10時 窓の外を眺める

 たとえ窓際の席に座っていたとしても、授業中に窓の外を眺めるのは、実は大変だ。一瞬見る、とかなら簡単にできるのだが、「ぼんやりと眺める」となると難しい。
 窓の外を見ると視線は完全に教室の外を向いてしまって、先生から見れば明らかに集中していない生徒になってしまうのだ。
 授業中ぼんやりするのならば、窓の外ではなくて下を見たり、あるいは前を見たりしながらぼーっとする方が圧倒的に簡単、そんなことは言葉にはしなくてもリコの体に染みついていた。

 ただ、窓の外を見ること自体は好きだった。校庭や風に揺れる木、高い空を眺めると気が紛れる。だから、リコは授業中も良く窓の外を見たし、「指摘されない程度のチラ見」もまたリコの体に染みつきつつあった。

 その日もリコは窓の外を見た。空には鳥が飛んでいた。とんびだろうか。時折鳴き声を響かせながら上空に弧を描くこの鳥がリコは好きだった。
 しかし、その日のとんびは何かがおかしかった。その鳥は、弧を描いていなかったのだ。確かに同じ場所を飛んでいるようで、窓からの景色から消えはしないのだが、その軌跡は弧ではなかった。もう少し複雑な形を描いているようだ。しかし、それが何かはよく分からない。もっとじっくりと見る必要があった。

 今、授業中である。授業が終わるまであと15分ある。15分後にはあの鳥は窓の外の景色からいなくなってしまうだろう。彼がこんな飛び方をしているのはまさに今なのだ。今見なければ、分からなくなってしまう。「授業中にぼんやりと窓の外を見る」事がいけないことだとしても、そうしないわけにはいかなかった。

 そんな威勢のいい心をもって、大変に地味な戦いがリコの中で始まった。先生から指摘されなければよいのだ。クラスメイトから休憩時間に指摘されることも頭をよぎったけれど、この際それは仕方がないことにした。

 ジグザグとんでいるのか。もしかしたら文字を書いているかもしれない。鳥が文字を書くわけもないし、模様だろうか。や、模様もまた知らないはずだ。ではなんだ。そもそもなぜあんな変な飛び方をしているのか。誰かに見せるためか。私に見せるため、そんなことはないだろう。では誰に。好きな鳥でもいるのだろうか。その鳥に自分の飛び方を見せている。とんびの必死の求愛の時間をのぞき見しているのだとしたらなんだか悪いなあ。でもそれならなおさら見ないわけにはいかないなあ。

 色々なことを考える。考えるたびにその軌跡は違ったものを描いているように見える。果てしなく遠い鳥を目の端で追いながら、リコはそっと窓を半分開けてみた。

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