平成30年北海道胆振東部地震の広域大停電・苫小牧市でのお話

まず、このnoteを書くのに多少の逡巡があったことを告白する。何せ本当の被災地はもっと酷い目にあっているのだ。こちらは水もガスもある停電だけという「ヌルい」状態である。しかし、あの地震から2週間を経過した。今回の北海道全域の停電という事態のローカルから見た事象を書き残しておきたい。

9月6日午前3時を回った頃。突然の揺れに起こされた。苫小牧市で震度5強、厚真町で最大震度7を観測することになった「平成30年北海道胆振東部地震」が起きた瞬間だった。正直、何が起きたか今では瞬時に思い出せない。(睡眠剤を飲んでいたので記憶がふっとんでいるのだ)

記憶に残っているのは居間で家族が集合して懐中電灯の灯りにラジオを囲んでいるところからである。停電だ。

自分はスマホを手にしていたので、ツイッターを見る。これで、かなりの広域で停電が起きていることを知る。朝方になると、これが北海道全域の停電だと判明、苫東厚真火力発電所の停止によるブラックアウト現象だった。

必要なのは食料と現金、ラジオ、懐中電灯など

コンビニの駐車場は既に満車状態。客が殺到したのだ。

信号も止まっている。

ガソリンスタンドにも車の列が出来た。営業できるGSに車が殺到したのである。

起きてみると分かったこととは

電気が止まると物流が止まる

バスは止まり、もちろんJRも飛行機もストップ。公共交通機関全滅である。

幸いにもガスや水は止まることは無かった。

ここでこのような大停電のとき必要なものをピックアップしておきたい。

まずは保存食・非常食の類である。冷蔵庫の中にあるものは扉を開けなければ、かなりの時間「持つ」。また、米もガスで炊けばよく食品に関しては我が家ではパニック買いする必要は無かった。車もガソリンは十分だったので問題はなかった。

また、夜間に懐中電灯が必須である。一家に1本じゃ足りない。2,3本は用意した方が良いだろう。

次に携帯型ラジオである。貴重な情報源となる。

自分の例を考えるとスマホのモバイルバッテリーも持っておくべきだった。これもネットが繋がるときは貴重な情報源となった。

ただし。ネット依存も考えものだと思う。というのは自分の住む地域ではネットに繋がりにくいという現象が起きた。また固定電話や携帯電話も繋がりにくくなってしまった。

上記したものは、すぐに売り切れる。電池類も売り切れる。

予備の電池なんかのチェックも忘れずに行っておく方が良いだろう。

ATMも止まる。いくらか現金も持っていた方が無難である。

停電は日を跨いだ。

いつ通電するのだろう?

この辺になるとネットに繋がらないことが大変にストレスとなった。

停電2日目の夜はろうそくの火とラジオを囲んでの夕食だった。(注・余震を考えると、ろうそくを使ったのは「危険」だった。キャンプ用のランタンを使っていた家庭もあった。出来ればLEDランタンのようなものを常備しておくと良かったのかもしれない)

「2日目」の朝

ラジオでは苫小牧市にも一部、通電再開の報がある。が、我が家は一向に電気が来ない。

夜中に一瞬、ネットにも繋がったので朝には復旧すると見込んでいたが甘かった。スマホの電源もこの当たりで切れる。

で、ここで思うのだが、ストレスマネジメントとしてもエコノミー症候群対策としても自宅・避難所問わず、軽い運動する習慣が必要に思う。

我が家はシャレでラジオ体操をやった(笑)

そしてウォーキングを兼ねながらリュックを背負って近所探索してみた。

当然ながら信号もまだ点いてない。正直、危なっかしい。よく交通事故が多発しなかったものだ。コンビニすら閉めている店がある。そんな中でスーパーは店頭販売形式でカップ麺などを販売して営業していた。客は行列状態。

ガソリンスタンドも引き続き行列。

開いているコンビニでも、売っているのは菓子と飲料類のみ。モバイルバッテリーのケーブルすら売り切れの状態。個人的には煙草を入手出来たのが有難かったが。

結局、煙草と飲料をいくらか買って家に戻ったが、隣町で既に通電しているとのこと。不公平感ともうすぐだ!と思った午前中。

午後。1時間ごとにブレーカーを上げてみるが電気は来ない。

じりじりしながら電気を待つ。

・・・が一向に電気が通る気配なし。

「今夜もダメか」と諦めて夕食(カップめん)を取っている途中。

「あ、隣、電気点いてる!」

あわてて、ブレーカーを上げる。我が家にも電気が戻った!

かなりざっくりとだが、以上が我が家での停電体験となる。

このあと、すぐにスマホを充電しネットにも繋がった。ツイッターでは原発問題が議論されていた。こっちは電気が点いて有難や、と思ってホッとしているときなので少々、面喰った(苦笑)

恐らく「3日目の夜」を過ごした人もいただろう。

それを考えると自分はまだラッキーだったといえる。

締める前に一つ苦言がある。自治体の広報体制だ。

苫小牧市は東西に長い町である。聞き取りにくい広報車を走らせて何になる!?

なぜNHKに情報をプッシュアップしなかったの?

胆振最大の町であることの自覚が無い証拠だ。猛省してもらいたい。非常時に大切なのは情報の共有である。

さて以上、書いてみたが、既に情報の流れの中で風化しているかもしれないが、未だに被害が大きかった厚真町や安平町、むかわ町などでは不自由な暮らしを続けている人もいるだろう。私たちは、そのことを忘れてはいけない。また、冬場の電力需給を考えると安心もしていられない。

このnoteを読んだ方が北海道胆振東部地震を思い返してくれるきっかけに、そして普段の防災の構えを考えてくれれば幸いである。

がんばろう北海道!

貧しいのでいくらか恵んで下さいな