舞台「泡の流れのように」を鑑賞しました


はじめに

 ナシカ座第8回本公演「泡の流れのように」という舞台作品を鑑賞してきた。(7/27(土)18:00~ @シャンプーチーム)
 このnoteには、アンケートのQRコードを読み込み忘れたので、アンケートに書こうと思っていたこと、素朴に感じたこと、賞賛と批評とを記載したい。3,500円も払ったんだ、賞賛も批評もする自由くらいあるだろう。
 書いている本人は、人生で初めて舞台という芸術を鑑賞した。連れが私を舞台鑑賞に誘ってくれた。私の世界を広げてくれて、深く感謝している。
 これを書いているのは7/27の深夜だ。当日、鑑賞してきた熱のままにこの手を動かしている。賞賛も批評も、あるいは鉄も私は熱いうちに打ちたい。

お芝居

 「舞台とはそういうもの」と言われたならそれまでだが、全体的にやりとりのテンポがはやくて、ついていけない所があった。コメディと伺っていたため、観客を笑わせる工夫を随所に感じたが、中身の理解が追いつかなかった所もあった。せっかく面白いことを言っているのだから、もう少し間を意識して、さらに魂をこめて台詞を言って欲しいと感じた(魂がこもっていないと言っているわけではない。あくまで出力を上げて欲しいというニュアンス)。だが言葉は明瞭で聴き取りやすく、後ろから2列目の席にいてもはきはき聴き取れた。
 また、これも「舞台とはそういうもの」と言われたならそれまでだが、舞台における「静と動」の割合において「静:動=2:8」と感じるくらい動が多かった。ずっと皆大きな声を出して、大仰なやりとりをしている。私はもう少しこのキャストの方々の「静のお芝居」も観てみたかった。

脚本・演出

 素晴らしいと感じた。鮮やかな伏線回収、ドラマ感、鑑賞が終わった後の「あれは何だったの?」が少なく登場人物一人一人に感情移入できた。演出についても、舞台背景が銭湯の内装のまま繰り広げられていたが何も違和感を覚えることなく鑑賞できた。きっとライトの使い方などが巧みだからであろう。
 ただ、脚本について言いたいところがあるとすれば、以下の2点である。
①徳永氏について
 氏がいわゆる刺客であることを堀田氏・氷川氏から本城夫妻たちに伝えるシーンがある。徳永氏は本心を打ち明け、良心の呵責から本城湯から飛び出してしまう。ここまではいい。問題はその後で、徳永氏は本城湯を救うべく父親に電話で助けを求めるシーンがあり、そのシーンが終わった後彼は本城湯のメンバーとして復帰している。私がここを観たとき、「海斗くんしれっと復帰しとるやん!」となった。
 私としては、父親に電話で助けを求めたシーンの後にでも、徳永氏が本城夫妻の基に出向き、改めて謝罪すること+一緒に本城湯の一員としてこれからも一緒にいたいことを伝えるシーンを入れて欲しかった。これは「泡の流れのように」という作品の中でもかなり大事なシーンなのではないか?と私は素朴に思う。

②郷田氏について
 「昭和のパワハラ肯定辣腕ディレクター」としてインパクトのあるキャラをしていて大変印象深かった。ただ、本作品の中で氏が「なぜ緑の服装をしているのか?」という部分に対する明確なアンサーが感じられなかった。ドラマの登場人物?と触れられていたような気がしたが、思い当たる節がない。もし共通認識として「緑と言えばアイツだよアイツ!」というのがあるのなら、自分の勉強不足である。
 また、氏は作品中に二人のAD(細井氏・戸井田氏)に行進の指示を行うシーンがある。ADは「1,2」のかけ声に合わせて行進するのだが、彼らは「1」で右足、「2」で左足を出している。一般的な行進においては「1」で左足、「2」で右足を出すのが正しいとされている。
 本当の「昭和のパワハラ肯定辣腕ディレクター」ならば、この点を見逃すはずがない。鑑賞していて、ここは徹底して欲しかったなと思った。だがADの連携や台詞の統一感は見事であった。氏にも昭和の人情味や面倒見の良さを感じ、慕われる理由が伝わってきた。

