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忘れ去られると思っていた世界の片隅で叫び続ける

僕たち競輪選手の給料(賞金)の平均取得額が過去10年で最高となったそうです。

この3年間で競輪界の売り上げは劇的に回復しました。

しかし、更に10年以上前から競輪選手をしている僕はもっといい時代を知っています。

競輪の売り上げ額が最高だったのは平成3年で2兆円まであともう少しだった。
そのタイミングであのバブル崩壊がやって来ました。

世の中に大変な不景気の波が押し寄せ次第に競輪の売り上げも世の中の景気と共に下降を始めます。

ここから5年後の平成8年に僕は競輪選手としてデビューしました。

売り上げは下降しているものの、選手獲得賞金額は最高潮で1人あたりの平均取得額は1300万円を超えていました。

2、3年目までは変わらずにそのままの賞金形態だったように記憶しています。

しかし、売り上げ額の減少に歯止めが効かず毎年度どんどん選手の獲得賞金も共にダウンし始め、同時に規模縮小の動きが始まったのでした。

現在まで、4400人程いた競輪選手は2400人ほどまでに減らされ、競輪場も50場あったものが7場も廃止され43場まで減り、競輪場への入場者数も約10分の1にまで減って存続危機が叫ばれる競輪場が多数ありました。

これが10数年前までのことです。(大まかに語っているので誤りがあった場合はごめんなさい)


「えっ!競輪選手っ!凄いね!!」

初めて会った人に自己紹介で職業を伝えるといつもこう言ってもらえます。

驚きと好奇で話してもらえるし話の掴みにもなるしチヤホヤしてくれるので悪い気はしないのですが、、そう言ってくれる皆さんのほとんどが競輪は知ってるけど、いつ、どこで、レースが開催されているのか知っている人はわずかでした。


競輪選手になった頃

S級開催とA級普通開催の差もありますが各競輪場での入場者数の格差はもうすでに大きく、出走時に客席にほとんど人のいない競輪場ととても賑わっている競輪場の差が激しく、本当に誰か車券買ってるの?って気持ちになることが多々ありました。

施設も中々のビンテージ感が漂っていて、僕の地元にある小倉競馬場などに行った時にはその差に震えながら生ビールを飲んだのを憶えています。(夏の競馬場で飲む生ビールは美味い!)

お客様もお仕事を引退なされた男性の方々が中心なようであまり、若い人を見かけることはありませんでした。

時はバブル崩壊後の就職氷河期、平日の昼間にギャンブルやるような若者などいるはずないよなと思っているうちに、毎年売り上げが下がっていきましたが同世代の若者と比べてかなりの収入はあり、自分のトレーニングとレースのことだけ考え、レースが終われば打ち上げで憂さを晴らして、また練習に打ち込む生活を送っていました。


毎年度の賞金(給料)カットが始まる

しかし、ない袖は振れない。
すぐに賞金額のベースが減額され始めました。
10年ほど経った頃、一番貰える賞金が低くなり、廃止される競輪場、存続の危機が叫ばれる競輪場が増え、大幅な選手数の規模縮小がされました。

レースを走ってその成績だけが収入なので、この頃の賞金ではランクが低い選手は日々の生活を続けていくのがやっとで、プロスポーツ選手として夢の持てる職業とは誰にも言えなくなっていました。

そして、どんどん規模が縮小されていくことでの世の中から忘れ去られてしまうのではないかという危機感でいっぱいでした。


競輪選手のキャラ

競輪選手は個性の強めなタイプが多いです。
俺は競輪選手になる!なんて言う奴が無個性なわけが無く各自それぞれクセがある。だが、それが面白い。
そんなキャラ濃いめで面白い仲間たちが日々、必死にパフォーマンスの向上に努め、身体を鍛え上げ、定められた規定の中で試行錯誤を繰り返し自転車を速く走らせようと頑張っている。

