けものフレンズ2の好きなところ

けもフレ2、アラが多いのはまあその通りだよなと思わなくもないですけど、うまくいってる所、やろうとしている事には良さがあるし結構好きなんですよね。

以下好きなポイント

1話:まず「危険極まりない溝」というワードにパワーがあってすごい好き。なにかを分断する溝と、駅間をつなぐモノレールとの2つの意味の異なるラインが出てくるのも対比が効いていて良いです。

あとゲストフレンズのカルガモの人物描写と得意技の描写が丁寧なのもいいとこですよね。あいつが床でジタバタしてるのは、それがちゃんとセルリアンの注意を引くしサーカラにあいつの得意技だときちんと認識されてるところも含めて好きです。

3話:ボール遊びしてるだけなのに謎の犯罪臭がするバンドウイルカとカリフォルニアアシカのコンビにパンチがあります。

たつき監督のけもフレ1は画面が暗めで、箱庭的な俯瞰視点で情報量が多かったんだけど、対してこの3話では登場人物に近い目線の高さから明るい海がバーンと大きく広がって見えて1とは違う2の良さがあるんだぜってところを示せてたと思いますね。

4話:おうちを探してみんなでうろうろする作品全体の縮図的な話。たどり着くべき場所を探していろいろ訪ね歩いては、ここでもないあそこでもないってやるキリスト教徒の寓話みたいなやつ結構好きなんすよね。

6話:けものフレンズの1の10話のリフレインみたいなエピソードですね。

かばんとサーバルに何があったかは全くわからないんですけど、それはつまりその時系列に何を突っ込んでもいいって事で、描かれ得たごこくちほーでのサーかばアラフェネの冒険は今後もなんらの制限を受けはしないと思います。

さて、けもフレの1の作品世界が原作ゲームの配信終了を背景として理解されたことを踏まえれば、けもフレ2のサーかばが「いつまでも幸せに暮らしました」という形で描かれなかった事は、けもフレというアニメの成功が結局たつき監督という功労者がけもフレという企画を去るに至った一連のなんだかよくわかんないやつで悲劇的に終わったことを背景において理解するのが自分の中では自然であるように思えます。

ただこれはあくまで前提であって、けもフレ2の6話はまったく失われてしまったかのように思われていた旅の記憶が、サーバルの中にぼんやりとしたものであれ残っていたことがカラカルによってかばんに伝えられて終わります。「悲劇は避けられない…が、しかし」という前向きさのある話になってるんですよね6話。

8話:もちろんライブ自体もめちゃめちゃ良いんですけど、その手前の余興部分から既にだいぶテンポ良く面白いです。唐突にポップアップして雑に倒されるセルリアン、ああいうの好きです。

あとこの回あたりで「妙に強いサーバルの陰に隠れてたけど、サーバルの相棒やってるカラカルもかなり強いなこれ」という感触が得られてきます。

9話:とにかくもうイエイヌという奴の悲しさに捧げられた、そこだけに焦点の当てられた話になっていて、むちゃくちゃ悲しい気持ちになるので良いです。

9話前半、おうちのために外部からご主人様を調達してこようとするイエイヌは完全に間違っていて、発狂したAIみたいな挙動というか、「ししりばの家かよ…怖…」って感じでこれはこれで面白いです。

その後、自身の過ちに気づいたイエイヌはキュルルに「おうちにおかえり」って言うようにお願いして、その言葉に従うように去っていきます。

イエイヌにとっては救済されることよりも「自分にはおうちがある」という愛と誇りの方が大事だったし、だから他人のそれも尊重しなければならない事に自ら気づくことが出来たんですけど、でも正しいけれど救いのない道を自分の意思だけで選ぶことはとても出来なくて、キュルルに命じてもらってどうにかやっとするべき事をすることが出来たっていうその姿が、ひたすらに痛々しくて辛いです。

「おうちにおかえり」っていう語彙の選択がこれ以外ないって精度の高さですよね。これって「巣に帰れ!」って意味でもあるので、自分にとっての美しい幻想、狂気の世界に他人を巻き込もうとしていたイエイヌの、ある種の魔法を解いて目を覚まさせる言葉でもあります。そしてそれと同時に、「おまえにはおまえの誇るべきおうちがある、その原点にたち帰れ」という意味の、なんというか本来の魔法をかけなおす言葉でもあるので、イエイヌは勇気をもって辛くとも正しい道を選ぶことが出来るんですよね。

