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社会的価値からの離脱
学生時代、
「あなたは働くのに向いてないよ」
とアルバイト先の上司に言われ、死ぬほど腹が立ったことがあった。
回転が早い飲食店で優先順位をつけられず効率良く動けない私に向けた一言だった。
さらに極めつけは
「将来働くより主婦してた方がいいよ、社会に出てもしんどいから」
というようなことをタバコをふかしながら半笑いで言われた。
それは叱責でもなんでもない、私が女でかつ能力がないので社会に出て仕事をするより、結婚した方が楽だ、という人生設計のアドバイスだった。
これが大学生だった私が社会で受けた初めての評価だった。
就活をしてバリバリ働くんだと思っていた矢先に突如として「仕事が出来ない奴」と烙印を押されたことが苦しくて悔しかった。
その一言がきっかけで
「絶対仕事が出来る人間になってやる」と当時決心した記憶がある。
就職してからは社会・会社で評価されるためにはどういう思考・行動が必要か考えるようになった。
上司や同僚とのやりとりで「○○さん仕事出来るよね〜!」という会話は日常茶飯事だ。
誰しもが仕事の出来る人間を褒め、憧れる。
逆に「仕事が出来ない人間は価値がない」という概念が無意識のうちに自分の中で形成されていった気がする。
ビジネス書を読むと
「仕事が出来る人間になるべきだ」というのは前提の価値観だ。ビジネスのための本だから当たり前だ。
でもあの悔しさから10年以上経つがどうだろうか。
部下をマネジメントする立場になった私だが「仕事が出来るようになりたい」という情熱はいつの間にかもうどこか遠くにいってしまったような気がする。
仕事が出来る人間になったからというわけではなく、大きな仕事をやり切った訳でもない。
もちろん仕事で褒められると嬉しいし、部下に頼られるのも悪い気はしない。
だけどこの空虚な感じは何だろう。
毎年わずかに増える給与と責任。
楽しいともしんどいとも言えないぬるま湯の中。
社会的役割があると言えばあるが、いなくなっても代わりがきく仕事だ。
私は社会的価値があるのだろうか…。
ないかもしれない…。
でも本当に社会から必要とされる人ってそんなに多いだろうか?
仕事が出来る人間になって社会から必要とされたいと願った過去の自分。
それに近づいたけどどこか物足りなさを感じている現在の自分。
もしかしたら私がこれから生きる原動力は成功して褒められて社会に認められることではないかもしれない。
というか社会に認められることって何?
そんなことを最近考えはじめた。
だったら社会的価値ではなく個人的価値がどこにあるのか、探していかなければならない。
自分が何を楽しいと思い、好きだと思うか。
恥ずかしながら分からない。
…まさか30を過ぎて自己分析を始める必要があると思ってもみなかった。
だけど社会的価値という呪いから離脱できる気がして少しワクワクしている自分もいる。
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