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2020

一年間の振り返りなんて人生の中できちんとやったこともないだろうけれど、たまたま時間が空いたのでそんなこともやってみる。これは多分、やったことないこともやってみようと思えるようになったということなのかもしれない。そんなことをしてしまったら来年もくたびれるに違いない。大変ねえ。

■冬

 すごくいろいろあった。年明けの広島では悲しいこともあったけど、従妹にお年玉を渡せたよ。人生で初めてお年玉を渡すことになった。年上の従妹は結婚していた。もしも子供ができたらお年玉を渡せるだろうか。渡す人の数も額も多くはないので、お年玉はまだ楽しい。

 そんな広島で、年明け早々に田原と公演チラシの打ち合わせをした。平和公園近くのミスドで約1時間。田原との打ち合わせでミスドを使うのは2回目。1度目はハトノス立ち上げの時だったけど、あの時の国立のミスドはもう閉店してしまったはずだ。まだまだ本は書き終えていなかったが、希望だけはあった。東京に戻り、公演の準備は本格化した。「ハトノスの記憶についての短編集」。3月、上演の中止を決めた。何もかもあわただしくて、ただただ自分の力のなさを感じた。痛感した、と書きたかったが、本当に”痛感”していればもう少し違ったことになっていたのかもしれないと思って、言葉って怖いなと思いながら書き直していく。

 公演中止を決めた翌週、ある友人の家に初めて行った。この時ばかりは久しぶりに、お酒が飲めないことをちょっぴり残念に思った。友人と、その父と私の3人でいちご狩りをした。謎すぎる時間だった。

■春~夏

 そんなこんなで気分的には春なんて来る気配もなかったけれど、気分とは全く別に気候は暖かくなっていく。このあたりのことで書くことがないのは、単に時間がたっているからだということにしよう。とりあえず、夏になって洗濯物が早く乾いて嬉しかったのを覚えている。

 ハトノスでも「ハトノス夏企画」としてラジオドラマを作った。個人的には8月だから改めて原爆について考えてみるなんてことは全然ないのだけれど、それは自分だけの話であって、やはりいろんな人が原爆について思いをはせる8月に発信をすることに意味があるはずだと思って昨年から「ハトノス夏企画」をやっている。今年はまだまだコロナ禍で人と人が合う企画も立てづらく、ラジオドラマを作ることになった。中止となった編集の中から「忘れ果てて」について、大きくシーンを足してラジオドラマを収録した。収録はすべて個々の役者に録音してもらったため、接触はない一方で特に掛け合いのシーンなど大変だったろうが、役者たちはそれに応えてくれた。最初のシーンは8月6日に公開した。8月6日の朝9時前から広島市内のスタバで最後の調整をした。その30分ほど前には川辺で格闘家にならないかと言われたので雑に断っていた。

 いろいろあってラジオドラマは止まってしまっていて、ハトノスはどうしようもない奴だなあと、どうしようもない人間は思うわけだが、現在進行形の結果がそうなっているのだからそれはつまり本当にどうしようもないのだ。ここで振り返りを書いても、音声の編集作業が進むわけではない。

■秋

 秋の記憶がない。多分秋なんて存在しなかったのだろう。大体「四季」なんて言葉があるくせにその内訳はあまりにも不平等だ。冬が長すぎる。夏も長い。秋なんてせいぜいあって1,2週間くらいだろうそれなのに冬と同列であるという顔をして「春夏秋冬」に並んでいるのだから、大変厚かましい季節だなあと思う。そんなもはや書き古されたようなことを私もなぞって書いてみても1年の振り返りにもならないので、自分のツイッターを見て9月から11月くらいに何してたかを見てみる。そして、意外に「秋」の行動を調べるために参照する月が長期間であることに気づき、ため息をつく。

 9月以降、どうやら私は黒い雨訴訟についてのnoteを出して、秩父にエビ中のライブを見に行って、本屋で本を爆買いして結果半分くらいしか読まず、王子小劇場の照明WSで証明を触ってウハウハして、鬼滅の刃を読んでドはまりして、Nintendo Switchでパワプロとポケモンを遊び倒していたようだ。なんだか記憶に残っていないのも納得である。思い返してみればイワークの厳選をしたが「ほえる」を没収されるという弱体化を食らっておりショックを受けたのだった。あと厳選も楽になってたからガチの岩パを作ってみるかと思ったら枠がきつすぎてイワークが抜けて笑ってしまった。岩パを作るきっかけだったイワークが抜けてしまうなんてやるせないはずだけど、なんだか笑ってしまったのはそれがイワークだからなんだろうか。

■冬

 しっかりと覚えている。ここ2週間くらいのことを書こうとしているからだろう。むしろここ2週間くらいのことを書くためにこうして1年間振り返るという口実とともにだらだらと文章を置いてきたのかもしれない。

 日本劇作家協会の新人戯曲賞というものがあって、今年は私書いた『忘れ果てて』も1次審査を通過していて、まあ次の2次審査は通過しなかったのだけど、それに付随しての「悔しい」という思いを、2次審査結果発表の9月末から約3か月ぶりに感じた。審査に不満とか全くなくて、ただ悔しいと思わなかった自分が悔しいという青春の感情がやってきた。あまりにも悔しいものだから、まだまだ生きたいという感情がわいてきた。多分そのおかげで、以降の僕は大変元気だ。必要な本をAmazonで爆買いしてしっかりと読み、新しいPCを購入し、エビ中のライブに一人で行って号泣した。新しいPCはまず電源をつけたらすぐに起動して使えるようになることに感動している。もうPCの不調を言い訳にすることができなくなってしまった。

 新幹線の中では新しいPCを活用しようにもどうにも酔ってしまうので、とりあえずこんな振り返りを書くことにした。このくらいなら酔わないみたいだ。もうすぐ目的の駅に着く。書いていないこと、こんなところにかけるわけないや、ってことももちろんたくさんある。こうやって書いたことは何の役にも立たないかもしれないけれど、書いておくことで安心して忘れられるのかもしれないと思う。発信ツールであるはずのnoteなのにあまりにも自己都合の記事だと思うけれど、このアカウントの投稿のほとんどがそんなものだからまあいいか。一年という区切りにはあまり感慨はないけれど、今元気であることはとてもうれしい。

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