0時 「今日と今日をまたぐ」

ータカシの話ー

0時前、今日と今日との境界線の近く、僕は川岸を歩いている。

夜の川は意外と明るい。大きな街ではないが、住宅地になっていて家の明かりもまだあちこちでついている。向こうに見える橋は一段と光って、暗い水面が反射で白く見えている。それでもその明かりに照らされるべきものは今はそこにいないようだ。どの光も照らすべき対象が分からず焦点がぼやけているようだ。車どおりも少ないし、人の姿は一度も見ていない。思いがけず独り占めしてしまったこの川岸だが、だからといって何かできるわけでもなく、ただ歩いていた。

ここに来たのに大きな理由はなかった。一日中ずっと家にいて外に出ていないことに気付いたのだ。別に外に出ないことで問題があるわけではない。食事はとっていたし、同僚との打合せなどやるべきことは全て済ませていた。ただ、急にこのままだと明日が来ないのではないかと不安になったのだ。とにかく家を出ないと、今日が終らない。何かに憑かれたかのように、気付いたら家の玄関を開けていた。

僕は寂しかったのだろうか。一人暮らしもだいぶん長くなったが、日々色々な種類の寂しさと格闘してきた。何度も負けてしまったし、その中で奇妙な技も沢山覚えてきた。外を歩くというのもその技の一つだ。だから、もしも今僕が寂しいのだとしたらこれで少しは落ち着くはずだし、そうであることを願っている。新たな感情に正面から向き合うだけの余裕は今は持っていないのだ。

人が少なく静かだからか、普段は気付かない潮の香りを感じる。この川もここからは見えない海に繋がっているんだなと思って、そんな当たり前のことをしんみりと考えている自分に思わず笑ってしまった。最初は鼻で、次に口で、最後は腹で笑ってみる。誰もいないんだから問題はないだろう。立ち止まって、心の中のもやもやが晴れていないことを確かめ、座り込んだ。

「ごめんな。」

こんなときに口から出る言葉が謝罪の言葉とは、自分が弱っているのを感じる。誰に対して謝っているのかもわからないまま、情けない思いでただ暗い川を眺めてみる。向こう岸には、誰もいない。僕はいつの間にか、いつかの光を期待していた。


ーまだ学生だった頃、あの頃も川の近くに住んでいた。バイトやサークルで家への帰りが毎日日をまたいだし、一人暮らしだったからそれをとがめる人もいなかった。ただただ、その時は感じられなかった自由に浸かって昨日と明日を通過していっていた。

 そんなある日、帰り道の川岸を歩いていると、向こう岸に光が見えた。時間はちょうど今と同じ、0時前。こんな時間に人がいるなんて不思議だななんて思いながら通り過ぎた。

 その日から、その光は毎日0時前に川の向こうに見かけるようになった。時間が前後するとその光はいないものだから、いつの間にか僕は0時前を目指して帰るようになっていた。観察してみたところ、やはり人がいるようだ。止まっているときもあれば、走っているように見える時もある。確かに0時なんて真夜中に出歩くのにライトを身につけるのは自然なのかもしれない。ライトなんて持ってもいなかった自分はなんて不用心なんだと反省してホームセンターで夜間用ライトを買ってリュックにつけていたら、バイト先でそれを見た先輩に笑われてしまった。けれども自分もライトをつけることで、もしかしたら向こうにいる人もまた僕に気付いてくれないか、そんな期待があったので、僕はライトを外さなかった。
 ライトをつけるようになって一月ほどたっただろうか。僕は向こう岸の光に向けて、ライトを持って手をふってみた。向こうの光もまた少し高い位置で揺れていた。嬉しかった。


今となっては遠い昔の思い出だ。あの後すぐ生活リズムが変わってその光を見ることもなくなってしまった。たった半年もないほどの期間だったが、あの時は毎日、川に近付くのが楽しみだった。
今、目の前、川の向こうのやはり光はない。
ふと思い立ち、立ち上がる。川の向こうに行ってみよう。


少し向こうの、明るい橋を目指して歩きだした。慌てて家を出たものだから、時計もスマホも忘れてしまった。正確な時間が分からないけれど、僕は今日と今日の境界線をうまく跨げただろうか。

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