そんな仲間たちのことを世の中に知ってもらいたい
世の中から忘れられる不安と危機感の中、そんな風に思っていました。

でも、どうすれば…


競輪業界の試み徐々にプラスへ

2000年に競輪業界は新たな施策としてナイター競輪を始めました。

走っている選手としての体感ですが来場してくれる方々は増えたように感じましたが、統計の数字では売り上げも来場者数も減少の一途でした。

しかし、昼間の開催よりは高い売り上げだったのでナイター開催は増えていきました。

※来場者数に関しては電話投票やネット投票が普及してきたというのも減少の要因であると思います。

そして、そこから11年後の2011年にミッドナイト競輪、翌年にはモーニング競輪が始まりました。

A級の選手を中心とした開催です。

A級選手にとっては朝早くから夜遅くまで、そしてその時間の落差と闘いながらトレーニングをしレースに向けて調整をしていくという過酷な日々が始まったのです。

ぶっちゃけるとこの時、こんな無茶な時間帯にレースなんてありえないし本当に走るのかと思っていて、S級からは絶対に落ちてたまるかと不謹慎な事を思っていました。
(申し訳ありません)

しかし、徐々にミッドナイト競輪が売り上げを伸ばしてきたのでした。

無観客で開催にかかるコストをカットし電話投票とネット投票のみで開催するミッドナイト競輪は、世の中にインターネットが普及しSNSを利用する人が爆発的に増えたことと上手く噛み合い、A級選手たちの認知度が高まって、昇級や降級、若手の成長などの人間ドラマが伝わりだしたことに一つの要因があると思います。


いつ、どこで、誰が走る、を知ってもらえる

より認知度が高まり始める中、SNSで発信する選手も現れ始めました。
いつ、どこで、誰が走るのかを知ってもらうことがあの個性豊かでキャラの濃ゆい仲間たちの人間ドラマを楽しんでもらえるはずだと思っていた僕も、そんな中Twitterを中心にSNS発信を始めることになりました。

その経緯はこちら


世の中とは裏腹に

そして4年前、あのコロナが始まったのでした。
人々の隔絶と閉塞感が世の中に拡がり、緊急事態宣言が出され外出自粛、あらゆる制限に縛られることになりました。

競輪界の有様も大きく変わってしまいました。
相次ぐ開催中止や開催形態の変化、、、

9人で走っていたレースも7人に変わりました。
毎日あらゆる事にピリピリしながら過ごしていました。

しかしそんな世の中の苦しい状況とは裏腹に公営ギャンブルの売り上げがグングン伸びて来ます。

外出自粛による巣ごもり需要とギャンブルの民間ポータルサイトの躍進により、一気に、コロナ禍の中の娯楽として大きく世の中に拡がり売り上げを伸ばしていったと感じています。

そんな中に開催された東京オリンピックでも競輪選手たちが出場し、出場までの過程も含め活躍する姿は多くの媒体で発信され感動を呼びその拡がりを大きく後押ししました。

この四年間で競輪の売り上げは、あの一番良かった頃を超える勢いです。
いや、選手の数は減っているので超えていると言えるでしょう。
賞金額も僕が競輪選手になった頃に近付いて来ました。


減り続ける来場者数

売り上げもアップし僕たちの賞金も大きく上がって来た中、実は競輪の本場へと足を運びレースを観戦してくれる方々は減少し続けています。

父親も競輪選手だったのて幾度か子どもの頃競輪場やイベントに連れて行ってもらったことがあります。
競輪祭の時だったと思いますが、朝市が開かれたり、縁日のような出店が出て大勢の人で賑わっていました。
そしてまだ30年前の僕が自転車に乗り始めた頃の小倉競輪場周辺の道路は一方通行の交通規制が敷かれる程の来場者がいました。


だから僕は叫ぶんだよ精一杯でかい声で

時代が変わったと一言で言えば、これまでネットの中からその認知と売り上げを伸ばしてきた流れの中でそうなのかもしれません。

しかし、世の中ミュージシャンやアイドルのLIVE、野球やサッカーの観戦は大勢の人で盛り上がっています。
人がイベントに行かなくなったわけではないのです。

まずはお金を賭ける賭けないは別にして観に来て欲しいのです。
色々な観戦の楽しみ方があってもいいと思っています。

狭き門を潜り抜けプロとなり、日々努力を重ねるキャラ濃いめで面白い仲間たちのガチな走り、その迫力を観に来てもらいたいのです。

また、どん底だったあの頃のように世の中から忘れられたかのようになっていきたくはありません。

今日も明日も明後日も
このネットの片隅でなにかを叫ぶでしょう

以上


長々とここまでお付き合いいただいた あなた 
ありがとうございます!
更に❤️などいただけると泣いて喜ぶかもしれません
次回の執筆への原動力によろしくお願いします。

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