シェア
今日は6時半に起きた。隣の部屋のソファベッドにはAが寝てる。 人がいる気配の中、眠りにつくのは久しぶりで、夜中に何度かもう朝かな?と目を覚ました。 起き上がって、まだ寝ているAを見て、改めてAにベッドを使って貰えばよかったと思う。ソファで丸まって寝ているのはやはり狭そうだ。 次の機会があったらそうしよう。 そのまま、そっとシャワーを浴びて、家仕事をした。Aを起こす時間としてはまだ早い。自分以外の人がいると、水場の扱いや衛生観念にいつもより気を使うなと思いながら、昨日飲んだグ
ご飯を食べて、ネットを見て、本を読んで、寝る。 私は現実に生きているけれど、 生きていない気がする。そういう遮断した時間を持つ。 現実にいない気がする。それは、なぜかを考える。 生きていくというのは、月日を経て変化していく人・もの・こととの関わりなのではないかとふと思う。 それが、肌荒れでも、私はその変化をみる。 植物の伸びとかにもそれを思うだろう。 今と今から先の変化と、そこに付随する能動的な行動や思ったりする。 一喜一憂したりする。その一喜一憂に、どこか能動的さ
チェロがほしい。 そう書けば、チェロが手に入るわけではないのだけれど、チェロがほしい。この3日間熱に浮かされたようにチェロのことを考えている。 あの飴色の、触ると少しだけひやっとする吸い付くような本体に触れたい。側面に頬をつけたい。低く嫋やかに響く、あの音を聴きたい。 というか、弾きたい。 ライブを聴きに行っていて、バックにストリングスがいると心が躍る。 好きな曲に浸る時、多分ピアノの演奏ができる人が指真似をしたくなるのと同じく、弾いている自分を想像する。 オーケストラで