広大な街

ドゥルニツァルがまた繭になった。もう何度目だかわからない。無論父は辟易している。母は父に同調しているように見えるが、ほのかな期待は隠しようもない。それがまた折々父をいらつかせる。しかし喧嘩が始まったところでドゥルニツァルには聞こえていないだろう。ドゥルニツァルは二階へとあがる階段の裏側につくった繭の中で、もうさなぎになっているに違いない。その証拠に前までなら話しかけさえすれば不明瞭な返事が返ってきたが、今ではすっかり沈黙している。繭に耳を近づけると鼓動は聞こえるから死んでいるわけではないらしい。けれどももっと聞きたいと思って耳をくっつけてしまうと、ねばねばした糸が耳の中に入り込んでしまう。初めの頃母はよくこのねばねばが耳に入ったせいで外耳炎を起こしていた。父は母の耳に白い綿あめのような糸がついているのを見かけるたび、
「お前までドゥルニツァルになったらどうする」と説教した。
そういう父の耳にも時として白いものが見られた。しかし父は外耳炎を起こしても決して認めようとはせず、病院に連れて行くのは一苦労だった。母と私がせっつかなければ白い糸はもっと耳の奥まで入り中耳炎を引き起こしていただろう。あるいは父こそがドゥルニツァルになっていたかもしれない。そのとき母はどうしたろうか? それを考えるのは少し怖い。
 兄がドゥルニツァルになったのは四年前のことだ。妙に耳が遠くなったと思っていたら、左耳から白い糸が肩まで垂れさがっていた。糸を引っ張るとどこまでも出てくる。そのうち兄は、
「もういいだろう」と言って、はさみで糸を切ってしまった。しかし翌日も糸は肩まで垂れさがっていた。今度は全て出し切ってしまおうとして、糸を引っ張り続けた。すると兄はやはり途中で、
「もういいだろう」と言ってやめてしまった。
 その翌日には兄は冷蔵庫の前でうずくまって動かなくなっていた。俯いた顔を見ると両耳だけでなく目や鼻や口からも糸が出ていて、頭部が白っぽくなっている。話しかけると返事はするが動きたくないという。母はひどく心配したが、父はその程度なら大丈夫、わがまま言ってないで仕事に行きなさい、もしどうしても仕事を休む気なら、ちゃんと連絡を入れて病院で見てもらいなさい、それが社会人としての最低限の節度だ、と言い、昔自分が休日の社会人サッカーで右足首を骨折したが、その翌日も会社に出勤し、街を歩き回って営業をかけまくった話をした。この話は父のお気に入りで、今日にいたるまで何度聞いたかわからない。父の右足首はしかしそのとき無理をしたせいで完全にはまっすぐには戻らず、今でも父は歩くときは右足を少し引きずっている。この歩き方のせいで父は上司や得意先からはずいぶんからかわれたという。しかし本人はむしろそれを自分のキャラクターに昇華させたことを誇っている。
 しかし兄は父の言うことはきかず、その夕方にはもう繭になっていた。父はかんかんに怒って冷蔵庫の前から兄をどかそうとしたが、繭はしっかり床と冷蔵庫に糸を張っていて動かない。父が諦めるのは意外に早かった。繭がてこでも動かないことがわかると、むしろすり寄るような、卑屈な態度になった。それでいて母や私の前では、繭と厳格に対峙しているふりを続けている。実を言えば初めにドゥルニツァルのことばを聞いたのも父である。
「もうすぐ繭はとかれるらしい」
 父の口ぶりからは明らかに伝達者のおごりが感じられた。息子に選ばれたことを誇りに思っているのだ。
「繭がとかれるとどうなるんです?」と母が訊くと、父はどうしてそんなわかりきったことを訊くのかとうんざりした風に、また少し馬鹿にした風に、
「そりゃドゥルニツァルになるよ」と言った。「嘘だと言うなら本人に訊いてみるがいい」
 無論それがたやすくないことは父も知っている。繭は気まぐれなのだ。こちらが話しかけても応じてくれることはほとんどない。その代わりこちらが何も尋ねなくても何かをつぶやくことがある。要はこちらには聞くことしかできないのだ。だからこそ、父はごく簡単な口ぶりで本人に訊けと言うのである。結局は父はまた新しいかたちで尊敬を欲しがっているだけにすぎない。
「ドゥルニツァルは飛ぶんでしょうか?」と母はこりずに訊いた。すると父は露骨に怪訝な顔をして、
「そりゃいつかは飛ぶだろうさ」と曖昧な答え方をした。痛いところをつかれたのは明らかだった。「さなぎになるとはそういうことだ」
「すぐに飛ぶんでしょうか?」と母はまた訊いた。
「そこまでは訊いてないさ」父は母の心配性を嘲るような口ぶりで言った。「本当に気になるならそれも本人に訊いてみたらいい」
 結論から言えば、繭がとかれてもドゥルニツァルはすぐには飛ばなかった。そもそも背中はおろか、からだのどこをさがしても翼や羽は生えていない。というよりドゥルニツァルは繭になる前とまるで変わったところはなかった。ただ名前がドゥルニツァルになっただけである。
 ドゥルニツァルは繭をといても相変わらず会話には応じない。ただ気まぐれにつぶやくばかりである。
「ドゥルニツァルは眠りたい」と言ってところかまわず眠る。トイレでも眠る。
「ドゥルニツァルは知らない」と言って今にも泣きだしそうな顔をする。母がいればたいていの場合母が泣く。父は機嫌を悪くする。
「ドゥルニツァルはドゥルニツァッツァといたい」と言ってまっすぐな目で誰かの目を見る。見られたものは鼻の穴から足の裏まで針金に貫かれたように動けなくなる。父も母も、私でさえも。
「ドゥルニツァッツァはドゥルニツァルのおともだち?」と母が訊くと、
「発音が違う」と言ってそれ以上はもう何も言わない。そうして細い糸を吐きだす。
無論ドゥルニツァルは仕事にもいかない。その代わりよく水を飲み野菜を食べるようになった。母は生来の野菜嫌いがなおったと言って喜んだ。父は牛馬のようだと言って蔑んだ。そのうちドゥルニツァルは父の書斎でまた繭になった。ひょっとすると本を読もうとしていたのかもしれない。父は俺の書斎がだめになったと嘆いた。無論本当は誰より喜んでいる。しばらくすると繭がとけ、やはり以前と変わらぬドゥルニツァルが現れた。結局のところ、この四年はその繰り返しだった。当然仕事は首になった。しかしその分生活費も浮いた。何しろもう繭になっている時間の方が圧倒的に長いのである。
「もし飛べるようになったらどこか別の街に行くつもり?」と訊いたことがある。するとドゥルニツァルは、
「ドゥルニツァルはどこの街にも行かない」と珍しくはっきりとこちらの質問に答えた。あるいはつぶやきのタイミングが奇跡的にこちらの問いと合っただけかもしれない。
「せっかく飛べるようになったのに飛ばないの?」と私がまた尋ねると、
「ドゥルニツァルは飛ぶよ」とまた答えた。答えたように見えた。「一度飛んだらどこにも降りない」
「食事はどうするの?」
「ドゥルニツァルはもう食べない」
「眠るときはどうするの?」
「ドゥルニツァルは眠らない」
「もう戻ってくることはないの?」
「ドゥルニツァルは戻らない。戻る場所はどこにもない」
 そうしてドゥルニツァルはまた繭になる。私はドゥルニツァルが飛び立つ日を待ちわびている。



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