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「結局何も出来ない」の後に続く言葉

どうも、発達おじさんでございます。
最近Youtubeの「かんちゃん住職」の動画にドはまりしておりまして、
何故だか私の文体がかんちゃん住職の口調になりつつあります(笑)

閑話休題。
先日『「結局、何も出来ない」と仰る方を目の前にして、どう関わる?』と
いう記事を投稿させていただきました。
まだお読みで無い方は、下にリンクを貼ってございます。

今日は、このセリフの後に必ずと申し上げても過言ではなく
続く言葉と、そんな方々との私の関わり方を書かせていただきます。
今日の目次は、以下の通りでございます。


1.正解は「どうしたら良いですか?」が続く

説明は端折らせていただきますが、こう仰る方には
様々な事情がございまして、やろうと思ったことが結果出来なかった
といった背景がございます。
そして「結局、何も出来ない」と結論付けている理由として
ご自身の無力さや努力不足を挙げられる方が非常に多くいらっしゃいます。

先日の記事でもお伝えした通りでございますが、
蓋を開けて話を伺ってみると、決してご本人の努力不足でも、
ご自身に能力がなかった訳でも無かったりするのが常でございます。
しかしながら、ご本人はそうは思えなくて、またそう思ってはいけないと
ご自身を縛られておいでで、結果「出来ない」と仰られる訳でございます。

でございますから、もうご本人は考えることに疲れていらっしゃる訳です。
1.の発言の根底には、何をどう考えても結果出来ないので
もう自分では考えられないし、考えるだけでもしんどい。
他にやり方があるなら教えてください、といった
心の叫びでもあるわけでもございます。

あえて暴力的な表現で「思考の放棄」と
名付けておられる方もいらっしゃいますし、
何ならこの私も「この方は考えることを諦められたのだな」と
決めつけてかかって支援をしていた事もございました。

ところが私自身の過去を振り返ってみますと、
同じようなことを申しておるんですよね。
「考えとんねんけど、なんも出来へんねん。やいやい言うてくるんやったら
 やり方もセットで教えてくれへんと、こっちも何も出来へんわ」と、
もう恥ずかしい話ではございますが、逆ギレもここまで来ると
潔いものでございます(笑)
言われた相手からしますと、「もう、ちょっとほっとこか」
なんてもんでございますね。

話が逸れましたので戻しましょう。
「どうすれば良いですか」は、意味ある言葉なのです。

2.「どうしたら良いか」は心のサイン

先ほども申し上げた通り、
「本人は考えることに疲れていらっしゃる」サインでございます。
あまりアドバイスを求めておられる訳ではございません。
ここでスポ根よろしく根性論の説法をしようものなら、
もうお互いの心のシャッターはベルリンの壁より高くなってしまいます。

疲れていらっしゃる訳ですから、ここは今までを労って差し上げたり、
一旦休む事をお勧めした方が良さそうでございますね。

皆様にイメージをしやすいように、一つ例え話をさせていただきます。
皆様も仮に、急に思い立って20Km走破を目標にして、
全力で走ったけれど道半ばで力尽きてしまった時。
それを毎日続けたけれども結局20Km走り切れると実感出来なくなった時。
どうお感じになられますか?
「準備不足だったから、1mmずつでも良いから伸ばしていくか」と
思える方は、ひょっとしたら少数派かも知れませんよ?
多くの方は「20Kmも走られない自分はダメだ」とご自身を責められます。
そしてそのまま「20Kmも走れない」ことを悪いこととして
自分にレッテルを貼るのでございます。
ちなみに参考程度に申し上げますと、フルマラソンですら34.195Kmです。
20Kmも結構な距離でございますよ。
自転車で平坦20Km走っても相当疲れますからランニングで20Kmは
相当な苦行だと認識して頂ければ十分結構でございます。

話を元に戻します。
私もピアサポーターですので、障がい当事者が一般的に抱える葛藤は
一通り経験してまいりました。
加えてピアサポーターとして支援をさせていただいてきて、
障がいをお持ちの方も、障がいがあるからと言って
決して能力が無いわけではございません。
時にお持ちの能力がご自身で決めた目標を達成する事と
ずれていらっしゃる方もおられますが、それも悪いわけではございません。

