダーランドになっちゃっている臨終の場面。美術展の鑑賞者として(または臨終の場に居合わせたひとりのように)粛然と振舞いながら、目だけは「これはいったい何なのか」を貪欲に追いかけている。そんな浅ましいわたし自身もまた、この作品の一部なんだと感じた。

生も死も(含む性も)美しいものも醜いものもみんな見たい、と本当は思っているわたしの後ろ暗い欲求を、ムンクの作品はえぐってくる。小さい頃に感じた違和感は要するに、「なんか言い当てられちゃった感」だったのかもしれない。


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