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発達おじさんが気持ちを正しく伝えられなかった時の話

コーヒー好きが高じて、副業で焙煎した珈琲豆をオンラインで販売している発達珈琲の高橋店長です。
又の名を発達おじさんと申します。

発達おじさんはコミュニケーションがめちゃくちゃ下手くそです。
今でこそ、ピアサポート支援者として
「自分達だって相手の事を察する事が難しいのだから、分からないからコミュニケーションを取らないといけないんだよ」
と、話す機会が多くありますし、
「コミュニケーションって、ただ一方的に話をすれば良いのでは無いから喋る練習をするよりも、まず相手に向き合って、相手の話を聞くところからスタートするんですよ」
と、偉そうに話す機会も多くあります。
そこから、より良いコミュニケーションを邪魔してしまう障がい特性の傾向や、考え方のクセなどの話をしている訳ですが、もう一度ぶっちゃけます。
発達おじさんはコミュニケーションがめちゃくちゃ下手くそです。

下手くそなのは分かっています。
でも、より良く生きていくために必要なのは効果的なコミュニケーションだと今までの人生で散々学んできました。
だか、あの手この手で質問を駆使しながら、共感したり深掘りしてみたり、自分のイメージを投げかけてみたりする事で
(この時点で「こいつクドイな」と思われた方、鋭いですね。正解だと思います)
相手の気持ちを分かろうとします。

また、しんどいなと思う事があったら躊躇する事もあるのですが、そんな事より吐き出した方が早く気持ちが切り替わるし、その方が案外
「え?そんな事を思っていたの?」と
相手が早く気付いてくれる事が分かって、モヤモヤが早く晴れる事が分かったので、こまめに伝えるようにしています。
勿論、言葉は選びながら。
でも極力タイムリーに。

この手の話は、星の数程あるコミュニケーションの本を読めば必ず書いてある事です。
でも発達おじさんは45年間もこんな当たり前の事が出来ずにいました。

「ここでしんどいなんて言ったら、弱い人だと思われるな」と、ずっと思っていました。
「こんな事で弱音を吐くなんて、格好悪いと思われるな」と、ずっと思ってました。
「ここで話の腰折って質問したら、空気読めないやつって思われるな」と本気で思っていました。
「聞かずに察しろ」と教えられてきました。
ただ、この全てを守ろうとしたらボク自身を守れなくなりました。
残念ながら相手を察する能力が欠けていて、言葉通りにしか受け取れないのです。
そんな発達おじさんがこんにちは。

ところが世の中はボク中心に回っているわけではありません。
ボクは出来なくとも相手を察して当然と思われる方がいて当然です。
そんな方からするとボクは「何でも細かく聞いてくるうるさいヤツ」です。
辛い事があってもそれを耐える事を美徳とされている方もいます。
そんな方からするとボクは「ちょっとした事で話を聞いてくれと言ってくるウザいやつ」です。
そう言う方々とも多く同じ仕事をしてきました。
それぞれに価値観があって当然ですし、そもそも健常の世界ではある程度最小限の情報で軸をずらさず話を汲む能力を求められます。
なので、そんな方々を責める気持ちは一切ありません。

「我慢が普通」「察して当たり前」が出来ないボクです。
出来る事が当たり前の世界で何とか適応しようとして来たので、そりゃ気楽に愚痴ったり質問するのも出来なくなります。
何より的確に質問する機会を学べずにもいました。

初めて我慢が限界に達して上司に相談したのは25歳の時でした。
でも、相談しようと決心していたと同時に自分の中では会社を辞める選択肢しか用意してませんでした。
ですから、上司の励ましも耳に届かず愚痴だけ撒き散らしてすぐ辞めてしまいました。
その後何度も同じ事を10回繰り返しました。

43歳で初めて障がい者雇用で今の会社で働き始めました。
最初の3年間は我慢するクセが抜けない一方で、上司や社長がもの凄く全員に気を配って下さる方々でした。
おかげで我慢していると声をかけて下さり、その都度
「何かしんどい事があったら言ってくださいね」と暖かい言葉をかけて下さいました。
でも、中々自分からは言えずにいました。
しんどいと言う事が恥ずかしいと思っていました。
しんどいと言う自分は情けないと思っていました。
考えがまとめられずに思いの丈をぶちまける事を悪い事だと思っていました。
しんどいを言う時は辞める時だと思っていました。
しんどい事を言う事は逃げだと思っていました。
でも、支援者として利用者には「何かあったら真っ先に相談して下さいね」と良い顔をしていました。

45歳になって限界が来ました。
一時的に職員が減ってしまい、業務量が自分のキャパを超えているなと感じる事も増えました。
新たに入られた方と中々関係を深める事が出来ずに苦しんでいました。
何より自分のやっている事と言っている事のギャップの差に耐えられなくなりました。
でも、不思議と今の職場を辞めたいとは思いませんでした。
辞めてしまうと気にかけて下さる上司の方々に申し訳ないと感じていたからです。
どうする事もできずにお客様先から帰る車の中で、上司に泣きながら「もう無理です」と言いました。
頭の中はぐちゃぐちゃでした。
初めて声をかけられる前に、自分が辞めようとも思わずに、自分からしんどい事が言えました。
上司の方が最初に出てきた言葉が「高橋君の気持ちに気付けずに申し訳ない。言ってくれてありがとう」でした。
その後ボクのまとまりのない話を、否定する事もなく、でも「キャパ超えて出来ない事ってあかんことなんかな?」と気付きを与えても下さいました。
物凄く肩の荷が下りた感覚を味わいました。
「あ、やっぱりしんどい事はなりふり構わず伝えた方が良いんだ」と腑に落ちた瞬間でもありました。
それから、すぐ言えるようになったかと問われると正直時間は掛かりました。
その日のうちに言えるようになったのは去年ぐらいからです。
とある日、上司から「高橋君は、何でも相談してくれるからこそ信頼できるわ」と言われました。
信頼出来ると言ってくださった事も嬉しかったですし、何よりずっと気にかけてくださった上司と何でも言える間柄になれた事が心底嬉しかったです。

だからこそ、思っている事を忌憚なく話が出来る相手がいたり、本音を愚痴れる人がいると本当に嬉しく感じます。

でも本当に最近のことなのですが、これって相手ありきなんだよな、と心底思いました。
ボクがどれだけそう思っても、そうありたいと願っても相手の状態で決まるんだな、と。
どれだけ上司が「しんどかったら言ってね」と言い続けても中々ボクが伝えられなかったように。
ひょっとしたら、上司はボクから言えるようになるのを気長に待っていてくださったんでしょうね。
「根気良く」なんて言葉が好きで、ボクもよく使いますが、よくよく考えたらボク全然根気良くないんですよね。
めちゃ結論急いでしまう人なので…笑
今の職場では、職員としたら最古参になってしまいました。
社会人として自分の振る舞いは見られている事は頭に入れつつも、気長に相手の気持ちを待つと言うのもまた身につけていきなさいよ、と言う事なのかもしれません。

高きより低きに流れる水は、差のほぼ無い所では後押しがなければ流れる事が出来ずないので沼や湖のような形となってその場に留まります。
その場に待ち留まる事に文句を言いません。
そんな水のようにありたいなと思った今日の帰り道。

如水

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