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「SNSフォロワー数は多いほどいい」だとか「フォロワー数は資産」だとか言われるようになり、増やす手法もいろいろ目にする。僕はというと、FacebookとTwitterで延べ4,500人ほど登録いただいていて、その成果もわかるのだけど、僕にとって本当の価値は、数字や形には表れない過程にある。それはいわば、この写真の"ピンぼけな街の灯り"のように解像度が低いものを、だんだんと鮮明にしてゆく過程だ。

結論として、SNS発信は未完成でいいし、未完成だからいいとすら思う。だからみんな、「自信のない未完成」を、自信を持って、発信していけばいい。

Twitterの「使い方」というテーマ

なぜそう思うのか。先日、ランニング指導者さんに僕のTwitterをおすすめいただいたことから説明していこう。

いかにも@HATTA_Masuyukey=僕は、ホビー・トライアスリートとしての知見をネットで披露しながら、頭の中を整理してきたし、そんなSNSの使い方には僕なりに満足できている。

一緒に紹介されてる@EugeneArimaさんは中長距離走の現役40代マスターズ王者&日本記録保持者、競技レベル超高いうえに、トレーニング論の名フレーズが多い。今このnote書いてる瞬間では競馬の有馬記念についての分析を連投されているけど〜有馬だけに〜これはこれで彼のトラックランナーとしての競技観を伺い知ることができる。人の価値観を知ることは大事だよね ↓

ここで確認しておきたいのは、安藤大さんに推奨いただいている対象とは

自分の知見を披露しながら、頭の中を整理する

という「SNSの使い方」であること。「書いている内容」はここでの直接のテーマではない。正しい使い方を続けていれば、内容は自ずと磨かれ、読者も増えてゆくものだと思うから、まず使い方から光を当てるのは正しい順序だと思う。

僕のSNS活用法

僕のSNSは、まずは「言語化」を極めるという目的で書いている。書くために書く、自己目的だ。もっと言えば、ただ自分自身の知的欲求のために書いている。

そのために、

現在進行系の思考を、未完成なまま、いったん言語化してみる

ということをSNS上で行う。すると、書く過程で頭が整理できる。書いた後はいろいろな反響を得られる。結果、思考をさらに進めることができる。

基本姿勢は、コピーライター田中泰延さんのいう『読みたいことを、書けばいい。』あなたが読みたいことを、あなたに向けて書けばいい。

出発点は個人的なもの、自分ひとりだけの知的欲求でいい。差がつくのは、表現技法とかよりもまず、根拠の持ち方だと思う。筆者なりの体験や十分な調査に基づいて、かつ、読み手(=あなた)にとってプラスな情報があるのなら、下手な文章だって読みたくなるよね?

表現のトレーニング場としてのSNS

そんな発信の場として、反響が数字として即表れるSNSは丁度いい。

僕がSNSでの公開発信を始めたのは7年前の今頃、法政キャリアデザイン大学院の修士論文のテーマにホビー・トライアスロンを選んでからだ。この時から、「まだ誰もなしえていないレベルでの言語化」を目指し始めた。

僕の発信は内容的にアスリートっぽいんだけど、僕にとっては社会学も重要な動機。ただこのテーマは、社会学理論にあてはめただけでは退屈だし、それではホビー競技のおもしろさ・奥深さを表現することはできない。だからアスリートとしての表現を極めたいと思った。この考えは田中研之輔教授という師匠あってのこと。本のあとがきにも少し書いた通りだ ↓

❝ 私は、誰のものでもない自身の身体を賭してこの深みへと潜り、そこでしか発見できなかった言葉を拾い上げてきました。その作業を通じ、「私を強くとらえてきたもの」の本質を探ってきました。 〜 これまで動作技術、身体適応、レースについて、知り、考え、伝えてきたのも、その一環です。それはいわば「書くために走る」ということです。❞ (『覚醒せよ、わが身体。- トライアスリートのエスノグラフィー』 あとがき)

当時書いてたのはFacebookで、Twitterは見る専門。日々の練習記録は手書きノートとExcel、たまにFacebookに書いて、まとまった内容をブログに載せることもある。ブログを書いたらFacebookで紹介すると、反応をすぐに確認できる。

これらの記録は、2016年夏頃から始まった書籍執筆時にとても役に立った。

Facebookを使ったのは、「仕上がったおじさん」の多いホビー・トライアスロンの主要ユーザー層と重なったから。当時は拡散力もびっくりするくらいに強かった。(最近Fbは拡散性を抑えて、狭い知人同士での親密度を高めにいっていて、まあそれはそれで確実に伝わる効果はある)

読まれることの効果

僕は、自分が心からおもしろいと思っていることを、言葉で表現したかった。「自分のための言語化」だ。すると起きたのは、会ったこともない他人に共感いただけるということ。この体験は新鮮だった。

この1つ1つは、1対1のミクロな関係。その数字=いいね数やフォロワー数=多い少ないは関係ない次元。ただ単に「1」のまま幾つも並列しているということ。1の並列とは1のまま。

レースとは自分ひとりだけを垂直方向に高めてゆくものだけど、こちらは結果にかかわらず横方向に拡がってゆくフラットなもの。ここにはレースにはない楽しさがあった。

こんな過程を楽しんでいるうちに、結果として、フォロワーさんが増えていった。中には各分野プロな方々にも評価いただけることもあり、それは予想外に嬉しいことだった。

フォロワーの真の効果とは

フォロワー増加の第一の効果とは、フィードバックの質×量の向上。身の回り数十人と、数千人以上とでは、反響として得られる情報が変わってくる。各分野で優れた知見を持った方々の目に触れることで、修正点・改善点を指摘いただける。

フォロワーさんの多数派にとって関心なさそうなことを書いてみることもある。まあ自己満足で、実際それで減ることもある気がする。でもむしろ自分の価値観と近い良質な読み手の比率が高まっている気もしなくもない。いやそれが自己満足か。笑

こうして言語化を進めた先に、2,000円近い値段をつけて売るための原稿作りもあった。これは楽しいどころか恐怖心すらあったのだけど、その恐怖に耐えられたのも、SNSの前工程あってのこと。そしてSNSのおかげでビジネス面での目標も達成できた。

SNSフォロワー数は資産か? という冒頭の点については、「誰かにプラスを提供した結果として増えるもの」という点では、おカネとの共通性はある。でもそれはあくまでも副産物であって、おカネの本質である「交換可能性」とは違う気がする。そういう使い方をしている人もいるけど、ここメインで目指すのは、特に「信用とおカネとの交換」にまで踏むこむのは、難易度が高い印象がある。

だから集中すべきは、「誰に、どのようなプラスを提供できているか」だけでいい。その結果=いいね数やフォロワー数=を気にする必要はない。ただし、フィードバックとして活用することはできて、その判断は自分で決めることだ。批判でも、スルー、ブロック、改善へのきっかけにする、等々反応の自由を書き手は持っている。それはあなたの自由。

結論: 未完成だからいい

結局、僕はSNSを「立派な知見」として書いてない。はじめから未完成なものとして、途中経過として書いている。書いたあとで完成度を高めていく。

SNS発信は未完成でいい。未完成だからいい。

だからみんな、「自信のない未完成」を、自信を持って、発信していけばいいと思う。

そのうちに,"ピンぼけな街の灯り"のように解像度が低いものが、だんだんと鮮明になっていくから。SNSベースで書くとは、そんな改善し続ける書き方だ。


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