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鮮魚街道七里半#1

 鮮魚街道七里半 -布佐から松戸まで-
 江戸時代から明治初期まで、銚子で水揚げされた魚をなるべく早く江戸まで運ぶために利根川〜江戸川間を陸路で繋いだ鮮魚街道(なまみち)を辿る旅。

 鮮魚街道(なまみち)という。
 この街道を見つけたのは、船取線(県道8号線)をテーマにした写真を撮っている時だった。いつものように撮影した翌日にどこをほっつき歩いたのかパソコンを使って調べていると、グーグルマップの船取線の脇っちょに「鮮魚街道」という文字が目に飛び込んできた。付近に沼や川はあれど関東平野の大盆地に突然「鮮魚」の文字。確実に通ったことがある道なはずだが記憶がない。

 なぜ?

 そう思ったら調べなければ気が済まない。するとネットの先人が詳しく調べてインターネットに載せていた。

 江戸時代、銚子から水揚げした魚を舟で江戸日本橋まで運ぶため利根川から北上して江戸川へのルートを使っていたのだが、時間がかかりすぎるので布佐で一旦魚を馬車に積み替えて松戸まで陸路で運ぶ。その陸路を鮮魚街道(なまみち)と呼ばれたのだそうな。やがて鉄道や車の登場とともに明治初期には廃れていった街道だったのだ。

 私は新京成線で松戸駅に向かった。

 鮮魚街道終焉の地である松戸に行ってみようと。    
 ホントのことを言うと松戸は家から近く便利だからである。出発地点の布佐駅に行くのは時間がかかるしお金もかかる。

「行ったはいいけど大したことなかった」

「ちょっとイメージと違う」

などは良くあることで、まずは松戸で様子見である。とりあえず鮮魚街道の雰囲気を体験してみよう、そうしようそうしよう。

 カメラはLeica M9、レンズは宮崎光学 MS-OPTICS Tessar T* 35mm F3.5。1995年に発売されたバカチョンカメラの京セラT-PROOFのレンズを宮崎光学がライカMマウントに改造したものだ。通常この1本で事足りるのだが、なにせ今日は初見の地なのでプラスでCarl ZeissのContaxマウントをAmedeoのアダプターでMマウントに変換したCarl Zeiss Jena Tessar 2.8cm F8とTessar 5cm F2.8を鞄に忍ばせる。全てのレンズをテッサーで揃えて挑んだ。
 クラッシックなこの2本のレンズは、モノクロでは抜群の写りをするのだが、カラー写真では先の宮崎光学の35mmとまるで違う発色のため、一連の作品として並べるにはあまりにも描写が違い、使い物にならなかったことはこの時の私は知る由もない。ちなみにこの後出てくる最初の1枚がTessar 2.8cm、その後の3枚は全部、宮崎光学のTessar 35mmだ。とくにフレアがすごい。リック・フレアーばりのフラっフラなムーブである。

 松戸駅で降りて江戸川を目指す。

 松戸駅は良く利用するが、駅を降りて江戸川まで歩いたことはない。川沿いまでの道は意外に風情がある。江戸川土手の写真を押さえて、陣屋跡から正式に鮮魚街道逆行をスタートさせることにした。

 江戸川の小高い土手に立ち、川面の風に吹かれながらこれから歩く利根川方面を見ると、なんとなく江戸時代の景色が見えてくるから不思議だ。

 イケる!
 この企画は成功する。

 そんな予感がしたので「鮮魚街道」をスタートさせることにした。ここから常盤平駅までが今日の撮影の目安である。調べてきた地図を見ながら歩き始めると急にお腹が痛くなる。これはドッカン型の腹痛なので危ない。何もない撮影地での腹痛イコール死を意味する。それを良く知っている私は、急遽、伊勢丹跡の新しい商業施設を目指した。一目散に歩いてせいぜい10分程度だろう。もちろんその手前にコンビニでもあれば果敢にチャレンジするつもりだ。
 唇を噛みしめながら歩き、あとちょっとで商業施設という所で、突然バケツをひっくり返したような2000tの雨が降ってきた。競歩選手ばりの小走りで目的の商業施設に駆け込むと、どうやら私がやっとの思いでたどり着いたのは社員通用口。ここからでは施設内に入れない。配送するトラックが行き交い、警備員も忙しそうに交通整理をしている。その門のさらに50mほど先にどうやら入り口らしきものが見えている。全身の毛を毟られたような鳥肌を立てながら、私はやっとの思いで商業施設に入れた。
 しかし、ここは商業エリアではなかった。やけに静かなこのエリアは松戸市役所の施設になっていた。1階には当然トイレはないだろう。すぐさまエレベーター近くの案内板を見た。3階に職業安定所がある。今日は生憎の休日なので、恐らく職安はやってないだろう。

 駄目もとで行って、もし守衛さんに止められたら真摯にこの切羽詰まった状況を伝えるつもりだ。心の底から想いを伝えれば、必ず伝わるはず。過去にそういう経験があるが、寧ろ普通以上に優しかった。その時の相手は歌舞伎町の雑居ビルで裏ビデオを販売するヤクザの店員さんだったが…。
 しかし心配はノープロブレムだった。誰もいない。人の気配もない。ありがたいことに電気だけはこうこうと灯いていた。私はジェイソンボーンのようにフロアの案内図を素早く見て、迷わずにトイレに入っギリギリセーフ。ズボンを下ろしきったかどうかで、すでに決壊していた。どうやらコンマ何秒差で下ろしきってからの決壊だったようで、パンツは無事だった。すでに「鮮魚街道を撮る」なんて大それた気持ちは萎えていた。先程のスコールで服は汗でびっしょり、靴は雨でぐっしょり、よろよろと外に出ると雨は止んでいた。「鮮魚街道」撮影の続きを何となく始めた。私の個人的な家庭の事情で、この日を逃すとなかなか撮影するタイミングがない。なので下調べしていたルートを辿ってまた歩き始めた。10分ぐらい歩いたところで再び雨がポツリポツリと降り出した。構わずに歩いているとやがて本降りへと変わった。

完全に萎えた。

記念すべき鮮魚街道初日はあっけなく終わった。

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