「相談」に応えるということ

同調圧力と自己肯定感について書かれた、鴻上尚史さんの文章を読んだ。その文章は、「帰国子女で華やかな服装が好きな娘が、クラスで浮いてしまっている」という相談に対する「回答」として綴られていた。とても面白かった。

同調圧力の強さと自己肯定感の低さを「日本の宿痾」だとし、「娘さんが戦っているのは日本そのものだ」というその文章を読んで、自分の中の「同調圧力」と戦った記憶が、少し成仏したような気がした。

だが、その後に続く、「だからこうしたらいいですよ」という具体的なアドバイスの部分が、わたしには腑に落ちなかった。あーこれ、いじめの相談した時の中3のクラス担任と同じアドバイスだ・・・と思った。(アドバイスのうちひとつはまったく同じで、もうひとつは言葉は違うけれど示す方向はだいたい同じだった)

問題を「要するにこういうことなんですよ」と構造化し、「非はあちらにある」と同調するようなスタンスも取る。そこまではいい。ところがアドバイスになると一転して「まあうまくおやりなさい」といった話になってしまう。わたしの担任はたしか、「相手より大人でいなさい」と言った。中学生だったわたしは、それを正しいと思って一所懸命大人のふりをして、内心ではめちゃめちゃ傷ついていた。「あんな幼稚な子達のすることを相手にする必要はない」といった担任の言葉におおむね賛成しつつも、「とはいえしんどいっすよー」っていう気持ちの方も、誰かに聞いて欲しかったのだ。

おそらく、方法としては本当に正しかったのだと思う。だからつい納得してしまった。でも、「正しさ」が救いにならない場合もあるということを、わたしはその体験を通して知った。

わたしだったらその「相談」にどう答えるだろう。答えるよりまず、もうちょっと聴くかな。そこにある気持ちについて。
・自分の個性を表現したい
・浮いてしまうのが怖い
というのがその「相談」の中には出ていたけれど、実際には他にもたくさんあると思う。例えばだけど、「こんなことで騒ぐなんてばかじゃないのって思ってる」とか「派手に思われることには快感もある」とか(例えばだけど)。そういうのをいっぱい出してみて、ひとつひとつ、「あーたしかにそんな風に思ってるよねえ」って、一緒にたしかめてみたい。ストラテジーはそこからだ。

もちろん、鴻上さんの「人生相談」は紙上相談のスタイルなのでそんなことはできない。「聴く」の部分を、最大限の想像力を使って行い、できる限り具体的な答えを示したのだろう。だからこそ、わたしは引き込まれて一気読みした。わたしだったらとてもじゃないけどこんなに鮮やかに答えられない。当たり前だけど。

でも、だからこそ、「紙上」じゃない形で誰かの相談を受けることの多いわたしは、「もうちょっと聴いてみる」を大切にしたいなあ、と、改めて思っている。

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