朗読劇『はなしぐれ』についてつらつらと ※ネタバレあり

朗読劇『はなしぐれ』を観劇してきました。
脚本を務めた吉岡茉祐さんのファンとしての感想だったり考察だったりの殴り書きです。
1月31日には生放送で、2月3日には作品の感想会ラジオだったり解説だったりがあるので、その前に何としてもアウトプットしておきたいと思い、慌てて書き起こしています。

こういったことをするのは初なので、多少の粗さは大目にみてにゃん。

1:作品の主題とタイトル

作品の主題、「要は何」ってところ。
全ての創作の芯(言い過ぎか?)
ここは吉岡さんが伝えたいメッセージ性というより自分が何の話だと捉えたかの話。

作品の主題は「大人になること」だと感じた。
進たちと近い年齢にいることもあるから彼らがぶつかる壁に対して自分事として感じられたからだと思う。
この『はなしぐれ』において、大人になることを何で表現しているか。
自分は『諦めること』だと感じた。

1-1:諦めること


進はサッカーを諦め、美波は兄を諦めた。
そして二人の鏡のマリアと道留はお互いを諦めた。
岩斑も遠藤も慎介も。何かに対して諦める人、諦めた人が描かれている作品だった。
人生で大きな決断をするときに、それまで抱えていたものを下ろさないと登れない階段があってそれを下ろすための物語のように感じた。


しかし、このはなしぐれは諦められない二人の物語だった。

1-2:前に進むこと


作中で進はサッカーを諦めると同時に遠藤から仕事を紹介される。
進むは遠藤の「諦めか?」という問いかけに対して「前に進むきっかけ」だと答える。
それに対して遠藤は仕事を紹介する。「もし諦めると言ったらこの話はなしにするつもりだった」と添えて。

その後は美波との電話をきっかけに二人は離れることになる。
進はサッカーを、美波は兄を諦めたと言う。
進は前に進むためにそれまで抱えていたサッカーを置いていかなければいけない。
美波はその進を見て、進に重ねていた兄の幻影を置いていかなければいけなくなる。(美波と蘭子のシーンは後述)
それは同時に二人の関係を置いてかなければいけないことを意味していて、だから二人はこれを機に離れることになる。

1年後、進は神社の境内にて美波の漫画を発見する。
そこで描かれていたのは劇中作「花時雨」(影ナレと終盤のラジオ、ラストの1枚絵からみてタイトルはこれで間違いないと思う)。
美波をモデルにしたマリア、進をモデルにした道留、慎介をモデルにした恭介の物語。
最後、マリアは進に別れを告げる。
理由は道留の海外留学。
これは前述のお互いを諦めたこと。
ただ、道留は海外留学がある。前に道がある。マリアはそのために自分を殺して嘘をつき、最後恭介の前で道留への思いを吐き出す。
そんな悲しい結末。(このシーンそのものも後述)それを見た進は「悲しい話は好きじゃなかったのかよ」と涙ぐむ。6年後。
人気作家となった美波とアニメ化した作品「花時雨」。
そのラジオに美波がゲスト出演し美波宛てにお便りが。

1-3:諦められない二人


境内にて待つ進。そこにやってくる美波。
美波宛てのお便りは進からのものだった。
進は6年越しの告白をし美波はそれを受け入れる。
そして二人は結ばれる。

進と道留、美波とマリアはツイの存在として描かれている。
片方は別れ、片方は結ばれる。
マリアと道留にできなくて進と美波にできたことそれは何なのかと言われれば「諦められなかったこと」だと思う。

離れた後(詳細な時系列は不明。おそらく蘭子とのシーンからほど近い時期だと推察)美波は自身の体験をもとにした花時雨を書き、約束の場所こと神社の境内に置いていった。
進は慎介との約束通り美波を迎えに行くため、意趣返しのつもりだろうか公開ラブコール。

二人は自身のそれまでの執着と二人のつながりを置いていった代わりに先に進んだ。けど諦められなかった。
諦められないならどうするか、行動に移すしかない。言葉にするしかない。
好きを伝えるしかない。(岩渕と進のシーン参照)
それが出来た二人だから二人は結ばれた。

1-4:はなしぐれ

花時雨という単語の意味、
ざっくり言えば春先の通り雨のことだ。ごく短い時間。
マリアと道留が二人一緒にいられた時間は短かった。
それこそ春の通り雨のように。あるいは満開の桜のように。
その短い時間が永遠に続けばいいのにと願うマリアの想い。
「この雨がやまなければいいのに」
やまなければ、雨が降っていれば一緒の傘に入っていられる。
一時のかけがえのない、大切な時間だった。

こっちのがわかりやすい


おまけ1 泥がつくということ

大人になることは諦めることだと決め打ちしてここまで書き進めたが、「泥がつくこと(汚れること)」だと捉えたらまた面白いかもしれない。

劇中に幾度も登場する「下ろしたばかりのスニーカーに泥が付いている」というセリフ。
生まれたばかりの赤子が白いスニーカーだとしたら、靴底の汚れ、ないしは雨のひに跳ねた泥が付くこと、それが大人になることだとしたら?

はなしぐれは大学生のお話。前作「あの星に願いを」は高校生のお話。
高校生が主人公では書けなかった、あれやこれが本作にはあったのではないだろうか。
残念ながら筆者は観劇していないのでこれを確認するすべはないのでこれ以上思考を進めるのは難しそうだが……。
(せめて台本があればなぁ……)

おまけ2 吉岡茉祐ファンとして


冒頭書いたように筆者は吉岡茉祐さんのファンだ。
しかし歴は半年ほどで彼女の長編朗読劇を体感するのは今回が初めてだった。
その中でファンとして嬉しかったことは
「今を大切にする」という想いに触れられたことだ。

筆者が吉岡さんのファンになったきっかけ、その瞬間のマインド。
活動を追っているとひしひしと伝わるのが「その瞬間、そこにいる人との時間を大切にしたい」という吉岡さんの想い。
それが作品に随所に現れていたと感じる。
タイトルの『はなしぐれ』まさにそうだ。

個人的に自分がかっこいい、好きだと思う人の共通点が
『その人が何を大事に生きているのかがわかること』だ。
一貫性ともいえるかもしれない。

「後悔しない人生選択」をモットーに掲げていたり
wake up, girls! 時代のお決まりの煽り「灰になる準備は出来てますか!」だったり
数ヶ月前に公開されたインタビューの「行くなら過去? 未来?」に対する回答だったり。
普段から本気で思って生きているからこその一貫性。それをこの作品でも味わうことが出来て良かった。

次項では少しメタい内容(作中劇の話)にも触れたい。
必然的に次項では推しを疑いに掛かるパートになる。
俗にいう考察パート。
本稿ではあくまで主観で何を受け取ったかが重要で、言ってしまえばだれに何を言われようが俺が正解のパートだ。
が、次は脚本家先生との解釈バトルと言っても差し支えない。
吉岡茉祐さん、対戦よろしくお願いします。

この群青には果てがない

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