登場人物

一人一人触れていきたいが、特に印象に残った人物に焦点を絞って批評したい。

本城ひかり氏

 とても華のあるキャストだと感じた。間を意識して、と冒頭に記載したが本城ひかり氏の台詞はそこに間があり、聴いていてストレスがなかった。また、歌声も見事であった。後ろから2列目の席に座っていたが、明瞭に聴こえた。
 ただ、これは演出にも言える話だと思うが、ギターについては一家言ある。
■本城ひかり氏のギターについて
 鑑賞していて不思議に思う部分が幾つかあったため、列挙する。
①ピックについて
 本作品において氏はピックを使わずフィンガーで弾いているように見受けられた(もしピックを使われていたなら私の目が腐っていることになる。申し訳ない)。アコギにマイクを接続しているならフィンガーの柔らかい音のニュアンスを活かせただろうが、本作品ではマイクを接続していないように見受けられた(もし接続していたなら私の耳も腐っていることになる)。今回のはこなら問題ないだろうが、後ろから2列目の席にいた私からしたら、音量が物足りなく感じた。演奏の中にはアルペジオ奏法をするシーンもあったが、特にアルペジオの音量はもっと欲しい、と感じた。
 ピックはポケットにも入れられるだろうし、本作品の演奏はカポタストを装着していた。装着したカポタストより左側のフィンガーボードにひっかけることもできただろう。
 だが、3曲のコードを全て記憶し、かつそれを弾き語りながらお芝居に昇華させるのが如何に難しいことかは言うまでもない。氏の練習量の多さを感じた。
②ギターの保管方法について
 本作品の舞台は「銭湯」である。ギター、とりわけアコギは温度や湿度の管理に注意を払う必要がある繊細な楽器である。湯上がりの客が出入りする以上湿度が高くなりやすいのは想像に難くない。ケースに入れろ、とは言わないが例えばアコギの近くにサーキュレーターを置いたりする工夫があれば、私のようなめんどくさい観客も唸らせる演出になっただろう。
 また、カポタストを装着しっぱなしで管理されているのは個人的に好きではない。アコギに必要以上の圧力がかかるし、フレットの摩耗が発生しうるからだ。折角いいギターを使っており、弾き手も美しい声を持っているのだから、管理も丁寧にしてもらえると一観客として嬉しい。
 ただ、鑑賞が終わり、退出するときに舞台を横から見たが、ギター用のスタンドを使ってくれていたのはよかった。もし立てかけていたならもっとこの文章がヒートアップしていただろう。
③ギターの音について
 チューニングをもっと丁寧に行って欲しい。

堀田氏・氷川氏

 本作品の中では不動産会社の従業員として活躍してくれた。冷徹な印象に反して後半では泣かせ所もあるとても素敵な役だった。氷川氏も実はピップル桃のファンだったということでいいギャップを観客に与えていたと思う。
 こういうのはあまり書きたくないのだが、個人的に舞台を人生で初めて観た中で素敵だなと感じたことがある。氷川氏が1箇所台詞に詰まるところがあった。お芝居に慣れていなかったりしたらここで動揺したり、ごまかして笑ったりしてしまうことがあるのかもしれない。だが動揺を微塵も見せず、まるで詰まることすらも台本の一部分であるかのように演技をしていた。これは鑑賞していてかっこいい!と感じた。
 ただ衣装については、言いたいこともある。私の目からしたら両名とも若々しく凜としているからこそスーツが安っぽく見えた。二人とも不動産会社(劇中の台詞から察するにデベロッパーだろう)の人間にしては就活生に見えた。特に氷川氏のカバンが就活生のそれに見えて仕方なかった。脚本も芝居も素晴らしいのだから、例えば堀田氏はダブルのスーツを着用する、とか氷川氏は華やかなベージュのセットアップを着用したり明るい色のショルダーバッグを携行したり、そうした登場人物のペルソナを深掘りした上での衣装の工夫が欲しかった。

おわりに

 作品を鑑賞していて、キャストの方々から情熱や苦悩、葛藤、舞台への愛、楽しませたい気持ち、そういった数々の気持ちがまるで輝く粒子となって、観客席へ流星のように降り注いできているように感じた。
 一人一人が輝いていたと思う。
 きっと恐ろしくなる量の練習と研鑽を積んできたのだろうと推察する。
 とても素晴らしいひとときだった。おかげで眠れなくって、こんな時間まで起きて、こうして文章を打っている。
 人生で初めて観た舞台が、「泡の流れのように」でよかった。

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