寧ろ能力はあるんだけれども残念ながら能力を有効的に生かすチャンスに
恵まれていらっしゃらなかったり、
能力がある事に気付けるチャンスに恵まれていらっしゃらなかったり
する方が圧倒的に多おございます。
何なら、能力がある事を「無かった事」にされてこれまで生きてこられた、
そんな方と本当に多くご縁をいただいてまいりました。

私も含めましてこういった方々は、極端に変化を嫌います
ですが、同じくらい結果を求めたがります
人の生き方は、このバランスに尽きるなとしみじみ思うのでございます。

3.私たちに出来る事はなんだろう

先ほども申し上げました通り、今までを労って差し上げたり、
一旦休む事をお勧めした方が良さそうでございますね。
そして何より「思っている以上に自分って何も持っていなくて、
でも持っていなくてそれで良いんですよ
」という事を
安心して相手の方にお伝えする事だと存じます。

ではどのようにお伝えするのかと申し上げますと、
まず伝えるあなたが、「自分ってあんまり出来る事無いけど、
出来る事が無くてええんやで
」と常日頃から実感できていて
その実感に行動が伴っていることが肝要かと存じます。
つまり何かあっても「こんなもん、こんなもん」と
どんな時でも、誰が相手でも、笑顔でおられたりすること
です。

連日のように申し上げてございますが、
人生は思い通りにはならない。行動通りになる
が私の好きな言葉でございます。
ですから、出来る事前提を良しとするよりも、出来ないことも
全く悪しとせず行動し続ける事に意義がございます。

そして、見ていないようで案外見られているものでございます。
特に支援者や親という立場に立ちますと、私自身が思っている以上に
私の「行動」を見られているのでございます。
考え方はあまり伝わってはございません。
一時期「なんでボクの考え方が伝わってへんのかな~」と
私自身思い悩んだ時期があったのでございますが、
理由は簡単。行動が伴ってなかったからです。
利用されている皆さんは私の行動を見ていたからです。

本日の話は以上でございます。
ここから先の話は物凄くどうでもいい話なので、
ここで戻っていただいて結構でございます。
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4.本日のどうでもいい話

今日の話を綴っておりまして、感じたことがございました。
過去に某海外アニメ映画がきっかけで「ありのままの」が
大流行りしましたね。
日本人特有の「自己肯定感の低さ」と相まって
あの歌がまるでお経のように流れていた時期がございました。
実は私、その現象を見ていて物凄く違和感を覚えていたのです。

「ありのまま」いわば「あるがまま」ですよね。
何か「ある」事が前提で解釈をして、さも自己肯定感を得たような
そんな話が世の中を跋扈している事に物凄く違和感を覚えたのです。
「私こんな素晴らしいものを持っているのよ」
「俺、こんな事できるんだぜ」
さも、「もっと持ちなさい」「もっと良くありなさい」と
洗脳でもしているのではないかと感じるくらいの違和感でございます。
私からすれば、自分の事を正しく受け止め理解出来ている方が
世にどれだけいると思っているのでしょうか、と疑問すら湧きましたし
ぶっちゃけて申しますと、出来る事に満ち溢れなくて良いのです。
無いことに気付くことに満ち溢れても良いとすら思います。

そもそも
ある=所有している、ではなく
ある=在る(どんな状況でも生きている)がまま
本質は本来ここにあるはずでございますが、どこでどう間違ったのか
「私はこう思っているのにどうしてありのままの自分を
 受け入れてくれないんだろう」とか
「みんなこんなことが出来て凄いのに、自分のありのままは惨めなものだ」
みたいな考えが加速度的に広まったような気がしてなりませんでした。

そもそも基本私たちは出来る事に限りがあり、
「何か足らんなぁ」で丁度良いのでございます。
人は無い無い尽くしですが何かの目的があるから社会が成立し
その目的を達成する為にお互いに出来る事を補い合うことで
社会が円滑に循環するものでございます。
だから、無いことをもっと肯定的に捉えて結構なのでございます。
何ならあのお姫様が氷漬け能力も何もなく、でも気さくで姉想いな妹がいて
お姫様を慕っている国民が多くいて、
「私に特別出来る事は何もないけれど、
 こんなに素晴らしい人たちに愛されている事は有難いわ」
ぐらいの落としどころの方が個人的にはしっくり来たものでございますが、
それを職場で申しますと「ちょっと何言っているのか分かんない」という
顔をされてしまいました。
なるほど、氷漬けにする姫だけに、自分をアイスって話ですね。
お後がよろしいようで。

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