でも悲しいのはイエイヌの強さと誇り高さがあいつ自身を救うことがないということです。良き過去を無かったことにしはしない、という点で9話は6話と同系統の話ですが、6話と比べても9話のイエイヌへの埋め合わせの少なさは際立つものがあり、最終回までに何らかのフォローがあって欲しいものだなと願います。

あと自分は強さ議論脳なので、サーバルの隣にいるせいで目立たないけど地味にスペック高そうだよなと思っていたカラカルと、それなりに強キャラ感を出していたイエイヌとの間に、蓋を開けてみるとえぐいくらいにレベル差があったのにはテンションが上がりました。

10話:50億羽とかいたのに今は一人旅をしていて寂しさを覚えているリョコウバトと、人類滅亡(予想)後のキュルルを重ね合わせてくるの良いですよね。

良き過去を偲ぶよすがとしてのおみやげをクローズアップした話でしたけど、『クズがみるみるそれなりになる「カマタリさん式」モテ入門』を読んで以来おみやげには特別な感情を(俺が)抱いているので好きです。


1話は分断する溝とつなぐ線路の話、2話と4話(ジグソーパズル)は壊れたものを修復する話、3話と8話は失われたものを再生させる話、5話と7話は対立をなだめる話、6話と9話は悲劇に終わったとしてもそこに喜びがあった事は否定されないって話、10話は良き過去を偲ぶよすがとしてのおみやげについての話だと思うんで、全体としてはおおむね悲劇を乗り越える話をしようとしてるんじゃないかなと思うんですけど、さてあと2話でどうなるでしょうか。

たつき監督版のごこくちほーの冒険はいまなお見てみたいので、10年くらいしてうっかり実現してくれねーかなーと思うんですけどどうでしょう。ケムリクサが毎週めちゃくちゃ面白い上に売れ行きも良いのは実に喜ばしいことですがそれはそれこれはこれなので。

(追記)

11話:前半は終局に向けてこれまでのおさらい、後半は地獄のフレンズ軍団のアクションと言う回。アクションの中でかつて対立していたフレンズの和解も描かれます。

良いものも生み出したが悪いこともした人類の価値の両義性が、キュルルにも「良き過去を偲ぶよすが」として贈られたイラストが、フレンズ型セルリアンの発生源になってしまうという形で降りかかって来るという寸法ですね。

旅の中でキュルルと出会ったフレンズたちを満載した荷台連結トラクターですけど、4話まで乗ってて印象的だったモノレールを思い起こさせるんで、これまでの物語の振り返りとして良いんじゃないでしょうか。

1の12話は獣性!って感じでしたけど2の11話は暴力!って感じですね。とくにワニとヒョウとの暴力!暴力!暴力を持つ者同士としてのリスペクトに基づく分かりあい!イエーイ!というのがひどくて好きです。

今更ですけどキュルルの赤青オッドアイきれいですね。

12話:ビーストまわりはあまりにも積み上げが足りないし崩落の中に消えるラストもどうかしてると思うんですが、それはそれとして、ヒト…すなわちフレンズのみんなに迷惑かけマンとしてその根底に有るものを問われたキュルルの叫びが、間接的にビースト(ヒトの罪の象徴であり、和解を拒む者の代表でもある)とのまるで共闘みたいななにかを呼ぶ流れ自体は正しいよなと思います。ビースト参戦後のバタバタ感も好き。

現在の中に探しものを見つけ出したキュルルと、良き過去をこそ誇るイエイヌとを置いた上で、かばんとサーバルは未来における再会を約束するのはすごい好き。断絶をこえて何度でも何度でも出会いなおすふたりという再会のロマンチック。

あそこでようジャパが流れるのは「また会おうね」「約束だよ」が止まっていたふたりの物語が再起動した瞬間だからですよね。

いったんは風に飛ばされてしまっても、再度砂浜に漂着する帽子の描写も良し。

Cパート、9話でキュルルはイエイヌに対して何もしてやれなかったけれど、外部者として出来る範囲のせめてもの慰めは、遥か過去にすでに贈られていたのだ!というある種の時間SFネタな仕掛け。イラストの中にミライさんも入ってるのもまた良し。ただまあ、キュルルたちがイエイヌ宅を再訪するところも見たかったのも確かですが。

総じてとくに良かったところは

・ED1「星をつなげて」

・「危険きわまりない溝」「おうちへおかえり」「また会おうね」あたりの語彙選択の適切さ

・過去に存在していたものはとても良いものだったが滅んでしまったのだという前提の置き方、そして断絶をこえる再会のロマンチック

・9話のめちゃくちゃな悲しさ

あたりでしょうか。

キャラクターで言うと文句言うたびに執着が強くなってく感じのカラカルが良かったです。地味に強いところも好き。

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